第29話 越境

第二十九話 越境


 オーバルディア帝国と都市国家連合の国境線近く。森林の木々も赤く色づいてきており、秋の季節が感じられる。今日は空気が澄みきっているので、遥か東には一足早く雪化粧が施された雄大な山脈が顔を覗かせている。


 辺りに秋めいた涼しい風が静かに吹くと、赤や黄色の葉が揺れ落ちる。この季節になると木の実やキノコといった森の恵みが多く採れるので、よく地元の人間が立ち入る。また森に住む動物や魔物にとってもこの時期は重要であり、これからの厳しい冬に備えて栄養をつけなくてはならない。


 そんな魔物の群れだろうか。鹿によく似た魔物が数頭、食料を求めて歩いている。鹿といってもその体躯は通常の鹿より数倍は大きく、頭部から生える角は禍々しい程に鋭く攻撃的だ。彼らは基本的に草食であり、高い木の葉っぱ等を好んで食べる大人しい方の魔物だ。しかし、この時期は貪欲に餌を食べる為か普段よりも狂暴になる。


 しなやかに伸びた脚と太い首、そして分厚い皮膚すらいとも簡単に貫く角。この魔物に狙われたら最後、強力な突進に対抗出来る魔物は少ない。ましてや人間など、簡単に踏み潰してしまう危険な魔物の一つだ。


 鼻をヒクヒクとさせ、食べ物の匂いを探っている。そこへ群れの一頭が突然、耳をピクリとさせる。他の仲間もつられるように耳を立てて辺りの様子を伺う。何か遠くの音を聞き付けたようだが、辺りに異変は無い。


 いや、遥か向こうの方から多くの小鳥が一斉に飛び立つのが見えた。それと同時に低い唸り声のような音と高い風切り音が聞こえてくる。魔物の群れは一斉に音のする方へと振り向き、頭を低く四つの脚を広げだした。突進の構えだ。


 自分よりも大きな魔物にすら必殺の突進で立ち向かう彼らは、後脚を踏ん張ってその一瞬を待つ。轟音がさらに大きくなり、何かが近づいているのが分かる。辺りの木々が大きく揺れだす。と、森の向こうに白い巨体が見えた気がした。


 それは流線型の体をした白い何か。その巨体は見上げる程に大きく、得体の知れない異様さを放つ。そしてそれはごうごうと強い風を吹き上げながら凄い速度でこちらに向かってくるではないか。


 勇猛さで知られるこの魔物も、一瞬にしてこの初めて見る白い巨体に恐怖を覚えたのか、それとも本能的に敵わないと悟ったのか、一目散に逃げ出していった。自慢の角も相手が悪すぎるとばかりに走っていく。












「おっと、また魔物がいたみたいですね」


「ちょっと、ボルツ君。間違っても轢かないように気をつけるデスよ?」


「分かってますって、先生」


 ホワイトスワンのブリッジではボルツの操縦に先生がケチをつけていた。もう何度も魔物を蹴散らしてきた二人はどうということはないという様子だ。


 ユウ達一行、通称ホワイトスワン隊は現在、オーバルディア帝国との国境を越えようとしている。先日、帝国とシナイトスとの戦争に決着が着いたことで、ホワイトスワン隊は急遽予定を繰り上げなければならなくなった。


 本来の予定ではもっと北上して、海岸線沿いを進むはずたったがそれでは時間がかかってしまう。そうでなくとも、これまでの戦闘の影響でいくらか行程は遅れている。そこで予定の進路を変更して今いる地点から目的地であるグレイブ王国へと直線的に突き進むことになったのだ。


「クレアさん、もうそろそろ国境線です。辺りに帝国の部隊は見えますか?」


 ボルツが無線へ呼びかけると、少ししてから女性の声が聞こえてきた。


「今のところ、理力甲冑は見えないわね。情報は正しかったってことかしら」


 クレアはレフィオーネに乗り、ホワイトスワンの上空から周囲を警戒している。修理のついでに理力エンジンとスラスターの再調整を行ったため、以前よりも調子が良い。


 事前に連合の諜報部が現地レジスタンスから入手した情報によると、帝国の哨戒部隊を回避するルートとの事だったがどうやら信頼に足るものだったようだ。実際のところ、このルートは連合の偵察部隊も確認して裏は取っていたのだが。


