第70話・築き上げてきたもの

 夏が過ぎて秋を迎え、紅葉こうようした葉が地面へ落ちる頃になると、いよいよ外は寒々とした冷たい空気に包まれる様になる。

 紅葉がピークを迎えた頃は、琴美を誘って明日香と一緒に去年行った山へ紅葉狩りにも行った。その時は拓海さんも誘いはしたけど、大学の用事が重なっていたらしく残念ながら不参加となった。

 去年とは違って三人での紅葉狩りはやはり寂しく感じたけど、その状況を寂しいと感じていたのは、おそらく俺と明日香だけだろう。なぜなら琴美はもう、由梨ちゃんが居た事を完全に忘れていたから。

 でもまあ、それはそれとして、三人での紅葉狩りを楽しんだのは事実だ。いつまでも落ち込んでたって仕方ないから。それに俺と明日香に残された時間もそんなに多くはないはずなんだから、落ち込んでる暇なんてない。

 こうしている間にも訪れるかもしれない別れの時まで、俺はいつもの日常をいつもの様に明日香と過ごしていたいから。


「明日香。準備はできたか?」

「うん! 今行くね♪」


 明日香の部屋の前に立ってそう尋ねると、中からいつもの元気な返事が聞こえてきた。

 今から二週間くらい前に花嵐恋からんこえ学園の文化祭も終わり、もうすぐ十二月も中旬に入ろうかという頃。俺は明日香と一緒にデパートへ出掛けようとしていた。去年と同じ様にクリスマスプレゼントを買う為だ。


「お待たせ。行こう、お兄ちゃん」

「ああ」


 元気に駆け出して階段を下りて行く明日香。そんな姿を見ていると、今更ながら出会った時との違いに改めて感慨深かんがいぶかくなってしまう。

 遥か昔の様に感じる去年の事を思い出しながら、明日香のあとを追ってデパートへと向かった。


× × × ×


「それじゃあまた去年みたいに個人で店を見て回って、二時間後にここに集合でいいか?」

「うん。それで大丈夫だよ。それじゃあ行って来るね」

「おう。気を付けて行くんだぞ?」

「はーい♪」


 明日香は返事をすると足取りも軽やかにエスカレーターへと向かい、いつもの様に最上階へと向かって行った。そしてそれを見届けた俺も、去年と同じ様に雑貨店へと向かい始めた。

 こうして明日香とデパートなどに行くようになってから自覚した事だが、俺はどうも雑貨や小物などを見て回るのが好きみたいだ。


 ――しばらく来ない内に様変わりしたもんだな。


 訪れた雑貨屋は模様替えでもしたのか、前に来た時とは雰囲気がガラッと変わっていた。

 まあそれはクリスマス仕様になってるからかもしれないけど、あちこちで様々な色の電飾がきらびやかに点滅を繰り返してそういう雰囲気を醸し出しているからか、周りに居る人達の表情も楽しげで明るく見える。


「さてさて。今年はどれをプレゼントにしようかな?」


 インテリア小物や便利グッズ、様々なものが並ぶ商品棚を見て回りながら、今年は明日香や琴美達に何を贈ろうかと悩む。

 本当は今回も去年と同じ様に我が家でクリスマスパーティーでもしようかと思っていたんだけど、琴美は母親の琴音さんとクリスマスから正月明けまでを過ごす為にしばらくこちらを離れると聞いているし、拓海さんもお友達のパーティーに誘われていると聞いたので、考えていたクリスマスパーティーの計画はお流れになった。まあ、それならそれで明日香と一緒にクリスマスを楽しめばいいだけだし、特に問題はない。

 こうして俺は、明日香と約束をした時間までじっくりとプレゼント選びをして回った。


「――お兄ちゃん。お待たせ」

「お帰り。プレゼントは選べたか?」

「うん! バッチリだよ♪」


 にこやかな笑顔を浮かべながら満足そうに頷く明日香。

 そしてそんな明日香の隣に立つと、ほのかに青リンゴの甘い香りがしてきた。


「ん? なんか青リンゴみたいな甘い匂いがするな」

「あっ、気付いた? 実はプレゼント探しの時に香水を売ってるお店を通りかかって、その時にちょっと香水のお試しをしてみたの。そしたらお店の人がお試し品もくれたんだよ?」

「ああ。そういう事か」


 小学生で香水に興味を持つとは、明日香って結構おませさんなのかもしれない。


「うん。この青リンゴの香水、とっても良い匂いだから気に入っちゃった。私が大人になったら、またこの香水をつけてみたいなあ」

「そっか。それじゃあその時は、お兄ちゃんがその香水をプレゼントしてやるよ」

「ホント? やった! 約束だからね?」

「ああ。約束だ」


 嬉しそうにする明日香から差し出された小指に自分の小指を絡ませ、指切りげんまんをする。俺は明日香と小指を絡ませながら表面上では笑顔を見せていたけど、実際は相当辛かった。

