第25話(綾編)


 気づかれるだろうなと思いながらも、上映中に隣をチラッと見てみる。

 隣に座っているのは陽菜じゃなく愛海だ。ついさっき映画館に一人でいるところを見つけて三人で一緒に観ようってことになった。

「……」

 チラッとどころではない。結構見てしまったかも。

 そして残念に思いながら視線をスクリーンに向ける。

 ちっとも気づかれなかった。愛海は飲み物のカップ片手に吸い込まれるように瞳をスクリーンの方へ向けている。

 以前の愛海だったら絶対気づいてた。

 私に恋をしてくれていたときの彼女なら絶対に……。

 ですよねーと思いながら聴こえない程度の小さな溜め息を漏らす。もう完全に私には興味がなくなったのかもしれないとマイナスな気持ちが出てくる。

 ――でも。だからといってそれだけで諦めようなんて気持ちは微塵もない。

 むしろ愛海に向かって行きたい気持ちは強くなる。

 私に向かってきてくれた少し前の愛海を思い出すと余計に。

 ――頑張るぞ。

 心の中で自分にファイトとエールを出す。

 前に進むしかない方法はない。そうしなければ私を見てくれない。

 そう決意して、その前にまずは映画に集中しなければと視線を前に向ける。観たい映画で昨日の夜から楽しみにしていたというのにこれではダメだ。今はこれを楽しまなければ。

 そして早速おもしろいシーンを見逃したっぽい。みんなが笑っているのに私だけ笑っていない。これでは陽菜に心配されてしまう。私も笑わなければ。

 そう思ってフフフと言ってみる。

「……」

 やってしまった。完全にタイミングが悪過ぎた。みんなの笑いが終わった後に言ってしまったせいで周囲の視線を集めてしまう。

 は、恥ずかしい……。



 スタッフロールが流れ終わり館内の照明が点いたと同時に陽菜が立ち上がる。

「いやーおもしろかった」

「だね」と体をのばす彼女に頷きながら私達も立ち上がる。ぞろぞろと出口に向かって階段を下りていく他のお客さん達へ続く。暗くて気づかなかったが結構なお客さんがいたようだ。出入口付近は少し混み合っている。

「結構人いたんだね」と陽菜。

「私も今気づいた」

 そしてやけに大人しいなと愛海の方を見る――なぜか周囲を警戒しながら映画館から出てくる愛海。私と陽菜を盾にしている。

「どうしたの?」

「……なんでもない」

 その感じはなんでもないってことはない。

 今日会ったときから愛海はこうだった。

 なぜか愛海一人で映画館にいたし私達を見るなりホッとした顔をしていたし。一体何があったのだろうか?

 まさかの愛海の参加に当初は心の中で歓喜の声を上げていた私だけど、様子がおかしすぎるせいか浮かれるよりも気に掛かってしまう。まるで誰かに追われているような感じだ。まさか愛海を付け狙う変質者がいるわけではあるまい。

 ……うーん。気になり過ぎる。



 お昼よりも先に映画を観たのでお次は遅めのお昼を食べに三人でハナコ電機へ向かった。

 ――けどなぜか愛海がここはやめてくれと店に着いた途端に拒否(小さな声で「ヤツがいる……」と呟く)。よくわからないままペロンモールへと場所を移動。入る前に愛海の顔を見てみると今度は普通の顔をしていたのでここは大丈夫なようだ。

 イートインコーナーで何を食べようか話し合ったものの意見が別れた。上がった候補はラーメン、パスタ、うどんとバラバラでどうするかどうしようかと散々迷っていたら結構な時間が過ぎていた。これなら夕飯もあることだし軽めのものにしようかということで陽菜の好きなたこ焼きとなった。

「さすが休日だな」と空いている席に座りながら陽菜が周囲を見渡す。広いイートインコーナーなので空いている席はあるものの利用者はそれなりに多い。家族連れが一番多くてその次は学生といった感じだ。