「レジスタンスってのも、ちゃんと活動してるのね」


「そりゃあ相手に失礼ってもんデス。どちらかというと、帝国が仕事してないだけデス」


 失礼の塊みたいな先生が言うとちょっとおかしな気がするが、確かに帝国の哨戒が少ない気がする。アルトスやクレメンテのように連合の重要な都市や軍事基地が近くに無いため、この近辺の警戒を密にする必要性は少ない。とはいえ、一応は戦争中だ。ここまで簡単に突破できるのは少し気持ち悪い。


「まさか、罠ってわけじゃないわよね?」


「んー、その可能性は無いわけじゃないデスけど。スワンの機動性とレフィオーネの空中からの索敵があれば下手な罠は回避出来るデス」


 ホワイトスワンの大型理力エンジンは最初の頃よりも調整が進み、かなりの速度が出せるようになった。地形にもよるが一度トップスピードに乗れば、この巨大な機体を止める術はそうない筈だ。


 さらにこの世界ではまだ他に無い単独飛行可能な理力甲冑であるレフィオーネによる空中からの索敵能力はずば抜けている。空から広範囲を見渡せる上に、狙撃の名手であるクレアは目が良い。相手が専門の山岳部隊でもなければ簡単に発見、回避は可能だろう。


「とりあえずクレア、そのまま周囲の警戒をお願いするデス」


「りょーかい」









 数時間後、ホワイトスワンは無事に国境を越えて帝国に侵入する事が出来た。結局、帝国の理力甲冑はおろか、部隊の一つを発見することもなかった。


「ここまでは予定通りっスね」


「本当に敵と遭遇しなかったな」


 ヨハンとユウが格納庫で話している。敵との接触に備えているものの、理力甲冑の出番はまだ無い。


「ちょっと二人とも、気を抜かないでよ?」


 クレアが二人を嗜める。休憩のため、一度帰還していたのだった。ホワイトスワンも速度を落として巡航している。


「でも姐さん、国境付近から離れればとりあえずは大丈夫でしょ?」


「とりあえずは、ね。この辺りがいくら連合寄りの地域だからって安心は出来ないわよ」


「まあまあ。それで、もう少ししたら地元のレジスタンスと接触するんでしょ? どんな人かなぁ?」


 ユウは少しとぼけた風に言う。それを見てクレアは大きくため息をつく。


「……村や町から遠く離れた森の奥を待ち合わせ場所にするくらいだから、慎重な人物なんでしょ。私も知らないのよ」


 レジスタンスとして活動する以上、帝国にも周囲の住人にも隠していかなければならないだろう。そのため、必要以上に正体を明かしていないのかもしれない。


「ふーん? それじゃあ、どうやってレジスタンスの人を本人と見分けるのさ?」


「場所に着いたら合図を寄越せって。秘密の暗号って奴よ」


 秘密の暗号。


「おお! なんかスパイ映画みたい!」


 ユウはよく分からない要素に興奮している。クレアには理解が出来ない。


「暗号ってどんなもの何ですか?」


「今言っちゃ秘密じゃなくなるでしょ、ヨハン。その時を待ちなさい」


 そんな話をしていると、低く唸っていた理力エンジンの音が変わった。それと同時にホワイトスワンの速度が落ちてきた。


「お前ら、聞こえるデスか。例の場所に着いたデス。それじゃあクレア、頼むデスよ」


 三人は顔を合わせる。クレアとヨハンはそのままホワイトスワンの外に出て、ユウはアルヴァリスに乗り込んだ。


「クレア! 危険だと感じたら合図くれ!」


「それまではここで待機しててよ! 下手に刺激的したくない!」


 クレアは腰のホルスターに納めてある拳銃を、ヨハンは使いなれたナイフを確認する。これから会うレジスタンスは一応味方の筈だが、万が一ということもある。念のための武装は必要だ。


 二人が格納庫から艦の外に出ると、そこは森の中にぽっかりと開いた場所で中央には大きな木が一本だけ生えていた。


「でっかい木ですね、スワンの何倍あるんだろう?」


 ヨハンは眼前にそびえる大木のてっぺんを眺めようと少しのけ反っている。


「ヨハン、アンタはここで待機してて。何かあったら援護よろしく」


 クレアは一人、中央の大木へと歩いていく。ホワイトスワンのエンジンは停止しているため、辺りは静まり返っている。風も吹かないので目に見える範囲にうごくものは一つも無い。


 大木の根本まで来ると、大きな声で何か不思議な言葉を叫ぶ。暗号とは違い、何かの言語のようだ。無線を通じて聞いているユウには日本語や英語とも違う、どこか歌うような発音の仕方に聞こえた。