 だって俺と明日香が交わしたこの約束は、絶対に訪れる事の無い未来の話だから。それでも俺は、ついそんなあり得ない未来を夢見て約束を交わしてしまった。

 こうしてお互いに買ったプレゼントを大事に抱えながら、俺達はクリスマス商戦で賑わうデパートをあとにした。


× × × ×


 デパートでプレゼントを買った日から十日が経ち、十二月二十三日の朝を迎えた。


「いってらっしゃい。琴美お姉ちゃん」

「気を付けてな。琴音さんによろしく」

「うん、ありがとう。ちゃんと伝えておくね。それじゃあ行って来ます」


 シックなライトイエローのキャリーバッグを持った琴美が、にこやかな笑顔を見せながら駅の方へと歩き始めた。今日からお正月明けまでは、琴美は遠方に居る母親の琴音さんの所に滞在する事になっている。

 だから俺と明日香は、昨日の夜の内に琴美の自宅へ行ってからクリスマスプレゼントを渡しておいた。ちなみにその時、俺達も琴美からプレゼントを貰った。

 そしてキャリーバッグを引きながら駅へと向かっている琴美を二人で見送っていたその時、ふと琴美がこちらを振り返った。それは時間にすれば数秒の事だけど、その時に見せた琴美の表情がやけに曇っていたのを覚えている。


「……そういえば明日香、昨日プレゼントを渡しに行った時に琴美と話し込んでたみたいだけど、何を話してたんだ?」

「ん~? それはね、な~いしょ♪」


 明日香はくすくすと小さく微笑みながら家の中へ入って行く。

 いったい琴美と何を話していたのか気にはなるけど、まあ、女同士の内緒話って事なんだろう。俺はそれ以上の追及を諦め、明日香のあとを追って自宅へと入った。

 そして時間が経って夕食を終え、お風呂に入ってからベッドの上で漫画を読んでいると、部屋の扉をコンコンとノックする音が聞こえてきた。


「お兄ちゃん。ちょっと入ってもいいかな?」

「おう。いいぞ」

「あのね、お兄ちゃん。私と明日デートしてくれないかな?」


 部屋へと入って来た明日香は開口一番にそんな事を言った。


「へっ? デートって、急にどうしたんだ?」


 俺は漫画を閉じて布団の上へと置き、身体を起こして明日香の方へと身体を向けた。


「ほら、前に約束してたでしょ? また遊園地に連れて行ってくれる――って。だから明日行きたいの」

「でも、明日はクリスマスイヴだし、かなり人が居て混雑してると思うぞ? 別の日がいいんじゃないか?」

「ダメッ! どうしても明日じゃないとダメなの……」

「何で明日じゃないといけないんだ?」

「それは…………」


 明日香は俺の質問に対し、顔を深く俯かせて黙り込んだ。

 そしてそんな不自然な様子の明日香を見ていた時、一つの考えが俺の脳裏に浮かんだ。


「明日香。もしかして明日になったら――」


 頭に浮かんだ事を口にしようとしたけど、最後までその事を口にはできなかった。


「…………」

「……いいよ。明日一緒に遊園地に行こう」

「いいの?」

「ああ。一緒に楽しく遊ぼう」

「うん。ありがとう、お兄ちゃん……」


 表情を明るくして微笑む明日香。そんな明日香の瞳に、部屋の灯りを受けてキラリと光る涙が見えた。

 そしてもう一つ明日香からのお願いで、今夜は一緒の布団で寝る事になった。一緒に俺の布団に入ってから今までにあった色々な話をしながら、俺は明日香との別れの時がすぐそこまで迫って来ているのを感じていた。


× × × ×


 夜も明けたクリスマスイヴの早朝。

 俺は朝食を作ったと起こしに来た明日香に手を引かれ、眠たい目をこすりながら階段を下りてリビングへと向かった。


「おー。今日は朝から豪勢だな」

「うん! せっかくだから頑張ってみたの」


 リビングにあるテーブルの上に並べられたご馳走の数々。

 そこにはさっぱり系の物からこってり系の物まで、和洋中のジャンルを問わずテーブルの上に料理がある。

 中でも特に目を引いたのは、大きなお皿に盛られたステーキ肉だ。朝からこのボリュームのお肉と料理の数々を食べるのは流石にキツイけど、明日香が一生懸命に頑張って用意してくれたんだろうから、俺も頑張って胃袋に入れるとしよう。


