第95話「犯罪者は死なず、ただ消え去るのみ」

 〜前回のあらすじ〜


望「見ろ、ノワール!! ナイアの技巧によって精密なバランスで配合された『強化魔法』に浸ること七秒七瞬!! 血液や尿からは決して検出されず、なおかつすべての身体能力も数倍……魔法防御皆無の俺が使うたべることで更に数倍ッ!! これがお前を倒す一千二百万パワーだッ!!」

ノワール「いや、そうはならんやろ」

望「なっとるやろがい!!(自爆」




 ──狭い部屋であった。

「……本当に良いんですか、ご主人?」

 射し込む陽光が橙に染まり、夕暮れの到来を静かに告げる。

 そんな西日が眩しくて、思わず目を細めながら俺は黒猫へと頼み込む。

「ああ、頼むよ。一思いにやってくれ、ノワール」

 溢れた声に、我ながら少し驚く。

 その声が穏やかで──本当に穏やかであったから。

 まるで、迫る死を当然のモノと受け止めた聖者の一言。

 天寿を前にしたある種の神々しさのような侵し難い安寧の揺り籠。

 澄み過ぎて悲壮さすら感じさせない静謐なる覚悟を以って、俺は言葉を紡いでいた。

 ──それは。

 普段の俺からは考えられない程に異常な落ち着きであった。

「……残酷ですね、ご主人は」

 そんな俺の歪みを受け止めるように、黒猫の声が強い悲哀に震える。

 一度、所在なさげに尻尾を揺らし、身を守るように自身の体へ巻きつける。

「俺はただ臆病なのさ」

 そんな黒猫に対して、俺は──くしゃり、と笑って頭を撫でてやった。


 最後にして、最期の時間が流れる。


 そうして。

 黒猫の──いや、ノワールの覚悟が決まった。

 微笑みながらしっかりと俺を見つめるノワール。

 俺の思いを組んで、笑って見送る為に。

 この安寧を自らの手で終わらせる決意を込めて。

「じゃあ、いきますよっ!! あーんですっ、ご主人っ!!」

「ああ、来いッ!! ノゾムッ!! 逝きまぁぁあああすッ!!」

 銀線が煌めいた。

 圧縮された闇をくり抜き、スプーンが踊る。

 途中にあった血管のような赤が切断され、ぷちり──と、断末魔の悲鳴をあげる。

 そうして切り取られたのは、一口大の暗黒物質ダークマター

 それが俺の口内へと高速で叩き込まれる。

 躊躇いを生まない為に、戸惑いにとらわれない為にと配慮されたノワールの思いやりだ。

 ドラマは一瞬。感動は無限。そうして結末は構成される。

「──ッ!?!?」

 舌を襲った爆裂的な噴火。

 これで二度目の体験となる衝撃だが、やはり一個人に抗う術など有りはしない。

 衝動的に背中が丸まる。

 喉の奥から迫り上がる、異物を排除せんとする生存動作。

 咳、くしゃみ、えずき、嘔吐。

 だが、俺はそんな反射を抑えにかかる。

 咳を我慢し、くしゃみに堪え、えずきを噛み殺し、吐き気を飲み込む。

「おっ……あっ……がぁッ……!!」

 ──痛みが走る。

 一瞬、瞼を開ければ、握り込んだ右手の爪が、左腕を傷つけているのが見えた。

 だが、次の瞬間にはそんな痛みすら流されていく。

 圧倒的な情報量。斟酌なく味覚に襲いくるくせに、通常の味の表現では表すことも出来ないソレは正に理不尽な拷問そのものだ。

 甘くは無く、辛くも無い。苦くは無く、酸味も無い。

 美味いとか不味いとかそんな次元では無い。

 そう。

 話はそんな次元では無いのだ。


 魔王の手料理に理屈なんて無粋なのだから。




「……あー。死ぬかと思った」

 十五分後。

 虚ろに空間を見つめながら、俺はそう零していた。

 息を吸い込む。

 何でもない筈の空気が、異常に『美味く』感じる。

 肺が生存を喜ぶように膨らみ、感慨を押し出すように凹む。

 只の呼吸ですら色付いたような世界の中で──十五分前と何も変わらないノワールから声がかけられる。

「本当に大丈夫ですか、ご主人? 今日もすっごい暴れてましたけど」

 ──かちゃり、と。

 手にしていた皿を置いて、ノワールが首を傾げる。

 最近、器用さが増したノワールさんは、猫の手にもかかわらずスプーンや皿といった食器類を持てるようになっている。

 何回見てもどうやって持っているのかが謎ではあるのだが、前世の日本ならいざ知らず、『剣と魔法のファンタジー』である異世界では細かい事を考えた方が負けなのかもしれない。

