第27話・妖精からのお言葉

 楽しかった夏休みも終わり、二学期が始まってそろそろ一週間が経つ。

 厳しい夏の暑さがまだまだ続く外では、ギラギラと輝く太陽がその光の下に居るもの全てを容赦なく熱している。そしてその熱気は外だけに留まらず、こうやって室内で授業を受けている俺達にも色濃い影響をもたらしていた。

 勉強するのは別に苦ではないけど、この暑い環境下での授業というのは正直辛い。

 教室にあるエアコンは滅多な事では稼働しないと聞いていたとおり、入学してからまだ五ヶ月ほどではあるが、一度もこのエアコンが稼動しているのを見た事がない。いくらエコロジーを叫んでいるご時世とはいえ、こういう時にエアコンを使わないなんて、ただの宝の持ち腐れとしか思えない。


「明日香。大丈夫かな」


 開け放った窓の外へと視線を向け、誰にも聞こえない様な小さな声でぽつりとそう言葉を漏らす。

 夏休み前の三週間だけしか学校に行ってない明日香にとっては、これからが学校生活の本番と言ってもいいだろう。

 そしてこの一週間は特に何事もなく過ごせている様子だが、やはりそれでも心配にはなる。まあ、学校には由梨ちゃんも居るわけだし、過剰に心配する必要はないだろうけど。

 外に向けた視線を黒板へと戻し、再び先生の言葉に耳を傾ける。そしてふと視線を黒板の中心の上部、そこに設置されている丸型の壁掛けアナログ時計へ向けると、あと五分で授業が終わる事を指し示していた。

 それにしても、小学生の頃から思っていた事だけど、授業中の残り十分とか五分ってのは、認識してしまうとなぜこうも長く感じてしまうんだろうか。

 そんな事を思いながら、俺はアナログ時計の秒針が進んで行くのをじっと見つめていた。


「――涼君、ちょっといいかな?」


 授業も終わって十分間の小休憩に入った時、椅子に座ったままウーンと背伸びをしていた俺のところに琴美がやって来た。


「えっ!? あっ、ああ。どうしたの?」


 不意に琴美から声を掛けられて動揺してしまい、俺はそれを取りつくろう様にしてコホンと咳払いをした。


「えっと、あの…………」


 いったいどうしたのだろうかと身構えていたが、琴美は何やらごにょごにょと口ごもったまま、視線をあちこちに泳がせていた。


「どうしたの?」

「えっ!? えっとあの……今日はいい天気だよね?」

「えっ? まあ、そうだね」


 確かにいい天気ではあるけど、いい天気過ぎて暑過ぎるくらいだ。俺としては少し曇ってくれてもいいと思う。


「えっと……さっきの授業、難しかったよね?」

「うーん。確かに難しかったけど、さっきの授業は琴美の得意分野じゃなかった?」

「えっ? そ、そうだったね……」


 どうも琴美の様子がおかしい。多分、誰が見たっておかしいと思うだろう。そしてそのおかしな態度を見ていれば、何か言いたい事があるのは察しがつく。

 そういえば小さな頃の琴美も、何か言い辛い事があるとこんな風に口ごもっていた気がする。


「何か言い辛い事?」

「あうっ……」


 どうやら図星だったらしく、琴美は何で分かったんだろう――と言った感じの驚いた表情をしていた。

 昔から琴美は、思っている事や感情が表情に出やすかった。まあそうは言っても、小学校に上がってしばらくしてからはそんなに遊ばなくなったから、そのへんは変わったのかもしれないと思っていたけど、どうやらそのあたりも昔のままだったみたいだ。


