第39話(戸田自転車商会編 梅の宿編)
最後の自転車修理が終わった。
「おし」と、腰を上げてスマホを取り出す。予め設定してあったアラームが鳴る前に終わらせることができた。集中できていたからとはいえ大分スムーズにいったと思う。
鳴らずに用済みとなったアラームを解除し、閉店作業へ移る。それが終わったら梅の宿だ。
行くかどうか迷ったが結局行くことにした。
参加はうちでは俺一人だけ。女房とバカ息子は誘ってはみたものの、帰ってきたばかりの女房は疲れているからパス。バカ息子も疲れていると言っていたが、間違いなく失恋の痛手が癒えていないからのパスだ(まだ続いている)。
会場にはおそらく藤沼さん以外に知り合いはいない。参加するといっても彼女に軽く挨拶し、梅をちょっと眺める程度で終わるだろう。
はっきり言って藤沼さんに顔を合わすのは少しばかり億劫ではある。だが理由は不明とはいえせっかく招待してくれたのだから、挨拶とお礼の言葉ぐらいは言いたい。
……そのとき、聞いてみるか?
俺を招待した理由。去年に死んだ守屋さんの代わりぐらいにしか思えないそれを聞くだけ聞いてみるかと思った。
――いや、いいか。
きっと大した理由じゃない。藤沼さんも忙しいだろうし気にしないことにした。人数合わせとかそんなところだろうと勝手に決めつける。
シャッターを閉める前に奥にいる女房に声をかける。昨日の夜に帰ってきたばかりの女房は疲れたといって今日は一日中くつろいでいた。
「おい」と言って居間を覗くと「ん?」とテレビに向けていた顔がこっちを向く。表面が緑色のメロンパンを咥えていた。
「行ってくるわ」
「もう行くの?」
「サッと行ってサッと帰ってくる」
「ごはんはいらないのよね?」」
「ああ」
「
一発ぶん殴った方がいいかと思ったが女房はほっときなさいの一言。おそろしいことに女房は昨日帰ってからバカ息子の顔を一目みただけでフラれたことに気づいたのだという。
母親ってのはそこまで鋭いものなのかと思うと今になってゾッとさせられる。俺もおふくろにはやってきたこと全て見破られていたのだろうか。
「――あ、そうだ。帰りにコンビニでスイーツ買ってきてよ」
またか。と思ったが口には出さない。
「この前のバスクなんとかってやつか?」
「それじゃなくてマリトッツォ。後で写真送るからそれとおんなじやつ買ってきて」
間違えないでよと言われ、へーいと返事する。めんどくせーと思いながらシャッターを閉めに戻った。
「おつかれー」
なぜか鈴木がいる。ひらひらと手を振って笑顔だが、どうやら俺を待ち構えていたようだ。
……いやな予感がする。
「どうしたいきなり」
「聞いて驚け。うちにちーちゃんが来た」
「は?」と首を傾げるが「ほら、お前が教えてくれた占い師の」と言われて思い出す。藤沼さんのお孫さん(姉)のことか。
「なんでお前の家に?」
「妹の郁美ちゃんが俺の娘とお友達なんだよ。間違いなくそれつながりだ」
「そういえばそんなこと言ってたな」
そして「いやーそれにしてもさっきは危なかったぜ」とわけのわからない話をし始める。
「事前にこうなるんじゃないかって何パターンか予測しといて正解だったわ。不意打ちであれ見せられてたら絶対ひっくり返って死んでたぞあれは。今日が俺の命日になってもおかしくない破壊力だった」
「……なんの話だ?」
意味がわからない。
そしてどこか落ち着きがない。いつもの調子はどこへ行ったのか。鈴木にしては珍しい。
「話は後だ。緊急の用事ができたから急いで準備してくれ」
ちょっとまてと呼び止める。話が一ミリもわからん。
「どこ行くんだ?」
「梅の宿。お前今から行くんだろ?」
「そうだが……」
「俺達も連れてってほしいんだ」
「どうした急に?」
「緊急の用事なんだ。頼む一生のお願いだ」
俺の疑問を放置したまま、パンッと両手を合わせて拝むようなポーズを取る。過去に十回ぐらいこの一生のお願いを聞いた憶えがある。
――とりあえず連れてきゃいいのか。
「……理由はわからんがわかった」
「サンキュー。運転は俺がするわ」と言ったので車のキーを投げ渡し、ちょっと待ってろと言って着替えに奥へ引っ込む。
――なんだか変な話になったな。
焼き肉屋では何も言わなかった鈴木が突然の参加。
しかも何か焦った様子だったな。
……緊急ってなんだ? 参加すればタダ飯が食えるとか、若いコンパニオンが見たいとかそんなことではないはずだ。藤沼さんの娘さんの話をしてたが何か関係があるのだろうか。
――ま、行けばわかることか。
さっさと着替える。鈴木も俺も近所を出歩くような恰好だがいいだろう。少し顔を出すだけのイベントだからそこまで気にすることもない。
そして上着を羽織ったところで、ふと鈴木の言ったことを思い出して首を傾げる。
『――俺達も連れてってほしいんだ』
――俺達?