「でも、そんなに無理して食べなくても良いんじゃあないですかね? ナイアだって無理はして欲しくないって言ってましたし……」

「そうは言ってもなぁ。一応、手料理として作って貰ったなら食べきるのが礼儀だろう?」

「ご主人のその考え自体は嫌いじゃあないですけど……毎回、毎回、死にそうに暴れるから不安になるんですよねぇ」

「まぁ、それについては脊椎反射みたいなモンだからなぁ。すまん、としか言えん」

「しっかも毎回、口に入れるのも私ですし」

「自分だと手が震えてどうにもなぁ。ナイアに頼む訳にもいかんし……。メルは最近アレだし。ほら……な?」

「ええ。しょうがないのは分かるんですけどねぇ」

 そう言うとノワールはため息を零す。

 まぁ、ここ数日。ナイアがいない隙を見つけては、こんな事に付き合わせていたからな。

 嫌気がさしても仕方がないだろう。

 ちなみに。

 ただ今、話に上がったメルさんであるが、数日前に料理バトルにて俺を救ってくれたナンバの兄貴の漢気に惚れ込んでしまったらしく、最近はそちらにべったりである。

 人としての魅力に惹かれたのか淡い恋心の芽生えかは不明だが、引きこもりには良い傾向だろうし暖かく見守っていこうというのが、俺とノワールとナイアの見解だ。

 閑話休題。

「あと何より──」

 そうして、ノワールは視線を手元の皿へと戻す。

 釣られた俺がそちらを見やれば、相も変わらず暗黒物質さんが堂々と鎮座していた。

 先程確かにノワールがくり抜いた筈なのに、何故かそうは見えない。

「──コレが減っている気がしないんですよねぇ」

「……やっぱり、お前から見てもそう見える?」

 俺たちは揃ってため息をついた。

 ナイアの手料理である暗黒物質であるが、どういう訳だか形が認識として捉えられないのである。

 脳が理解を拒むというか、そんな感じ。

 お陰で、確かに食べ続けてはいるのだけれど、残りがどれくらいだとか、確かに減っているのかとかが全く分からないのである。

 今日で都合、四度目の食事になるのだが、果たして一体いつになれば、俺はこの地獄から解放されるのだろうか。

「……それで? どうします、今日は二口目いっちゃいますか、ご主人?」

「いや、今日はもう止めとこう。今、舌がかなり敏感になってるからな。この状態でそれ食べたらどうなるか分からん」

「あー。そう言えば、昨日は『智者のピース・オブ・欠片ワイズマン』みたいになってましたね、ご主人」

「止めろ、思い出させるな」

「おお、愛しのニク・ジャーガ」

「止めろっちゅーに」

 揶揄うように黒猫が笑う。

 それを見ながら俺はほぞを噛む。

 ナイアの手料理を食べた後は全身のグルメ細胞が活性化し食に対して貪欲になるので、さながら『グルメ漫画』ようなリアクションを取ることがあるのだ。

 そんなリアクションを素面の時に改めて聞くのは恥ずかしいってレベルじゃあないのである。


 ──っと。


 そんな風にノワールと雑談をしていたタイミングで、部屋のドアがノックされた。

 俺はノワールと目を合わせて一つ頷く。

 ノワールは了解の意をアイコンタクトに載せると、暗黒物質をタッパーへ戻し、玄関へと向かった。

 俺はそれをベッドの上から見送る。

 昨日の身体強化の無茶が未だに響いているので、あまり動きたくは無いのである。

 そんな状態でナイアの手料理を食べていたのは、まぁ、ご愛嬌という事で一つ。

 緩和休題。

 そんな事をのんびりと考えている俺の視界の先で、ノワールがドアを開けた。

 この部屋は、ドアにチェーンなんて付いていないので結構大きめにドアが開かれる。

「はぁーい。どちら様でしょう……か? にゃあッ!? 貴方がたは──ッ!!」

「──おおっと。失礼します、ノワール様。どうぞお静かに」

 いきなりドアの隙間から伸ばされた手がノワールの口を押さえ込んだ。

 苦しげにもがくノワールの姿に俺は焦り、布団を跳ね除け玄関へと急ぐ。

「ノワールッ!!」

「まぁ、防音結界も貼ってますんで、大声出しても良いんですけどね。鼓膜に響きますんで」

「なんて言うかひっでぇ言い草だよな、お前」

 だが、俺が玄関へと着くよりも、そいつらが部屋へと入る方が早かった。

 来訪者は二人の少年であった。

 一人はノワールをゆっくりと地面に下ろし、口元に手をやる落ち着いた感じの少年。

 一人は泣き腫らしたような赤目を眼鏡で隠した理知的な少年。

