第39話・君が隣に居る幸せ
お昼も過ぎた十四時過ぎ。
学園の外は相変わらず寒々とした冷たい風が吹いているにもかかわらず、外に立ち並ぶ屋台にも沢山のお客さんが並んでいた。
食べ物などを売っている屋台から立ち上る熱気は陽炎の様に揺らめき、外気との温度差を目に見える形で伝えてくる。
そして外へと続く開け放たれた玄関口。
そこから漂って来るのは、様々な食べ物の織り交ざった匂い。それは時に醤油が焦げる香ばしい匂いだったり、チョコレートの甘ったるい匂いだったり、油と肉の匂いが混ざった空腹を刺激する揚げ物の匂いだったりと様々だ。
そんな様々な匂いがそれぞれに分かりやすい主張をしながら、鼻腔を通り抜けて行く。
夏祭りの会場で味わう様なその匂いは、どことなく人のテンションを上げるものであり、本来は出し物を提供する側に居る俺ですら自然とワクワクしてしまう。
そんな楽しげで明るい雰囲気に包まれている中を、俺はウエイトレス姿の琴美と並んで歩いている。本当なら琴美と並んで歩けるだけで舞い上がってしまうところだけど、今はそれよりも舞い上がってしまう状況に置かれていた。
「涼君。お昼ご飯はどれを食べよっか?」
「えっ!? あ、ああ。琴美が食べたい物でいいよ」
「そうなの? う~ん……それじゃあ、どれにしよっかな……」
ウエイトレス姿の琴美は着ぐるみを着た俺の右腕に自分の左腕を絡めたままの体勢で、口元に右手の指を添える様にして悩んでいる。
真剣に何を食べようかと悩んでいる琴美の表情はそれはそれで可愛らしく、思わず着ぐるみを着ているのをいい事に、じーっとその姿を見つめてしまう。
「――よしっ♪ それじゃあまずはあれを食べに行こう!」
そう言ってある一角を指差す琴美。
そして俺が琴美の指差す方向に視線を向けると、組まれた腕がグンッと引っ張られた。
「行くよ♪ 涼君♪」
楽しげに弾む声でそう言いながら目的の場所を目指し、そこまで連れて行こうとする琴美。
いくら動きやすく改良されているとは言え、着ぐるみを着ての移動がし辛いのは確かだ。だけどテンションが上がっている琴美はそんな事などお構い無しに人波を上手に避け、腕を組んだまま目的地へと向かって行く。
「――作りたての焼きそばを二つ下さい!」
辿り着いた出店の前で琴美が元気にそう注文をすると、鉄板で今まさに焼きそばを作っている、頭にねじりはちまきを巻きつけた女子生徒が、『ありがとうございます!』という明るく威勢の良い声と共に笑顔を向けてきた。
香ばしくソースの焼ける匂いが立つ中、鉄板の上で出来上がっていく焼きそばを見つめていると、女子生徒が『できた!』という声を上げて透明のパックに焼きそばをこれでもかというほど詰め込んでいく。このサービス精神は学生ならではと言ったところだろうか。
そして琴美がお店の女子生徒に600円を払ってからそのパックが入った袋を手に持つと、再び俺の手を取ってどこかへと向かい始めた。
「――やっぱりここは空いてたね」
体育館がある場所へと連れて来られた俺は、そのまま琴美に腕を引かれながら体育館の左側面へと向かった。すると辿り着いた先には一脚の白い塗装がされたベンチがひっそりと置かれていて、琴美はベンチの上の埃を焼きそば屋で貰った使い捨てのおしぼりで拭くと、『どうぞ!』と言って両手で座る場所を示し、俺にそこへ座る様に促してきた。
そして俺が促されるままにベンチに座ると、琴美は満足げな笑顔で俺の隣にサッと座った。
――そういえば、焼きそばの代金を琴美に支払わないとな。
俺は着ぐるみの頭を外してベンチの空いている部分に置いたあと、ズボンの後ろポケットにある財布を取り出す為に少し腰を浮かせてから右手を後ろポケットへと伸ばした。
――あれっ? 取れないな。
何度もポケットへ手を入れようとするが、右手はあるはずのポケットに引っかかる事なくその場にある空気を切っていくだけ。
「どうしたの? 涼君」
「いや、ズボンに入ってる財布を取り出そうとしてるんだよ」
「ズボンのポケットに入ってるなら、着ぐるみを脱がないと取れないんじゃない?」
「あっ……」
