第22話 長い間、お世話になった挨拶

「そうかい……さみしくなるねぇ……」

「アレクとメルとシー、出て行っちゃうの?」

「いつかこういう時が来るんだよ、クラリス。こういう時は笑って送り出してやるんだ」

「……やだっ」


 パタパタと走って外に飛び出していったクラリスちゃん。……別れを惜しんでくれるのはうれしいんだけど、切ないなぁ。


「あたしとシーがフォローしとくわ」

「アレくんは女将さんと話ししといてよ。アタシらより付き合い長いんでしょ」


 そう言うと2人は、クラリスちゃんを追っていった。


 ギルドから入寮を強制された俺たちは宿を引き払うためにカナリア亭にとんぼ返りしていた。メルのライセンスは後日とのことだ。


「なんか急ですみません」

「何言ってんだよ。冒険者……じゃなくなっちまったんだね。だけど、別れが急だなんていつものことだよ。中には帰ってこなかったやつもいるんだ。挨拶ができるだけでも上等さね」


 と、女将さんは豪快に笑った。俺もつられて笑った。


「アンタらも一時はどうなるかと思ったけど、結局うまくいったみたいだし。……あんなかわいい子らと一度になんてアンタも隅に置けないじゃないか」

「ハハハ……」


 笑いが渇く。アイツらが根回ししたから、女将さんに何してたか筒抜けだ。クラリスちゃんが一段大人の階段を上ってしまったが、事故だ。しょうがない。


「まぁ、アンタらもあたしの子供みたいなもんだからね。いつでも帰ってきな。あたしの最愛の旦那が最高の料理をアンタらに食わせてやるからさ」


「まかせろ~」と奥の厨房から声が聞こえてきた。たぶん……いや、確実に旦那さんだ。……あれ?


「旦那さんってなんて名前でしたっけ? ……そういや名前で呼んだことない」


 もうすぐ3年になろうってのに、まさか宿主の名前を知らないなんて、不義理にもほどがある。俺はこっそりと女将さんに聞いた。


「……アンタもかい。ウチの宿六はなかなか名前を覚えてもらえなくてねぇ。フィリップって言うんだよ」


 ……イメージ的に貴公子って感じだが、実際はゴリゴリの短髪筋肉ダルマである。エプロンがミスマッチすぎて、逆にかわいい印象を与える不思議中年だ。組合のハゲとは一味違う。……一味だけだが。そんな風にフィリップさんを宿六扱いする女将さんだが、表情はとても優しい。……いいなぁ、こんな顔で旦那を語る奥さんって。


 温かい雰囲気に浸っていると、奥からだん……フィリップさんがエプロンで手を拭きながらやってきた。


「おう。長い間、ウチを使ってくれてありがとよ」

「いえ。こちらもメルとシーを匿ってもらって感謝してます」

「がっはっは。かまやしねえよ。お前らもうまくいったみたいだしなぁ」


 ニヤニヤしながら顔を近づけてくるだん……フィリップさん。


「だが、クラリスに性教育はちとはええ」


 のっぺりしたトーンで、クラリスちゃんのことを話し始めた。……こわっ。後、クサッ。


「クラリスはまだ10歳だぞだいたいなんでアイツはお前らの部屋の隣にいたんだお前らが呼んだんじゃないのかあえぎごえきかせるとかなにかんがえてやがるあのとしごろのおんなのこはこうのとりがあかちゃんをはこんでくるとか夢でも見てれば……おうっ」