 クレアが喋り終わったあと、少ししてから若い男性の声がしてきた。先程の暗号と似たような響きだ。


「変な暗号だな……」


 ヨハンがホワイトスワンの側でポツリと呟く。


 すると、大木の広く伸びた枝の下方に人影が見えた。その人物はスルスルと枝から枝へと器用に降りていき、ひょいと着地した。


「お前が連合の兵士か。俺はレオナルド・エヴァンズ。レオと呼んでくれ」


 レオナルドと名乗った20台前半の男性は表情を変えずに話す。濃い焦げ茶色の短髪に同じ色の瞳、比較的端正な顔つきだが無精髭が伸びっぱなしだ。クレアと同じくらいの身長だが、少し線が細い印象を受ける。服装からして猟師をしているのだろうか? 年季の入った毛皮のベストに丈夫そうなズボン。今は銃こそ持ってはいないようだが、腰には弾薬や小道具を仕舞う小さなバッグを着けている。


「私はクレア。クレア・ランバート。早速だけど、あなたがレジスタンスの?」 


「ああ。この辺りのレジスタンスの連絡役として派遣された。これからよろしくな」


 そう言ってレオは右手を差し出す。握手という事か。


「こちらこそよろしく」


 クレアが握手を返そうとすると、突然目の前に人が降ってきた。


「なに? この女が連合の操縦士? あんまりチョーシに乗らないでよね」


 急に上から目線で物を言う少女にクレアは面食らってしまった。一体何なのだ、こいつは。


「おい、リディ。失礼だろうが。済まない、クレア。こいつは俺の妹でリディア。おい、ちゃんと挨拶をしろ」


 兄に注意され、いかにも仕方なくといった風に挨拶をする妹。クレアの第一印象は最悪に分類された。


「……リディア・エヴァンズ。兄と同じくレジスタンスの一員。いっとくけど、私たちがあんた達連合に協力するのはクェルボの独立の為だから。思い上がらないでよね!」


 キツイ口調は自信の表れだろうか、その目はどこまでも真っすぐだ。兄と同じ濃い焦げ茶色の髪と瞳。短めの前髪と外にハネた後髪は活発な印象そのもの。歳は16、7くらいか? 服装は兄と違って普通の町娘が着る動きやすいものだ。しかし、この大きな木に登っていたにしてはやけに汚れておらず、またあの高さから簡単に飛び降りてきたことから、何かしらの訓練は受けているのかもしれない。


「おい、リディ……」


 兄の言葉をなかば無視してズンズンと歩いていくリディア。その後ろ姿を見ながらため息が漏れるレオ。二人のやり取りを見る限り、どうもいつもこの調子のようだ。クレアもため息をつきたくなってきた。


「……立ち話でもなんですし、とりあえず行きましょうか?」


「妹の言う事は気にしないで下さい、あれは少し目の前のことしか見えないタイプですので……」


 クレアは兄、レオナルドの言葉から普段の気苦労が垣間見える。その苦労をこっちに持ってこないようにして欲しいとは流石に言えなかった。








「へぇー。これが連合の理力甲冑? 理力甲冑って野暮ったいのばっかりと思ってたけど、こういうのもあるんだ」


 リディアはレフィオーネの前で初めて見る型の機体に関心している。


「ヨハン、この子は誰だよ。まさかレジスタンスの?」


「俺にも分からないっス。なんか急にやってきて理力甲冑を見せろって」


 ユウとヨハンは少し離れたところからひそひそ話をしている。二人ともリディアのあまりに堂々とした態度と強気な雰囲気に話しかけられないでいた。


「ねえちょっと、この機体の操縦士は誰?」


 少女はいつの間にかアルヴァリスの前に立っていた。


「ああ、それは僕が……」


 ユウが手を挙げると、少女は全力で二人の下へ走って来てこれでもかという位に疑いの眼差しを向けた。


「はぁ?! 白い影の操縦士がこんな冴えない奴なの?! 何かの間違いじゃない?!」


「……冴え……ない……?」


 ユウは地味に傷ついている。落ち込んでいるユウの代わりにヨハンが答えた。


「間違いじゃないっス。アルヴァリスは実質、ユウさんの専用機ですよ」


「こんな奴が、ねぇ」


 まだ疑っているようだが、どうしたら納得するのだろうか。


「ところで、白い影って何? アルヴァリスの事?」


 ヨハンは少女に向かって問う。他に白い機体は聞いたことがないが、その二つ名も聞いたことがない。


「アルヴァリスっていうの? あの機体。ふーん……っていうか、白い影って知らないの? こっち帝国じゃちょっとずつ噂になってるんだけど。連合には恐ろしく早く動く白い理力甲冑がいるって」


「なぁ、ヨハン。知ってたか?」


「いや、知らねっス」


 少女はまたも信じられないといった表情になる。そんなにユウとアルヴァリスは噂になっているのだろうか?