「考えてみれば全員麺類だから、どれ選んでも同じようなもんだったか」

 そう言いながらぶすっと爪楊枝を刺して最初の一個目を食べる陽菜。

「同じじゃない。全然違うよ」と私が言って愛海も頷く。

「でも陽菜がパスタを提案するなんて意外だったな。絶対お好み焼きって言うかと思ってたのに」

 そう言う愛海はできたてのアツアツにまだ一個も手をつけていない。冷めるのを待っているようだ。陽菜は気にせず二個目をパクってモグモグしている。

「アタシだって麺類食べたいときだってあるよ。でも考えてみたら愛海と食べに行くときはいつもそれ系だったな」

「この前は陽菜を仲間にするからって理由があったからね」

「そうだった。接待されたんだったアタシ」

 ピクリと耳が動く。

「陽菜はお好み焼きで協力したんだ」

「そういえば綾はなんであいつらのスパイになったんだ?」

 なにで釣られた? と言われ正直に話す。私はケーキと洋梨タルトが報酬だった。

 ある日の放課後。陽菜が家の手伝いで一緒に帰られなくなってしまい、仕方なく一人で下校していた私の前を不敵に笑う真帆がいきなりとおせんぼしたのだ。そしてケーキの他に戦いが終わった後は極上の洋梨タルトが食べられると聞いたので二つ返事でオーケーしたというのが全容である。

 しかもその極上洋梨タルトというのは――。

「私の作ったやつか!」と愛海が怒る。

「いや、正確には首藤さんが作ったわけだけどさ」

 愛海は知らず知らずのうちに私の報酬の準備をさせられていたことになる。

「だから郁美のやつ私からレシピ無理矢理奪ってったのか。材料も全部用意するとか言ってたから変だと思った」

 あいつら憶えとけよと怒る愛海。雪合戦の惜敗はもう綺麗さっぱり忘れたと言っていたけどこれで再燃してしまったかもしれない。黙ってた方が良かったようだ。

「あ、そういえば愛海。初恋の相手って思い出せたの?」

 そして突然の話題を飛ばした陽菜に今度は体全体がビクッとなった。

 え――は、初恋?

「それが全然思い出せないんだ」

「ど、どういうこと?」と二人を交互に見る。

「なんかよくわかんないだけど。接待のときにそんな話になったんだよ」

「そうそう」と二人は平然としている。そんな話してたの? 私なしで? ず、ずるい!

「く、詳しく」

「えっとね。愛海が初恋の相手憶えてないとかわけわからんこと言い出して。そりゃ嘘だろってアタシがツッコンだ話」

「だって本当に憶えてないからなぁ」

「さすがにそれはないだろ」

「うん。さすがにそれは……」

「観念してほんとのこと話せよ。アタシにだけ言わせて自分は言わないはないぞ」

「それがほんとに本当なんだよ」

 結局愛海は思い出せないの一点張り。

 小学生の頃に同じクラスの男子が好きだったことは憶えているけれど、顔と名前は一切憶えてないのだという。

 陽菜の言う通りそれはないとおもうけど、でも話しているときの愛海の表情を見ている分には本音を隠しているようには感じさせなかった。愛海は嘘がつけないタイプだし嘘はついてないと思う。

 けど……初恋を忘れるってそんなことあるかな?

 珍しいケースなだけに何かあったのだろうかと悪い予想をしてしまう。例えばその男の子から酷いフラれ方をしたとか……。

「お」

 ヒューイと陽菜のスマホが鳴った。

 画面を覗き込んだ陽菜は席を立つと周囲を見まわし、手を振る。視線の先を追ってみると陽菜のおばさんが近くで手を振っていた。

「え? あの位置だったら声掛けた方が早いんじゃ」と愛海。絶対そう言うだろうと思ったので「陽菜のお母さん照れ屋だから」と説明する。

「そうそう。照れ屋過ぎて喋らないんだよ」と陽菜。

「そうなの?」と愛海は信じているけれど照れ屋ではない。本当はすごく静かなだけだ。見た目陽菜に似ているから陽気に喋りそうな気がするけれど実際は挨拶程度だけでほとんど話をしない。

 へーと言いながら愛海は陽菜のおばさんを見つめる。そして暗い顔をし始めた。

「……陽菜のおばさんおっきいな」

「志穂も大きいし――」と次に私を見る。

「いや、私平均よりちょっと上なぐらいだからそんな大きくないよ」

 むしろ――

「――愛海が小さすぎるんだよ」と陽菜が言ってしまう。ああ、言っちゃダメ。

「ぬあー! なに食べたらそんなに大きくなれるんだよオマエラー!」と愛海は頭を抱える。



 食べ終わった後はどこへ行くかということになったけど、三人供行きたいところはなかったし時間も時間なので帰ろうということになった。

 屋外へ向かっていると「あ、そうだ」と愛海が何かを思い出す。

「いいかげん志穂に連絡しないとな」

「なにかあるの?」

「うん、まあ……」と少し暗くなって頷く。歯切れが悪い。

「どした? ケンカでもしたか?」と陽菜が尋ねると愛海はあーあーうーうー言い出し最終的には「ごめん。今は聞かないで」と言って黙ってしまう。志穂とケンカしたわけではないのなら、なにがあったんだろう。

