第35話(郁美編 後編 梅の宿編)


「――大きな家ね」

 ここで二人暮らしなの? とまーちゃんが志穂の家を見上げながら感想を言う。そういえば志穂の家に来るの初めてだったな。

 言われるまで気づかなかったが、確かにおじちゃんと二人暮らしなら結構な広さである。

 志穂に連絡すると、閉じられた玄関の引き戸の奥でガタン、ドコン、ドカドカボンと三回くらい何かにぶつかったような音が聞こえてきた。大丈夫か? 

 でもガラっと戸を開けた志穂はいつもどおり。今ので顔傷だらけとかじゃなかった。

「遅れてごめん」とちーちゃんが申し訳ないと思ってなさそうな顔で謝る。

「いや、大丈夫ッス」と志穂はちょっと顔が固い。緊張してるみたいだ。

 ――ま、告白があるわけだからそうなるわな。

 大丈夫かなとちょっと心配にはなるものの、こればかりは自分との戦いだ。黙って見守ってやることしかできない。

「あ! ちょ、ちょっと待ってて!」

 まだ散らかってるんだと言って、志穂はあたし達を玄関に残したまま二階へスーパーダッシュしていった。

「――んお?」

 そして奥から出てきたおじちゃんと出くわす。久々に会った。

「お久しぶりです」とあたしが先陣を切って挨拶。

「おおー郁美ちゃん。ほんと久しぶりだね。いらっしゃい」と相変わらず気さくな笑顔で挨拶してくれる。一年の頃に片手で数えられる程度しか会ってないけれど、ちゃんと名前を憶えててくれた。

 そして愛海がよく言ってるけど、相変わらずおじちゃんって感じがあまりしない。

「お邪魔します」と今度はちーちゃん。外ズラの良い顔を向けながらジッとおじちゃんの顔を見る。

「うん。いらっしゃい」

 そのちーちゃんとおじちゃんが目を合わせたときだった。

 おじちゃんが不思議そうな顔でちーちゃんを見る。対するちーちゃんはおじちゃんの視線を真っ直ぐ受け止め、ジッとおじちゃんの瞳を見ていた。

「……」

「……」

 ほんの少しの間、変な空気が流れていた。

「――ゆっくりしてってね」

 先に沈黙を破ったのはおじちゃんだった。

 ちーちゃんの強い視線には何も言わず、あたし達に背を向けると奥へと引っ込んでいく。

「……」

 ちーちゃんはそんなおじちゃんの背中が消えてなくなるまでじーっと見続けていた。


 ――どうやら、なんか視えたみたいだ。


 つい最近のことだ。

 我が姉から両親も知らないカミングアウトを受けた。

 一年前までは我が姉はメイクしてるときに相手の未来がわかるのだと言っていたが、実はそうじゃなくても、人を見ただけで何かが視えることがあるのだという。

 意識的に視るのではなく、自然に流れてくるというそんなサイキック能力を我が姉は幼い頃から持っていたらしい。

 何がスイッチになってそうなるかは本人もわかっていない。

 ただいきなり視えてしまう。

 過去であったり、未来であったり、本心であったりが。

 そしてそれが今起こっていたのだというのが、あたしと同じくそれを知っているまーちゃんにはわかった。

 一体おじちゃんの何が視えたのだろうか?

 知りたいところではあるが、ちーちゃんは自分が視たもののことは教えないというルールを持っている。


「――親冥利に尽きる」


 ところが、このときはボソッとそんなことを言っていた。

 無意識に出てしまったようだ。

 でもその意味をあたし達が当然わかるわけもなく、どういうことと聞いても教えてくれるわけもない。

 だからあたしもまーちゃんも黙っていた。

 それから「どうぞー!」と二階から志穂の声がする。

「おじゃましまーす」

 そう言ってちーちゃんは何事もなかったかのような顔をして玄関を上がる。

 ほんの一瞬、その横顔が嬉しそうにしているのが見えた。



「――さーて始めますか」

 志穂の部屋に着いて早々に準備が始まる。

 あたし達もそれに従い、いそいそと準備。それが終わるとちーちゃんが大きな化粧箱を開けた。

「おお」と、中身を見た志穂が声を出す。

「大袈裟なもんだよ。実際はこんなに使わない」

「そーなんすか」

「カッコつけていっぱい持って来ただけだからさ」

 だから緊張しないでリラックスしてろと、志穂を椅子に座らせる。

 そして志穂が落ち着いたところで「お前ら準備できてるか?」と呼び掛ける。

「いいわよ」とまーちゃん。あたしの方も大丈夫なので「おっけー」と返事。準備に抜かりはない。ちーちゃんから指示された通りのものはちゃんと持ってきた。

 それじゃあと言って、ちーちゃんが志穂と向かい合う。

 志穂の顔をじっと見つめ、薄く微笑んでから「始めるよ?」と尋ねる。

 コクリと頷く顔を前にすると「真央。まずは髪頼む」と指示。まーちゃんが言われたとおり志穂の髪をセットしていく、そしてメイク用に前髪を綺麗に分けていく。

 そうしている最中、ちーちゃんはずっと俯いていた。

 そしてまーちゃんの作業が終わると、ふーっと静かに深呼吸してから顔を上げる。

 志穂と向き合って瞳を合わせる。

 明らかに空気が変わった。

「……」

 無言でちーちゃんが箱の中から道具を手に取る。

 あたしらここにて気が散らないかなと思ったけど、出てけとは言われてない。ならばここで見させてもらおう。

 ……できればそうさせてほしい。

 今日を終えたらちーちゃんは国木からいなくなる。

 我が姉が人を彩る姿をしばらく見られなくなる。

 だから今日この時間を、じっくりと目に焼き付けさせてほしい。

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