はて、聞き間違いかと思いながら外へ出る。
鈴木が運転席に座っているので助手席側のドアを開いて座り、シートベルトを閉めようとしたそのときだった。
憶えのある甘ったるい香りが鼻を掠めた。
その瞬間「大吾――」と背後から呼ばれ、慌てて振り返る。
「――この状況説明できるか?」
後部座席にいたのは砂羽だった。
腕と足を組んでかなり不機嫌そうな顔でこっちを見ている。間違いなく砂羽の目には驚いて目を丸くする間抜けな俺の顔が映っているだろう。
「いや、全然わからん」
「だろうなぁ」とかなり深いため息を吐く。俺達ってのは聞き間違いではなかった。
「なんでお前ここに――」
「――さっきこのバカに無理矢理連れてかれたんだよ」とアゴで運転席側を差す。鈴木はすました顔をしている。
聞けば鈴木がいきなり店にやってきては有無を言わさず砂羽を持ち上げ、自転車の荷台に乗せてここまで連れて来たらしい。砂羽の店からここまで交番あったはずだがよく捕まらなかったな。
「お前、その恰好……」
「出勤してたんだから仕方ねーだろ!」とキレる砂羽。スナックで仕事するときの出で立ちだった。
「砂羽だけじゃねーぞ」と怒る砂羽を無視しながら鈴木は飄々とエンジンを始動させる。
「砂羽。泉来れるって言ってたろ?」
「まだ返事きてね――」のところで砂羽のスマホが鳴る。渋々と言った具合で取り出したスマホの画面をみると、またため息をついた。
「百パー行くから迎えに来いって」とその文面を読み上げると鈴木はニカッと笑う。
「そうだろうな。おーし、じゃあ行くぞおまえらー」と鈴木はナビを操作することなく泉のいる美容室に向かって車を走らせる。ここからの最短ルートは頭の中に入っているようだ。
車が着いた頃には既に帰宅の準備を終えていた泉。偉そうに腕を組んで店の前に立っていた。
「志穂が一大事ってどういうこと!?」
そして後部座席へ乗り込んで開口一番にそう言う。
俺も砂羽も『は?』を頭の中で浮かべる。鈴木の娘が一大事?