 二人の態度は余りにも自然体で、そして何よりも見知った顔であった為、俺はガクッと脱力し、頭をかいた。

 そのまま呆れを込めて話しかける。

「……マーリー君とナギ君か。お前ら何しに来たんだよ?」


 下着泥棒と暗殺未遂の容疑で捕まってる筈の大学の知り合い達へと。




「……はぁ〜、成る程。脱走ねぇ」

「ええ。あのままだと私はともかくナギは殺されていたかもしれませんから」

「……」

 ずずずっ、と。

 男三名でお茶を飲みながら、車座を作る。

 ちなみにノワールは警戒するように俺の頭の上へと避難中だが、それは今はどうでも良いだろう。 

「んー。まぁ、洗脳されてたとは言っても、他国の王族を殺そうとした訳だもんなぁ。そうなってもおかしくは無いのか……」

 異世界は怖いねぇ──、なんて独りごちる俺の言葉を引き継いで、マーリー君が口を開く。

「この『賢国』からしても、隣国である『勇国』との関係に罅を入れたくは無いでしょうからねぇ。一人の人命と国家間の友好なら、どちらを取るのかは明らかでしょう」

「……ちっ」

 ずずずっ。

 なんとも言えない沈黙に、お茶を啜る音だけが響く。

 ううむ。

 やっぱり難しい話をする時は飲み物ご必須だよな。

 熱い飲み物だとなお良し。間が持たなくなった時の逃げ道になるからね。

 ……。

 …………。

 ううむ。

 逃げ道が優秀すぎたか。見事に誰も話さない。

 だが、流石にいつまでもこのままという訳にはいかないし……よし。

 俺は意を決して、話を進める覚悟で口を開いた。

「それで? お前らが逃げた理由は分かったけど……なんで此処に? 悪いけど、匿うのは難しいぞ?」

「ああ。それは大丈夫ですよ。俺たち、もうこの国を出るんで」

「そうだな」

「あら、そうなのか」

 割と期待されてたらどうしようと思いながら発した一言に対して、あっさりとそう返されて俺は軽くずっこける。

 てっきり助けを求めて逃げ込んできたと思ったんだが、流石はプリズンブレイカー。

 脱走した後の計画までバッチリらしい。

 っと、若干緊張が抜けた俺へ、マーリー君が少し不安そうに聞いてきた。

「──という訳で、俺たちは絶賛国家反逆中なんですけど……ノゾムさん。通報とかします?」

「んー? しない、しない。そんなの」

 俺はそんなマーリー君の態度に少し不思議になりながらも、両手を振って否定を返す。

「あんま良くない考えかもしれんけど今回の場合、ナギ君が死ぬ必要は無いと思うし、そっちが逃げるっていうなら何も見なかった事にするさ」

 仮に俺の密告でナギ君が死んだとしたら、後味が悪いってレベルじゃないしな。

 成金望15歳。未だに人の死なんて背負えないお年頃である。

「お前はもう一回、捕まっとけ──、とは思うけどな?」

 俺はそう言ってマーリー君下着泥棒の背中を軽く叩く。

 ナギ君の影に隠れてはいるが、此奴も大概なのだから。

 そんな俺の答えをどう思ったのか。

 マーリー君は目を閉じて何かを受け止めるように一つ頷くと、急に立ち上がった。

「ふふっ。即答ですか。……やっぱりノゾムさんは大物ですね。俺も出国前に此処に来るのは悩んだんですけど、話せて良かったですよ」

 そう言うとマーリー君は玄関へと歩いていく。

 唐突な行動に慌てた俺が引き止めようとすると、そこに声がかけられた。

「助かった」

「……へ?」

 いきなりの声かけに驚いて視線を移せば、空になった湯呑みを置いたナギ君が真っ直ぐにこちらを見つめていた。

 彼はそのまま言葉を紡ぐ。

「お前たちのお陰で人殺しにならなくて済んだ。……特にナイアには礼を言っといてくれ。じいちゃんの事を思い出せたのは、アイツが洗脳魔法を解いたからだ」

 そこまで話すと、彼は懐から黒い石のような何かを取り出して俺へと軽く投げ渡してきた。

 慌ててキャッチした俺を確認した彼は立ち上がり玄関へと向かう。

「お……おい、ナギ君ッ!?」

「その魔法石の中には『雷魔法・上級』が入ってる。礼っていうには物騒かもしれないけど……お前らは俺以上に訳ありなんだろう? きっといつか役に立つと思うぜ」

 そう言い残すと彼はもう振り向きもせずに歩き去ってしまった。


 俺とノワールはその後ろ姿を見送る事しか出来なかった。


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