第89話 伏兵・2

第八十九話 伏兵・2


「エッジワース殿」


 急に呼び止められ、侍衆を束ねる侍大将その人であるギルバート・エッジワースは立ち止まる。


「なんだ? シンプソン」


 そこにはクリス・シンプソンがいた。


「少し、お話をよろしいでしょうか」


「別にいいが……少し堅苦しいな、貴様」


「かの侍大将相手に、緊張しているだけですよ」


「フッ、よく言う」




 二人は侍衆が専用で理力甲冑訓練を行う修練場へと来ていた。向こうでは赤い機体同士が実戦形式で打ち合っている。


「エッジワース殿は聞いておられませんか?」


「ん? 何をだ?」


「連合の部隊が密かにこのイースディアへと攻撃を仕掛けようと画策している、というウワサです」


「ああ、それな」


 エッジワースはぽりぽりと頭を掻きつつ訓練している機体を眺める。


「あくまで噂……ではあるがな。流石の私でもそれくらいは耳に入る」


「それでは失礼を承知でお尋ねします。何故、帝都の防衛を固めないのですか?」


「おいおい、いつから貴様はこの国の防衛を担う立場になったんだ?」


「あらかじめ失礼を承知で、と言いました」


「まったく……」


 実際に軍を動かすのは軍務大臣をはじめとした官僚と各方面軍の軍団長たちである。エッジワースはあくまで侍衆という一軍の長でしかないのだが、ある種の特権が与えられており、それはまさに皇帝を守護するためならばあらゆる動員も許されるという。


「理由は簡単だ。私もそれを指揮する立場にない。それ以上に理由があるか?」


 エッジワースが隣を見ると、何かを言いかけたクリスは仕方なく口を閉じる。


「まぁ、貴様の心配ももっともだ。連合軍の帝都侵攻部隊なるものは確かに壊滅したと聞いたが、一部の部隊は撤退せずに攻撃の機会を窺っているという情報もある。それに先日、グレイブ王国が積極的に動き出した」


「ええ、聞いております。防衛に徹していたグレイブが国境付近の砦に攻勢を掛けているとか」


「そうだ。あの地方は雪深く、今の季節では圧倒的に我が軍の不利だ。奴らはこの機を狙っていたのかもしれん」


 グレイブ王国はアムリア大陸の北西部に位置し、冬は相当な雪が降り積もる地域でもある。そのため、かの軍は雪中での行動と作戦に長けており、こればかりは帝国軍でも敵わないと認めざるを得ない。特に雪上スキー装備の理力甲冑の機動力は侮れないという話だ。


「そのため、帝都からも増援が北に向かったとか。他にも連合への一大攻勢のため、帝国各地から相当数の部隊を抽出したとも聞いております。いくら可能性が低いとはいえ、連合が何かしらの策を打ってきた場合に帝都を守り切れるかどうか……」


「なんだ、そこまで知っていたのか」


「ええ、まぁ」


 クリスの言う通り、今の帝国軍は都市国家連合及びグレイブ王国との国境線沿いに多数の部隊を展開している。それに加え、秘密裏に連合への攻撃部隊が進軍しているという。詳しくは聞かされていないが、どうもドウェインとその取り巻きが主だって動いているとか。


 そのため、帝国領内の防衛体制はさほど分厚くないのが実情だ。今では陥落した工業国家シナイトスからの連戦であるため、戦力も備蓄物資も底が見えだしている。そのため、枯れかけたとはいえ鉱山をまるまる一つ使ってでも連合の帝都侵攻部隊を壊滅に追い込まなくてはならなかった。もしあの作戦が失敗していれば帝国軍の戦略は大きく修正しなければならない事態になっていただろう。