「なんで当事者のあんた達が知らないのよ……遭遇した回数は少ないけど、圧倒的な強さと速さで帝国のステッドなんかじゃ歯が立たないっていう噂が前線の操縦士の間で出回ってるんだって。そのはやきこと、影の如しってね」


 確かに、アルヴァリスで帝国の理力甲冑と戦ったのは数えるほどしかない。それだけでここまで噂になるだろうか。ユウは少しむず痒い気分だ。


「でも、なんでそれを君が知ってるのさ。そういうのって軍の兵士の噂だろ?」


「私たちレジスタンスを舐めないで。それくらいの情報は筒抜けよ」


 少女は胸を張り、どうだと言わんばかりに得意げな顔をする。俗にいう、ドヤ顔だ。


「あ、やっぱりレジスタンスなんだ。ただの迷子じゃなかったのか」


 ヨハンはポンと手を叩く。こんな森の中にこんな偉そうな迷子がいてたまるか、とユウは心の中で叫ぶ。


「誰が迷子よ誰が! 私はリディア・エヴァンズ。祖国クェルボの独立のため、レジスタンスとして活動しているの。あんた達は?」


「僕はユウ・ナカムラ。さっきも言った通り、アルヴァリスの操縦士」


「俺はヨハン・クリストファー。あっちのステッドランドに乗っている」


「ユウにヨハン、ね。あれ? それならあの理力甲冑レフィオーネは誰が乗ってんの?」


「ああ、レフィオーネはクレアの機体だよ。外で会わなかった?」


 途端にリディアの顔が曇る。


「うげ、あの女の機体なの……?」


 露骨に嫌そうな顔をする。この少女は本当に思った事が顔に出るな。ユウとヨハンはこの短い間にリディアの性格を理解してきた。


「あの女が乗ってて悪かったわね」


 いつからそこに居たのか、クレアと見知らぬ男性が格納庫の入り口に立っていた。


「まともそうな機体があると思ったら、あんたのだったのね。ちゃんと動かせるの?」


 なぜか喧嘩腰のリディア。ユウはクレアの逆鱗に触れないかと恐れ、ヨハンは少しずつ後ろに下がっている。


「レフィオーネの扱いに関しては少なくともこの中で一番と自負しているわ? それとも貴女の方が上手いっていうの?」


 その言葉にリディアは怒りを露わにする。気の強い目が一層吊り上がった。


「何よ! 馬鹿にしてるの?! ちょっと腕が立つからって偉そうね!? これだから連合の女って嫌いなのよ!」


 そのまま足音を響かせながらリディアは艦内へと行ってしまった。


 その場に残された四人はなんとも言えない空気に包まれてしまう。


「あの……ええと、妹がご迷惑をお掛けしてすみません……」


「あっ、ごめんなさい! 私もつい言い過ぎてしまって……」


「姐さん、どうすんスか。この空気」


「ヨハンは少し黙ってなさい。……コホン。この人はレオナルド。この地域のレジスタンスで仲介役というか、連絡役としてホワイトスワンで一緒に行動することになるわ」


 ユウ達は互いに自己紹介をする。レオは妹と違って礼儀正しい人物のようで、その立ち振る舞いと挨拶からそれが分かる。


「あの、レオ……さん。もしかしてリディア……妹さんも一緒にスワンに?」


 ユウは恐る恐る聞いてみる。


「はい。……その、皆さんはご迷惑かもしれませんが」


「ああ、いえ! 迷惑だなんてそんな」


 ユウとレオは交互に頭を下げて謝り合っている。その様子が幼い子供のおもちゃのようで少し面白いと思ったヨハン。


「姐さん、あの娘と喧嘩しないで下さいよ?」


 クレアは返答せず無言でスネを蹴るので、ヨハンは突然の痛みに思わずその場にしゃがみ込んでしまった。ユウとレオはまだ謝り続けている。


「ハァ、これから大丈夫かしら…………?」


 クレアは今後の怪しい雲行きに早くも頭が痛くなってきた。









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