その言葉を聞いてようやく今の状況を思い出した。俺は今、犬の着ぐるみを着てたんだった。
慣れというのは恐ろしいもので、俺は既に着ぐるみと一体化した様な気分でいた。本当に人間の適応能力には恐れ入る。
「そ、そうだよな。仕方ない、手だけを引っ込めて財布を取るか」
そう言って右腕だけを引き抜こうとするが、サイズがフィットしているせいか上手く腕を引っ込める事ができない。
「いいよ、涼君。焼きそばは私がおごるから」
「えっ? それは駄目だよ」
「遠慮しないの。ここはお姉さんに任せなさい♪」
確かに誕生日的には琴美の方が早いからお姉さんになるけど、そう言ってにこっと微笑む琴美は、本当のお姉さんの様な雰囲気を感じさせた。
「分かった。それじゃあ、ありがたく頂戴するよ」
「うん。よろしいっ!」
そう言って満足そうな声を出すと、琴美はさっそく袋の中にある焼きそばのパックを取り出して俺に手渡してくれた。
「うわっ!? これすっげえ青海苔がかかってるじゃん!」
「ホントだ。これじゃあ歯に青海苔が沢山付いちゃうかもね」
サービス精神旺盛なのは良いけど、この異常な青海苔のかけ方には度肝を抜かれる。上面は青海苔とちょこっと乗った
「いただきまーす!」
目の前にある青海苔フィーバーな焼きそばに箸を伸ばすのを
――あれっ? 琴美の焼きそばは普通じゃね?
「ん? 食べないの?」
これでも俺はゲーム内で色々な姿をした女性キャラを見て来たわけだが、ああいったコスプレ度の高いコスチュームというのは、二次元の女の子だからこそ映えるものだと信じて疑わなかった。
だけど俺の目の前に居る琴美はどうだ。今まで見て来た二次元キャラに勝るとも劣らない可愛さを醸し出しているじゃないか。
「……うん。素晴らしい」
「えっ? 素晴らしい?」
「えっ!? ああいや! ほ、ほら! 着ぐるみを着てたら箸が素晴らしいくらいに掴めないって事だよ!」
思わず口に出してしまった感想を誤魔化そうとしたけど、出て来た言葉はこれまた意味の分からない変な日本語を成してしまった。
「ああー。ごめんね、涼君。気が付かなくて」
「やっぱり一度着ぐるみを脱いだ方がいいな」
「あっ、待って待って」
前面にある埋没式ファスナーに手を伸ばそうとした時、琴美がそう言って俺の行動を止めに入った。
「何?」
「あ、あの……良かったら私が食べさせてあげる……」
「えっ!?」
――琴美は今何と言った? 『私が食べさせてあげる』――って言ったのか? だ、誰に食べさせてあげるんだ!?
琴美が発した言葉の意味を瞬時に理解し飲み込む事ができなかった俺は、ただひたすらに頭の中が混乱していた。
しかしそんな俺の混乱などおかまいなく琴美はパックの焼きそばを俺に近付け、その焼きそばを箸で
「ほ、ほら、涼君。早く口を開けてよ……」
今にも消え入りそうなほどの小さな声でそう言う琴美を見て、俺はまるで出来の悪いロボットの様に口を段階的に開いていく。
そして開いた口の中に入れられた焼きそばをパクリと含んで口を閉じ、それをモグモグと
「どお? 美味しいかな?」
「う、うん。凄く美味しいよ」
「良かった」
二次元では見慣れているはずのシチュエーションなのに、いざ自分がそれを実体験している事を自覚すると、嬉しさや恥ずかしさなどと言った様々な感情が湧き起こり、自分が何を思っているのかすらも分からなくなってくる。
「涼君。あ~ん」
自身の感情が色々な意味で追いつかないまま、琴美が二度目のあーん攻撃を繰り出してくる。誰かに見ているわけでもないのに、さっきから恥ずかしさが止まらない。
しかしそんな恥ずかしさを感じても尚、俺は餌を食べさせてもらう雛鳥にも似た感じで口元へ来る焼きそばを食べ続ける。
そして
こうして文化祭初日はそんな甘ったるい思い出と共にあっと言う間に過ぎ去り、明日の最終日を残すだけとなった。明日は拓海さんに由梨ちゃん、そして妹の明日香がやって来る事になってるから、存分に楽しめる様に色々と考えておかないといけない。
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