「確かに今の帝都は平時より理力甲冑の数も、兵士の数も少ない……が、何も心配することはない」


「……それはどういう意味でしょうか」


 クリスの言葉には何も答えず、エッジワースは訓練中の機体へと近寄る。一体何をするつもりだろうかとクリスも彼に着いていく。




「済まないが、私とコイツに少しばかり機体を貸してくれ」


「ハッ!」


 侍衆である彼らは侍大将の命令に素直に応じた。仕方なく、という風ではないあたりにエッジワースの人望が見て取れる。


「おいシンプソン、一つ手合わせ願おう」


「は、いや、どうしてでしょうか?」


「良いから少し付き合え」


 クリスの返事も待たずに理力甲冑カゲロウへと乗り込んでしまった。渋々、クリスももう一機のカゲロウの操縦席を目指す。


「ふむ、なかなかいい機体だな」


 初めて乗るカゲロウは素直な操縦性と人工筋肉の太い出力が特徴だ。他の理力甲冑よりも装甲で覆われた箇所が少ない分、軽量で俊敏性にも優れる。


「シンプソン、聞こえるか」


「はっ」


 無線機からエッジワースの声が聞こえる。鮮明に聞こえるのは距離が近いのもあるが、無線機の品質も良いのだろうか。


「実戦形式だ。お互い急所を打たれたら負け……いくぞ」


 説明もそこそこに、エッジワース機が訓練用の模造刀を構えた。こういう強引な所は性分なのか、それとも何かしらの理由があるのか判断付きかねるが、クリスも刀を抜いて構えて応じる。


(あの侍大将の実力……意外な所で知れるとはな)


 帝国軍最強の理力甲冑乗り、侍大将。代々の皇帝を守護する彼らが人前で戦うことは滅多にないという。侍衆が人並外れた猛者揃いのうえ、近年では軍備を増したおかげでそのような窮地が訪れる事自体がないのである。それを間近で見れるのは滅多にない機会ではあるが。




 クリスは刀の切先を相手へと向ける。中段の構えのまま、ジリ、とり足で左へと動いた。対するエッジワース機は同じく正眼の構えのまま、動かない。


(なんだ……? この感じは)


 クリスは相対する敵に違和感を覚える。どこか掴みどころのない、まるで水面に映った自分の影を相手にしているかのような――――


(……殺気も威圧感も、何も発していないのか?)


 戦いというものに慣れたものは、相対する人物の攻める気配や動きなど、または気迫を敏感に感じ取れるという。そして強者はその殺気や威圧感とかで呼ばれるものを相手にぶつけたり、または巧に隠すことで戦いを有利に進めることが出来る。


 しかし、このエッジワースからはそういう類のものが感じられなかった。


 いや、違う。


 まるで静かな湖面のような大きな気配があるだけだった。あまりに大きすぎる存在は目の前にあってもその実体を捉えることは難しい。エッジワースの寒気すら感じる威圧感に、クリスは気付けば呑み込まれていた。


(だが、この程度!)


 しかし、クリスとて負けてはいられない。がむしゃらに強さを求めてきた彼にとって、いつかは侍衆も超えて侍大将を打ち負かすようではいけない。そうでなければ、あのユウにすら勝てない――――




 瞬間的に全身の力を抜く。一呼吸の後、弛緩した筋肉が瞬きする間もなく緊張で漲った。クリスの駆るカゲロウが目にも止まらぬ速さでエッジワース機へと斬りかかったのだ。


 その迅さに、試合を観戦していた他の侍衆も目を瞠る。彼らの中でもあれほどの速度で踏み込める者はまずいないだろう。避ける事も、防ぐ事も出来ないその太刀筋も光るものがある。並大抵の相手ではまず一刀の下に胴体を両断されてしまうはずだ。


 あくまでの操縦士が相手の場合は、だ。




「?!」


 気が付けば、クリスはその場に倒れていた。


 正確には、エッジワース機に斬りかかっていたはずだったカゲロウは地面に突っ伏していたのだ。


 何が起きたのか、地面に倒れた衝撃すらクリスには知覚出来なかった。


「これが何も心配いらないだ。お前は気にせず訓練に励め」


 無線機から聞こえてきたエッジワースの声は興奮も冷静もない、いつも通りの声色だ。つまり、彼にとってはこの程度の事、日常会話と同等の動作でしかない事の証左であった。


(これが……侍大将の実力というわけか……)


 あまりに大きな実力差。少なくとも、エッジワースが何をしたのかすら理解できない程の開きが、ある。


(なるほど、これは確かに連合軍の精鋭部隊が攻めてきてもアイツ一人で全て屠ってしまうのだろうな……)




 帝国最強の理力甲冑乗り、侍大将ギルバート・エッジワース。その実力に嘘偽りは無く。オーバルディア帝国皇帝を守護する者であった。







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