「それじゃあ、食べる前にちょっと顔を洗って来るな」

「うん。待ってるね」


 明るい声音でそう言う明日香に背を向け、俺は洗面所へと向かった。


「――ふうっ」


 温かいお湯で顔を洗い、ふんわりと柔らかい感触のタオルで顔を拭く。

 そして大きく息を吐き出してから鏡に映る自分の顔を見ると、なんとも冴えない表情をしている事に気付いた。


「酷い顔だな……」


 鏡に映るしょぼくれた表情の自分を見ながら、思わずそう自虐してしまう。

 もちろん俺がこんな浮かない表情になるのには理由がある。

 多分だけど、今日これから明日香と一緒に出掛けたら、再び明日香とこの家へ帰って来る事はないと思う。それはつまり、今日が俺と明日香の別れの日だという事だ。

 どうしてそんな風に思うのかと言えば、昨日の明日香の様子や言動を見聞きしてそう感じたから――としか言いようがない。

 そしてこの予想が正しかったとしたら、俺はいったいどんな顔で明日香を見送ってやればいいんだろうか。そんな事を考えるだけで、鏡に映る俺の表情は更に冴えなさを増していく。


「はあっ……深く考えるのはよそう。とりあえず今は、明日香と遊園地を楽しむ事を考えないと」


 まるで催眠術でもかけるかの様に、俺は鏡に映る自分自身に向かってそう言い聞かせた。


「――いただきます」


 洗面所から戻った俺は、さっそく椅子に座ってから明日香の用意してくれた料理に箸を伸ばした。和洋中と様々な料理が入り乱れてはいるけど、どれも美味しいので特に問題はない。


「小雪も沢山食べてね?」

「にゃん♪」


 明日香の隣の床に座っている小雪が、甘える様な声を出しながら餌を食べている。

 今から約一ヶ月くらい前の話になるけど、サクラの協力で再び人間の姿となった小雪ちゃんや明日香達と一緒に文化祭を楽しんだ。

 だから今日も人間になった小雪ちゃんを連れて行って明日香と遊んでほしかったけど、サクラと会う機会がなかったのでそれも叶わなかった。


「――明日香、準備はできたか?」

「うん! 今行くね♪」


 遊園地へと向かう準備を済ませた俺が明日香の部屋の前に立ってからそう尋ねると、今まで聞いた中で一番明るい声音の返事が聞こえてきた。


「お待たせ♪ さあ行こう、お兄ちゃん!」


 ガチャリと音を立てて開いた扉から満面の笑顔を浮かべて出て来ると、明日香はスキップでもするかの様な軽やかな足取りで廊下を進み、嬉しそうに階段を下りて行った。

 そして明日香のそんな姿に思わず頬を緩ませながら、俺も階段を下りて玄関へと向かう。


「それじゃあ小雪、行って来るね」

「にゃーん……」


 玄関前の廊下で座っていた小雪を明日香が抱き上げ、そう言ったあとに頬ずりをする。すると小雪はその頬ずりを気持ち良さそうな表情で受けていた。

 そしてたっぷりと小雪を可愛がったあと、明日香はそっと小雪を廊下に下ろした。


「行って来ます」


 明日香は靴を履いて玄関の扉を開けると、名残惜しむかの様にして家の中を見渡してからそう言って外へと出た。その時に見せていた寂しそうな表情に胸が締めつけられる思いを感じながら、俺は開いたドアを閉め始めた。


「あっ、ちょっと待って!」


 明日香は何かを思い出した様にそう言うと、閉めようとしたドアを少し開けて中を覗き込んだ。


「小雪。お兄ちゃんの言う事をちゃんと聞いて、元気に長生きするんだよ? ……じゃあね、小雪」


 明日香はそう言うと覗かせていた顔を引っ込めてドアを閉め、家の前の道路へと急いで向かった。そして閉められた扉の向こう側からは、『にゃ~ん……』と小さく鳴く小雪の悲しげで寂しそうな声が聞こえた。

 その鳴き声を聞きながらガチャリと鍵をかけて明日香の方へ行くと、明日香が手で目元を拭っているのが見えた。


「……行こう。お兄ちゃん」


 目元を拭っていた手を下ろすと、明日香は再びにこやかな笑顔を浮かべてから俺の右腕を両手で抱き包んだ。


「ああ。行こう」


 そう返事をしてから俺は明日香と一緒に遊園地へと向かって歩き始めた。

 俺達が兄妹として居られる、あとわずかな時間を楽しむ為に。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る