 ごっ! とありえない音を頭からさせて、だん……フィリップさんは前に倒れこんだ。


「……大丈夫すか」

「……」


 返事がない……まるで屍のようだ……ゆっくりと顔を上げるとそこには何やら棒のようなものを持った女将さんが。


「……なにかあったかい?」

「……どうも夢を見てたみたいで」

「そうかい。寝るときはちゃんとベッドで寝なきゃダメだよ」

「……そっすね」


 世の中、知らないほうがいいこともある。知らないふりをするほうがいいこともだ。






 架空の猟奇殺人未遂を見てすぐ、メルたちは帰ってきた。だが、なにやらクラリスちゃんがモジモジしている。後ろで双子はニヤニヤしている。


「あ、アレク!」

「うん?」


 クラリスちゃんが真っ赤な顔で俺の名を叫ぶ。そして……


 ―――チュッ


 ほっぺにキスをされた。


「へ?」

「あ、アレクのお嫁さんになるのはあたしなんだからっ。メルとシーには負けないんだからねっ」


 真っ赤な顔でダーッと再び外へと出て行くクラリスちゃん。ポカーンと呆ける俺。


「おやおや。クラリスにも春が来たかねぇ」

「……いやいや女将さん。いくらなんでも……10歳っすよ?」

「あと5年もすれば立派な女さ。メルとシーも嫁にするんだろ? クラリスも持っていっていいよ」


 いやいや。誰にも渡す気はないけど、メルとシーもひょっとしたら誰かに持ってかれるかもしれないし! クラリスちゃんは10歳だし!


「子供でいるときなんてあと少しだけさ。アンタだったら持ってってもいいよ」


 いやいや! だからクラ……え?


 グワシと後頭部を誰かにつかまれた。こんなことが出来るのは、この場では俺以外ただ一人の男であるあの人しかいない。だいたい頭丸ごとつかむとかどんなでかい手だ。


「……冷静になりませんか? フィリップさん……」


 カハァァァ……と口から息が、くさっ、めっちゃ臭い! ランドルフとは違うおっさんの口臭の匂いがするっ!


「ウチの娘はやらんぞォォォ……」


 ぎりぎりと締め付けられる俺の頭蓋骨。やべぇ……耳から自分の頭がきしむ音が聞こえてくる……


 ―――ゴッ!


 ちょっと太めの女神の一撃が、俺を現世につなぎとめてくれた。






「パンディックの連中が来たら、宿を引き払ったって言えばいいのかい?」

「うん。ついでにどこ行ったか分からないって言ってほしいの」

「メルの頼みだから別にかまわないけどね。理由ぐらい聞かせてもらえるのかい?」


 後頭部に一撃食らい、倒れこんだフィリップさんを無視し話は続く。まるでいないことになっているようだ。

 おかしなオーダーをするメルが女将さんは心配になったみたいだ。メルがこっちを見てくるが、何が聞きたいのかわからない。とりあえず頷くことにした。


 かくかくしかじかと、パンディックと知り合ってから半年の話をメルは女将さんに聞かせた。フィリップさんももぞもぞしているし、ひょっとしたら聞いているのかもしれない。さっきのは話していいのかって目線か。……やめたほうがよかったんじゃないかな。だが時はすでに遅し。


「……悪いけどちょっと話せないんだ。巻きこんじゃうかもしれないから」

「全部話しといてそりゃないだろ」


 ごもっともである。パンディックがやってきたあれこれは、全て話してしまっている。本当に今更だ。


「いいじゃねえか、クレア」

「アンタ……」


 復活したフィリップさん。思ったよりタフである。


「そもそも客の情報なんてよそ様にベラベラ喋るもんじゃねぇ。何も間違っちゃいねえよ。その件は請け負おう。お前らとアイツら、どちらを優先するなんて比べるまでもねえよ」


 カラカラと笑うフィリップさん。あぁ……今日ここでお別れなんてさみしいなぁ。


「旦那が言うんなら、あたしが言うことなんか何もないね。……荷物の整理があんだろ? とっとと部屋片付けてきな。メルとシーも2年もいたんだ。ものがたくさんあるだろ。……アレク、エスコートしてきな」

「うっす」


 何かあれば後頭部に容赦なく棒のような何かを振りかざす女将さん。俺に、選択の余地はない。

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