第38話・文化祭とウエイトレスと犬
十一月も終わりを迎えようとしていた最後の土曜日。
俺が通う
学園内にはこの寒空にもかかわらずやって来てくれた沢山のお客さんが、目当ての出し物がある教室へと向かう為に廊下を行き来している。
この花嵐恋学園の文化祭は、毎年盛況な事で有名だ。俺がこうして文化祭の開催側として参加するのは初めてだけど、中学二年生の時に一度だけお客として訪れた事がある。その時は進路として行く高校を迷っていた事もあり、参考の為に候補に挙げていた高校を見学して回るという事をやっていた。
普通に学校見学をする為には、申請書を出すなどの手続きがあって結構面倒なんだけど、文化祭が行われる時期というのは実に良かった。学校へ入る為に申請書を書く必要もないし、自由に校内の雰囲気を見て回れるから。
まあその結果として選んだのがこの花嵐恋学園だったわけだが、この学園を選んだ一番の理由は、家から近かった――というものだ。いくつか学校見学をしてまで選んだ学園なのに、選んだ理由がしょうもないと思われるかもしれないけど、通学の時間は日常生活においてかなり重要な部分を占める。
俺の場合、ゲームで夜更かしをした朝は相当に辛い。そんな朝の貴重な時間を、いかに長く自宅で過ごせるか。これは高校選びでも相当に悩んだポイントだった。
教室の外で呼び込み用の宣伝プラカードを持ちながら、懐かしき高校選びをしていた頃の事を思い出しつつ、俺は教室の前を通り過ぎるお客さんに向かって呼び込みを続けていた。
「――涼君。店内が忙しくなってきたから、少し手伝ってもらってもいいかな?」
廊下に出て呼び込みを始めてから約一時間。
教室の中から出て来た琴美が、黒を基調とした白のフリル付きウエイトレス衣装のスカートを揺らめかせながらそうお願いしてきた。
やはり何度見ても可愛い。この衣装を一番映えさせているのは、誰が何と言おうと琴美だと思う。
最近のウエイトレス衣装というのは、見た目鮮やかな色彩の物やら、奇抜なデザインの物など、実に様々なバリエーションがある。
だけど俺としては、黒と白を織り交ぜたこのシンプルなデザインが最も好きだ。その姿を見ているだけで、やはり日本人には黒という色が良く似合うなと感じるんだけど、最近は髪の毛すら色鮮やかに変えてしまうのが日本人。
あの美しい黒髪を外人さんの様に染めるというのは、俺としてはいただけない。元々の地毛が茶色がかっていたりするのは全然いいんだけど、やはり日本人の黒髪は男女問わずに美しいと感じる。
しかし今はファッションという名のもと、小さな子供でも髪を染めている子が多いから本当に残念だ。
「涼君? どうかした?」
その姿に見惚れていた俺に向かって、琴美が小首を傾げながらそう問い掛けてきた。
「えっ!? ああいや、どうもしないよ。中の手伝いに回るよ」
「うん。それじゃあお願いね」
にこっと笑顔を見せた琴美は、そのままウエイトレス衣装の長いスカートを
――危ない危ない……またあの笑顔に見惚れてしまった。
琴美が我が家の隣へ引越して来てからというもの、俺は琴美と関わる時間が増えて喜んでいたが、同時に琴美を意識する時間というのも増えた。それは俺にとってとても甘美な時間であると同時に、とても心が苦しくなる時間でもある。
それに前とは違って琴美が積極的に話し掛けて来る様になった今、その度合いは更に激しさを増すばかり。
ドギマギとして心臓に悪いけど、そんな感覚がどことなく嬉しく感じるのも事実だ。それはつまり、俺が幸せだという証拠なんだろう。
こうして琴美からのヘルプ要請を受け、我がクラスがやっている喫茶店の手伝いを始めたのはいいんだけど、俺は琴美のウエイトレス姿と笑顔を見た事で舞い上がっていて、店内の手伝いにおける最大の難点を忘れていた。
「――お、お待たせしたワン!」
可愛らしい犬の着ぐるみに身を包み、俺はお客さんの前で少しコミカルチックな高い声を出す。そして目の前にある白いテーブルクロスが敷かれた机の集まりの上に、俺は苺のショートケーキが乗ったお皿とオレンジジュースの入ったグラスを置いた。
「ありがとう! ワンちゃん!」
ケーキが乗ったお皿を嬉しそうに取る小さな女の子。そしてその女の子をにこにことした笑顔で見つめるおばあちゃん。
そして用意されたフォークを使って美味しそうにケーキを食べる女の子はとても可愛らしく、どことなくだがその姿は、初めてケーキを食べた時の明日香を思い出させる。
ケーキを食べている女の子は見た目で言うと小学校一年生から二年生ってところだろうけど、子供だろうと大人だろうと、女性はやはり甘い物に目がない人が多いのだろう。
それにしても、いくらこういうイベント用に動きやすく改造されている着ぐるみとはいえ、やはりずっと動いていれば自然と汗もかいてくる。最初は冬だから暖かくてちょうどいいかも――なんて思っていたけど、それも十分と経たない内に甘い考えだった事を思い知らされた。
そんな事を思いながら周りを見渡せば、俺と同じ様に接客に出された男子達がそれぞれに違った着ぐるみを着せられ、そのキャラクターを演じつつコミカルな接客をしている。
まあ、女子がウエイトレス衣装で接客をする代わりに男子は着ぐるみでの接客を受け入れたのだから、今更文句の言いようもない。というか、女子のウエイトレス姿を見たいばかりに、それを受け入れた男子連中も相当にアホだと思う。
だけどそんな欲望に率直であるところが、なんとも男子高校生っぽいじゃないか。かくいう俺も、採決の際にその提案を受け入れる事に賛成したアホの一人だ。
しかし後悔はしていない。琴美のウエイトレス姿が見られたんだから。できればあとで一枚でもいいから、今の琴美の写真を記念に撮って残しておきたいくらいだ。
――ダメ元で琴美にお願いしてみよっかな?
