マーガリンとキノコ雲

人形使い

マーガリンとキノコ雲

 初デートの日のことはよく覚えている。


 ちょうどその日、私たちの街が核攻撃を受けたのだから。


 つまり初デートをするはずだった日、ということになるわけだけれど、私は未だに彼を忘れることができない。あの日、私たちの運命を分けたものは決して不可抗力ではなかった。

 別に、あの核テロを未然に防止する手立てがあったはずだ、とか、今頃になってそういう主張がしたいわけではない。事態はもっと単純で、だからこそ私には一番こたえるものだ。


 あの日、私がプレゼントしていたリュックに小型核を入れ、私が来る前に待ち合わせ場所で自爆したのは、他ならぬ彼なのだから。


 今思えば兆候はいくらでもあった。彼氏として付き合い出したばかりの彼が、ある日突然私の父に会いに来たことや、軍人だった父が核を取り扱っていたことにもっと関心を払うべきだった。当時、オシャレなキャンパスライフが最優先だった私にとって、軍事も核もあまりに遠すぎて雲をつかむような話でしかなかった。


 それでもやはり、幼馴染で、高校まで一緒だった男の子のことは忘れることができない。


 パン屋の一人息子だった彼は、昼食にいつも自家製の食パンとマーガリンを持ってきていた。購買で買ったサラダと一緒にパクついていたその姿が羨ましくて、私も食パンを用意して彼からマーガリンを貰うようになった。俺の分が減るだろうが、などと文句を言いながらも分けてくれる彼の頰の赤らみが可愛かったなあ、なんてことを思い出すのだけれど、その度に、いったい彼はどこで道を踏み外したのだろうか、という終わらない問いが始まる。


 動機の特定に苛立っているのは、軍や警察だけではない。私だって、いつまでもぐるぐるしていたいわけではないのだ。


 そういうわけで、最近の私は懐かしい坂の通学路をよく歩いている。彼の育った、あのパン屋さんを訪れるために。

 カランコロン、と、変わらぬドア鈴の音を響かせる度に、彼のお母様はカウンターの向こうで待っていらっしゃる。お手製のマーガリンを用意して。


 彼がいつも持ってきてくれた、あの、マーガリン。


 クロワッサン、ヘーゼルナッツ、ベーコンエピ、そして食パンといういつも通りのチョイス。レジでの支払いを済ませると、お母様が容器入りのマーガリンを渡してくださる。そして、カウンター前のちょっとしたテーブル席で、買ったばかりの食パンにマーガリンを塗りつつ、私たちは彼の思い出を語るのだ。


 あの子は高校ではどうだったの?と、よくお母様に聞かれるから、逆にお家ではどうだったんですか?と聞き返すのが、ちょっとした慣例になっていた。クラスの中では比較的静かでしたね。教室よりも図書館にいる時間が長かったかな。あらそうなの、あの子らしいわね。うちにいる時もゲームじゃなくてずっと本に張りついていたわ。ああ、やっぱりそうなんだ。私はもっと彼と話してみたかったんですけど……。


 カランコロン、と再びドア鈴が鳴ると私は腰を持ち上げる。ありがたいことに、いつもお話が一段落するタイミングで次のお客さんがやって来るのだ。いらっしゃいませ、と声をかけつつ、お母様はそっと手を振って私を見送ってくださる。

 本当の彼はどんな感じだったのだろう?それが、私の本当に知りたいことだった。この世から一つの街を消し去った動機も早く知りたいけれど、高校では見ることが叶わなかったもう一人の彼に会いたい、そんな青臭くも切実な願望を、核テロの真相解明よりも優先させられるのは私だけだった。


 お母様との語らいを重ねる度に、そんな私の願いは少しずつ満たされていった気がする。必ずしも気分の良いものではなかったけれど。彼が密かに抱えていた心の闇は裏社会へと彼をいざない、遂にはキノコ雲を立ち上らせるに至った。その一方、ここに居た最後の日まで、彼はマーガリンを絶やしたことのない、パン屋の一人息子だったという。


 もはや面と向かって彼と話すことはできない。それでも、お母様のおかげで在りし日の彼の面影を作り直すことはできた。人間として良い人物だったかなんてことはどうでもよかった。私は本物の彼が知りたかっただけ。本当はもっともっと知りたかったのだけれど、それは際限のないある種の地獄のようにも思われた。いい加減ケリをつけねばならない。


 テロの動機解明といのも、結局はただの口実に過ぎなかったのかもしれない。


 その日もまた、いつものようにマーガリンを塗り、食パンを味わいながらお母様と語った。カランコロン、とドア鈴が鳴り、いらっしゃいませ、とお母様が声をかける。


 目つきの鋭い、数人の刑事に。


 私も重い腰を上げる。腰から引き抜いた拳銃を、お母様に向けた。

 安全装置をかけてはいても、胸が引き裂かれるような思いだった。


「公安の方ね」


 お母様の表情は変わらなかった。


「あなたと沢山お話ができて嬉しかったわ。お邪魔が入ることもいつもなかったし。刑事さんたちが外で見張ってくださったんでしょ?」


 そうです、あなたとの会話を盗聴するために。銃口を向けたまま私は告げた。


「私があなたにお話ししたことが捜査のお役に立つのなら光栄なことだわ。でもどうしても気になることがあるの」


「何でしょう」


「私をもっと早く捕まえることもできたわけでしょう。どうして、あなたは私とお話がしたかったの?」


 銃口がわずかに揺れた。


「それは……」


「時間だ、早くしろ」


 刑事たちは私を睨んでいる。


「そうね、無理に答えなくてもいいわ。その代わり、一つだけ私から言わせてもらえる?」


 刑事たちに手錠をかけられ、お母様は悪戯っぽい笑みで言う。


「私もね、『本物のあの子』が知りたかったの。あなたたち、いえ、あなたがあの子のうちでの暮らしを聞いたように、私もあの子の学校での暮らしが知りたかった。あの子の高校生活を一番よく知っているあなたからね」


 刑事たちが急かすようにドアを開ける。カランコロン、と再び鈴の音が鳴った。

 外へ出たお母様は刑事たちと共に待機車両に乗り込んだ。


 ありがとね、きっとあの子も救われるわ。


 それがお母様の最後の言葉だった。

 急発進した車両が懐かしの坂道を駆け下りていく。その彼方に広がる核のクレーターを見つめながら、微かに残るマーガリンの味を舌に感じていた。

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マーガリンとキノコ雲 人形使い @Shinobu_Nagumo

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