第40話(愛海編 梅の宿編)
スマホのアラームが鳴って目を開ける。
――もう時間か。
あっという間だなと思いながら連発するコケコッコーを止めて上体を起こす。
「……」
そのまま、しばらくじーっとしてた。
ちょい猫背の体勢でずっと前を向いて、何も考えないでいる。
ようやく右手が動く。頭の後ろをポリポリと掻いた。
横になっても、上体を起こしても頭の中はぼんやりとしている。
お昼寝しようと思ったけど眠れなかった。アラームが鳴るまでずーっと寝れずにだらだらぼーっとしていた。
――いいかげん動くか。
もう準備しなければならないのに、なぜか動こうとしない。さっさと動いて頭も視界もハッキリとさせなければ。
ベッドから離れると寒気を感じた。お昼頃から薄暗くしていた部屋はいつの間にか冷えた空気が漂っていた。日差しが落ちたせいだろう。ずっとぬくぬくした布団の中にいたせいか、大分冷えていたことに少しも気づかなかった。
――会場はもっと寒いだろうな。
結構な時間が経っている。今から準備して家を出て、バスに乗ったらギリギリ開場時間に着くといったところか。
起きてからのボーっと時間が長すぎた。これじゃあアラーム掛けた意味がない。大分余裕を持って行く予定が早くも崩れている。
服装に迷う時間はないので、いつも志穂に会いに行くような恰好にした。気合の入った格好をする必要がないことは郁美から聞いている。
準備を済ませ一階へ降りて居間に入る。行ってくるねとおかあさんに一言。
「いってらっしゃい。気をつけてね」
「ごはんはいらないから」
「向こうで食べてくるんでしょ?」
「うん」
最近食欲がない日が多い。今日もそんな日だ。
それでも食べなきゃだから、向こうに着いたらちょっとは食べるつもりではある。
当然、お母さんもそれに気づいてる。
「志穂ちゃんとたくさん食べてきなさい」
微笑むお母さんは何があったかは聞いてこない。
そっとしてくれていることをありがたく思う。何があったか聞かれて、あっさり答えられる内容ではない。
居間を出て、玄関へ向かうとちょうど
「あれ? どっか行くの?」
「朝言ったじゃん。梅の宿だよ」
「あーそういえばそんなこと言ってたな」
擦れ違って、玄関でしゃがんで靴を履く。寒いからブーツにした。
そして靴を履き終え、立ち上がって玄関のドアに手をかけたところで視線を感じた。
振り返って弟と目が合う。
「……」
既に二階に上がったと思っていた弟はだまってじーっとこっちを見ている。
「なに?」と顔をしかめて言うと「あのさ――」と少し言い難そうな顔をした。
「――どうかした?」
「……」
聞かれて口ごもる。お節介な弟はまた人の顔を見て余計なことを感じとっていた。
「ちょっとね――」
でも不思議だ。
今日は弟のそれに少しもうんざりしない。
「――緊張してるんだ」
そう言えるほどに今の私は素直な気持ちでいる。
意外だったのか譲は目を丸くした。
「和らげるいい方法ないかな?」
上手く笑えているだろうかと思いながら、薄く微笑んで相談してみる。
何言ってるんだろうと遅れて気づく。梅の宿で何かあるの? って聞かれたらどうするんだ?
尋ねられれば答えることなんてできない。無視してここから出なければならない。そうしたら弟はもっと怪しむだろう。
バカだな私と心の中で自嘲した。
でも譲は何も聞かない。少し目線を下げて少し考える人になる。
「んー……じゃあさ――」
それから提案してくれる。
「――ご飯食べてるときの鈴木さんの顔思い出せば?」
それは胸の奥をドキリとさせるものだった。
「……なんでハムスターとかじゃなくて志穂なの?」
なんとか平静を保って聞く。
一番の緊張の原因だというのにそれじゃあもっと緊張するって。
「いや、だってさ――」と私の心情に気づくことなく話したのは、以前に志穂がうちでご飯を食べてったときの話だった。
「――そのときの鈴木さんがモグモグしてる顔。姉ちゃん嬉しそうに見てたよ」
以前もその前もそうだと話す。嬉しさだけじゃなくて、ホッとしたような表情も混ざっていたと。犬猫の動画を観てるときの顔とおなじだったと、愚かな弟は教えてくれる。
「……そんな顔してた?」
「うん。してた」
志穂のおいしそうに食べる姿。
正直に言えば、私の料理をおいしく食べる志穂を見て嬉しいと思ったことは何度かある。でもそれが顔にまで出てたとは。
「じゃあそれ思い出しながら歩くよ」
ありがと。と背を向け、行ってくるねと玄関のドアに手を掛ける。
「気をつけてー」と言って、今度は本当に去って行く弟。それにほーいと返事しながらガチャリと玄関のドアを開ける。
そうして雲一つない快晴が私を出迎えた。
バタンと閉めたドアの前でその青を見上げる。朝からずっとこんな空だったのだろうか。
「……」
少し見上げてから、その青を吸い込むようにゆっくりと息を吸い込む。
そうして吐いた後、両手で頬を叩いた。
パンと音が響いたけど気にしない。
――しっかりせい。
そう自分に言う。こんな暗い顔で志穂の告白を受けるのか?
それは志穂に対して、告白してくれる人に対してすごく失礼だ。
どうやら弟のアドバイスは必要ない。目が覚めた。
青空を見上げたら、暗い表情も緊張感も綺麗に抜けてった。
どーんと来い。
真っ直ぐ受けてやる。
志穂が私を待っている。
もうこれ以上の遅れは許されない。
さあ行くぞと、遅れを取り戻すかのように大分軽くなった足を動かしていった。
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