「こらーっ、そこのワンちゃん! さぼってちゃダメだぞー!」
注文された品を運び終えた俺がそんな事を考えながらぼーっとしていると、琴美が明るく可愛らしい声でそんな事を言った。
「ご、ごめんだワン!」
着ぐるみを着ている時は絶対にそのキャラクターを崩さない――それも女子にウエイトレス衣装を着てもらう為に男子が飲んだ条件の一つだ。恥ずかしい事この上ないが、約束した以上は仕方がない。
俺は犬キャラの設定を守りつつ、琴美に向かって謝った。するとそれを見ていたクラスメイトやお客さん達が、俺を見ながらくすくすと笑った。
そして琴美はそんな俺に向かって舌を小さくぺろっと出し、楽しそうにしていた。
忙しいながらもこの状況を楽しむ姿には感心するけど、みんなの前で俺を晒し者にした琴美は許し難い。
――よし。あとで腹いせにあのウエイトレス姿を写真に撮ってやろう。
そんな事を強く心に思いつつ、俺は与えられた仕事をこなしていった。
× × × ×
「涼君。一緒にお昼休憩に行かない?」
賑わっていた店内が少し落ち着きを見せ始めた十四時過ぎ。
教室内にある大きな白い布で仕切られた道具置き場。そこで暑苦しい着ぐるみの頭部分を外して喉を潤していた俺のもとに琴美がやって来て、にこやかにそんな事を聞いてきた。
「えっ!?」
「あっ、何か用事でもあったのかな?」
俺が驚いたリアクションをとったせいか、それを見た琴美はしゅんとした感じの表情を見せた。
「よ、用事なんてあるわけないさ!」
「本当? それじゃあ、一緒に行ってくれる?」
その言葉に表情を明るくし、琴美は小首を傾げながら再びそう聞いてくる。
――い、いかん。可愛すぎてクラクラするぜ……。
これがギャルゲーにおけるシチュエーションだとしたら、俺は迷わず琴美を抱き締めていただろう。
「も、もちろんさ! ちょっと着替えて来るから待っててくれ」
「あっ、涼君。せっかくだからそのまま学園内を回ろうよ♪」
「えっ!? この格好でか?」
「うん♪」
――犬の着ぐるみを着たままで学園内をうろつくとか、恥ずかしくてしょうがないんだが。
「……どうしてこの格好のままがいいんだ?」
「だって……可愛いんだもん。その着ぐるみを着た涼君……」
好きな女の子に上目遣いでこんな事を言われたら、男としては断る理由を探す方が苦労する。
「……分かったよ」
「やった!」
俺の返答に嬉しそうな笑顔を見せる琴美。こういった子供っぽさは相変わらずみたいだ。
それにしても、この格好で学園内をうろつくなんて普通なら絶対に断るところだけど、琴美の頼みだから俺はそれを受け入れた。しかし俺だけが恥ずかしめを受けるというのは不公平なので、俺からも一つ琴美に提案をする事にした。
「なあ、琴美。交換条件てわけじゃないけど、俺もこの格好で行くから、琴美もそのウエイトレス姿で一緒に行かないか?」
「えっ!? この格好で? は、恥ずかしいよ……」
琴美は顔を紅くし、両手を握り合わせながらモジモジとし始めた。
「琴美のウエイトレス姿、めちゃくちゃ良く似合ってて可愛いし、そんな姿を見れる機会なんて文化祭くらいしかないだろ? だからその……そのままの琴美と一緒に居たいって言うかなんて言うか……」
「そうなんだ…………うん。分かった。それじゃあ私もこのまま行くね。お店の宣伝にもなるだろうし。それじゃあ行こう♪」
そう言って琴美は俺の右手を握り、楽しそうに教室の外へと引っ張って行く。
「お、おい! そんなに慌てなくても――」
その言葉を聞いても尚、琴美は楽しそうにしながら俺の手を引っ張って行く。
こうして俺と琴美は、犬の着ぐるみとウエイトレス衣装という格好のまま、学園内を見て回る事になった。
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