説明しろと泉が言って「まあ正確に言うと父親としての一大事だなー」と鈴木がのんびりと返す。
「大変なんだこれが」と発進し、すぐに交差点へ入った。右折ウインカーをつけ、安全確認を終えてから交差点を曲がる。
曲がり切って直進したところでようやく口を開いた。
「――どうやら俺の世界一カワイイ娘に好きなやつができたみたいでな」
「は? なんだそれ?」と砂羽。俺と泉は黙っていた。
「顔みただけでピンときたわ」と鈴木は続ける。
これからそいつと梅の宿でデートするみたいなんだ。父親としてそいつがどんな野郎か拝みに行かなきゃならんと鈴木は説明。
「ああ、でもお前らを連れてく理由はそれとは別だからな」
そして嬉々とした顔をしながら「すんげーびっくりするもんが見られるぞ」と話す。
「なんだよそれは?」と砂羽が聞けば「着いてからのお楽しみだ」とか「間違いなく梅の宿で一番綺麗だな」と言うだけ。肝心なことは教えてくれない。つまり行けばわかるということである。
「言っとくけど、行かなかったら後悔するぞ」
そして絶対に梅の宿へ行けと警告してくる。
「私は行く」と泉は即答。鈴木の娘の好きな人と聞いて帰る気にはなれないようだ。
「……何見せたいのか知らんけど、見たらすぐ帰るからな」と砂羽。突然の鈴木の奇行に驚きと怒りを感じながらも、言われたことは引っかかっているようだ。
俺は元々行くつもりだから、行かないってことはない。
正直、鈴木の娘に好きな人ができたと聞いて若干の抵抗はある。
でも別にそれだけであってそれ以上はない。相手がどんな男でも、鈴木の娘が選んだ相手なら暖かく見守ってやるべきだ。
むしろ相手見て発狂するかもしれない鈴木と泉を取り押さえる為にも、二人から目を離さないようにした方がいいかもしれない。
「――ところで砂羽」と泉の声。バックミラーを見ると砂羽をジロジロ見る泉が映った。
「どうしてそんな恰好してるの?」
「このバカに拉致られたんだよ」と砂羽はさっきの説明を繰り返し、ふーんと返す泉。
それから少しの無言が続く。
「……」
「……」
「……」
「……」
……なんか嫌な空気を感じ取った。
「…………相変わらずエロいなお前」
沈黙の後におっさんみたいなセリフを吐いたのは泉だった。
「ジロジロ見るな!」と砂羽が猫みたいに威嚇して警戒モードに入る。えへへと泉が近寄ろうとするのを「近寄るな!」と暴れ出す。
「ハハハハハ!」と鈴木が笑って砂羽がまたキレる。
ため息が出る。
でも懐かしいやり取りだ。
とはいえそんなものを感じ取っている場合ではない。果たしてこのまま砂羽を会場へ連れてっていいものなのだろうか? 服装自由とはいえ胸の谷間が目立つ。一旦家で着替えさせた方がいい気がしてきた。
「まぁーなんとなるだろ」と、俺の心を読んだ鈴木は楽観的。
「藤沼さんに見つからなきゃいーけどな」
「なんとかなるさ」
鈴木だけは余裕だ。こいつは昔からこうだ。藤沼さんには動じないタイプで教師や親の説教も耳から耳へ通り抜けさせることのできる朴念仁だ。そのせいか学生時代は周囲の大人からチンパンジーと呼ばれていたのを思い出す。
「さや香。その上着貸せ。それでちょっとは隠せるだろ」
「そうだな」と泉が上着を一枚脱いで砂羽がそれを羽織る。小柄なおかげか大き目の上着である程度はカバーできてる。
「あ、そうだ。そこに使い捨てカイロあるから好きなだけ使っていいぞ」と鈴木が前をみながら親指で後ろを指差す。
そこで気づいたが砂羽と泉の真ん中にはレジ袋が置いてあった。ガサゴソと中に手を入れた泉が「つま先用のやつまである」と取り出す。
「夜だから割と寒い。持ってった方がいいぞ」
そう言った鈴木に砂羽が「そういえば――」と思い出す。
「――普通に参加したことあるのって孝宏と美穂だけだったよな」
正確に言えば、鈴木は招待客としてではなく仕事での参加だ。
そして富岡が参加したのは高校生の頃。
丁度、今の鈴木の娘と同じくらいの歳だったのを記憶している。
「あたしら入って本当に大丈夫か?」と今さらとはいえさすがの砂羽も不安を隠せていない。
「藤沼の婆さん現役だしな」と泉も同じ顔。
「ちゃんと招待貰ってるんだから問題ねーよ」と鈴木だけは俺達とは真逆な表情。いったいどこからこんな余裕が出て来るんだか。
二人が不安を滲ませるのも無理はない。今日のこれを一体誰が予想できただろうか。
想定外なことを起こすのはいつだって鈴木とはいえ、久しぶりのこれには嫌な予感しか起こらない。
なんせ鈴木に俺に砂羽に泉。
かつて梅の宿に参加していた富岡に会いに藤沼邸へ無断侵入したメンバー全員が正面から堂々と出席するのだ。
これのどこにも良い予感があるとは思えなかった。
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