「じ、実はね――あっ……」


 ようやく決心がついたんだろうけど、琴美が何かを話そうとした瞬間、次の授業が始まるチャイムが学園内に鳴り響いた。


「あの……ごめんね。やっぱりなんでもないから」


 琴美はそう言うと、しゅんとしながら自分の席へと戻って行った。

 何を言いたかったのかは気になるところだけど、そろそろ先生も来るし、話を聞くのはあとからでも大丈夫だろうと、この時はそう思っていた。

 だけどそのあとはなぜか妙にタイミングが合わず、琴美と話す機会を作る事はできなかった。


× × × ×


 その日の夕刻。

 学園から帰ってリビングのソファーでのんびりとしていた俺は、思わぬ形で琴美が言いたかったであろう事を知った。


「それって本当か!?」

「う、うん。間違い無いよ。だって琴美お姉ちゃんから直接聞いたんだもん」


 明日香からもたらされた話を聞き、俺は愕然がくぜんとした。

 その内容とは、琴美が引越しをする――というものだった。


「そんな……」

「お兄ちゃん。琴美お姉ちゃんから何も聞いてないの?」

「あ、ああ。聞いてない」


 どうやら明日香の話を聞く限り、夏休みに入って間も無くの頃には引越しが決まっていたらしい。


「明日香。琴美が引っ越す日はいつなのか聞いてるか?」

「えっと……確か九月いっぱいまではこっちに居るって言ってたから、十月には引っ越すんじゃないかな?」


 ――マジかよ……てことはもう、三週間も経たない内に引っ越すって事じゃないか。


「琴美……どうして言ってくれなかったんだ?」


 そんな事を思わず呟いてしまったが、冷静に考えれば琴美が俺に引っ越す事をあらかじめ言う必要はない。幼馴染とは言え、それも肩書きだけの様なものだし、幼馴染としての交流なんて小学校に入って以降はほぼなかったみたいなものだから。


「せっかく仲良くなれたのにお別れなんて……」


 明日香のそんな呟きが、俺の中にある焦りの様な感情を更に強くする。

 そして明日香からもたらされた情報を聞いた俺は、まるで魂が抜けた様に茫然自失になり、夜になってベッドに入ったあともまったく寝付けないでいた。

 琴美がこの街から居なくなる――それは高確率で、今生こんじょうの別れとなる可能性が高い。そんな事を考えていると更に心がざわつき、眠るどころではなくなってくる。

 俺は琴美がこの街から居なくなる事をなんとか防げないかと考えてみたが、そもそも引越しの理由すら知らない俺にその方法を考えつくわけもない。もしも仮にその方法を思いついたとしても、それを高校生の俺にどうこうする事はできないだろう。


「涼太君。どうかしたの? 溜息なんてついちゃって」


 何度目になるか分からない溜息を吐いた時、どこからか戻って来たサクラがそう聞いてきた。俺はちょうど良いと機会だと思い、ベッドから上半身を起こしてサクラに話をしてみた。


「――なるほどね。そんな事があったんだ」

「ああ。なあ、サクラ。俺はどうしたらいいと思う?」

「そんな事、私に分かるはずないじゃない」


 サクラは俺の問い掛けにあっさりとそう答えた。しかしその言葉に冷たさは一切感じない。


「涼太君自身が分からない事が、私に分かるはずないもん。それに涼太君が何もしてないのに、どうにかなるわけないじゃない?」

「うっ……」


 正論中の正論。痛い所を突かれた俺は、ぐうの音も出なかった。


「涼太君。個人でやれる事なんて本当に限られてるの。だから自分が何をしたいのか、どうしたいのか、どうなってほしいのか、それをちゃんと考えなきゃダメだよ。涼太君はどうしたいの?」

「…………俺は、琴美にこの街から居なくなってほしくない」

「そっか。それが涼太君の望みなら、足掻いてみたら? 自分が望む様にする為には、何かをしてみるしかないんだから」


 サクラは至って真剣に言葉をつむいでいく。

 その様はまるで、弟を気に掛けるお姉さん――と言った感じの印象を受けた。


「結局人は自分の為に行動を起こして、それが結果として他人の為になってるって事がほとんどなの。もちろん逆の場合もあるけどね。ただ人って、ほとんどは自分の為にしか動けない生き物だって事は事実だと思うの。でもそれは、決して悪い事じゃない。だって人生の主役は、みんな誰でも自分なんだもん。自分が幸せである様にしたいと思うのは当然だと思う。だから私は、涼太君にこの言葉を送るよ。自分が幸せである為に最善を尽くせ――って」


 いつもとは雰囲気の違うサクラの言葉に、妙に納得させられた。

 確かに人は、すべからく自分の為にしか動いていない生き物だと思う。他人の為に動くとは言っても、それも結局は自分の自尊心や満足感などを得る為。行き着くところは自身の為なのだと。

 今回の場合もそうだ。俺は琴美とお別れしたくない。だけど琴美が引越しについてどう思っているのかが分からない以上、俺がどんな行動を起こしたとしても、結局は自分の為の行動という事になる。

 だけどサクラの言葉を聞いて決心はついた。このままモヤモヤとしているくらいなら、とりあえず何かをしてみようと。完全な自己満足にしかならないとしても、やるだけの事をやったなら、きっとそれなりに納得がいくはずだから。


「……ありがとな、サクラ。ちょっと気分がすっきりした気がするよ」

「私は二人のお姉さんだからね。涼太君ももっと私を頼ってくれていいんだよ?」


 さっきの真面目さはどこへやら。サクラはいつもの様におちゃらけた感じで擦り寄って来る。


「はいはい。頼りにさせてもらうよ。サクラお姉さん」


 そんなサクラのノリに乗ってそう答えると、サクラは満足そうにしてウンウンと何度も頷いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る