 今日はよくわからない行動ばかり。不思議に思って陽菜と顔を合わせる。陽菜はやれやれのポーズ。

「――うげっ!」

 そして自動ドアをくぐって屋外へ出た瞬間、愛海が何かを発見し慌てて陽菜の後ろへ隠れる。

「おい。アタシの後ろに隠れたってことはアタシがデカイからか?」

「たまたまでしょ」と少しお怒り気味の陽菜をなだめながら愛海の視線の先を見る。駐輪場に隣接されているバイク置き場の方みたいだけど誰もいない。

「どしたの?」

「近くに志穂いる!?」と言われ、陽菜と二人で周囲を見回す。随分な慌てよう。

「いないけど?」

「セーフ」

「わかった。志穂と大規模なかくれんぼでもしてるんだろ? さっきから周囲を警戒してるのはそれだな」と陽菜。

「そんなスケールデカイ遊びを現役JKがやるか!」

 そう愛海は言うけれど雪合戦のときに郁美達とやっていたことを思い出すと必ずしもないとは言えない気はする。

「ここから早く離れよう。志穂のバイクがそこにある」と指差した先にあるのは以前にも見たことのある志穂の白いバイクだった。

「連絡取るんだろ? なら直接会ってもいいんじゃないのか?」

「ダメダメ! 今はダメ! とにかくダメ! もう少しインターバルほしいんだ」と愛海の意味不明は続く。

「まあなにがあったかよくわかんないけどさ――」と陽菜は白いバイクへ近づき「――これ本当に志穂のバイクか? 別の人のじゃない?」とバイクをじろじろと見回す。過去に三回くらい志穂と同じバイクに乗っている人を陽菜と一緒に見たことがあった。人気車種だというのを志穂から聞いた記憶がある。

「ナンバー憶えてるから間違いないよ」

「ほんとに? よく憶えてるな」

「あいつのナンバー憶えやすいんだよ。国木市血の肉屋だから」

 そう言われて陽菜と二人ピンク色のナンバープレートをじっと見つめる。


『国木市 ち 298』


「「確かに!」」と一斉に声が出た。

「もしかして家の車とかも語呂で全部憶えてるの?」

「ん、いや……うちのは憶えてないかな。下手すると一文字もわかんない」

「どんだけ志穂のこと好きなんだよ」と陽菜が笑う。いつものことなのに愛海は過剰に反応していた。

「おいやめろ! そういうんじゃない!」

「じゃあなんで志穂のはちゃんと憶えてて家のは全く憶えてないんだよ。好きで好きで仕方ないんだろ?」

「だからやめろって!」と愛海は怒り出す。バイク置き場から離れながら二人はギャーギャー言い合いを始め出した。

「アハハ」と二人を見て笑ったけど、でもその後で陽菜の言ったことに引っ掛かりを感じていたせいか黙ってしまう。

 それが妙に頭の中をぐるぐると回り出した。

 なんだろうと思いながら腕を組んで考えに入る。そうして隣で騒ぐ二人の声をBGMに広大なペロンモールの駐車場を歩きながら出口へ向かう。

 そうしてあることに気づいて「ねえ愛海――」と、まだ陽菜に怒り続ける愛海に聞いてみた。

「ん?」と言って陽菜を殴ろうとしていた愛海がこっちを振り返る。聞かない方がいいかなって一瞬思ったけれど、どうしても気になってしまった。

 だって、初恋を忘れるって絶対ないことだと思うし。

「――さっき言ってた初恋の話だけどさ」

「うん」

「本当はその男の子のこと。好きじゃなかったんじゃない?」

「え――」

 唐突な不意打ちだったようだ。驚いたままで愛海はこっちを見る。

「綾もやっぱそう思うんだ」と陽菜。

「うん。だって本当に好きだったら憶えてるよ。憶えてないってことは本当は好きじゃなかったんじゃないかなって」

「ええ……じゃあなんで私――」

「――例えば本当は別の人が好きだったとかさ」

 そう言うと「ええー?」と言って愛海は腕を組む。目を瞑って苦い顔をしながら小首を傾げる。記憶を振り返っているようだ。

「綾は憶えてる?」

 そう陽菜に言われて「もちろん」と即答。小2の頃の話で相手は大人しくて物静かな男の子だった。

 顔は今でも憶えている。失恋した理由も。

 実は陽菜には言ってないけれど、その子は陽菜のことが好きだった。

 遠くでその子を見ていてそれに気づいて、私の初恋はあっけなく終わってしまった。

 そのときはそれが恋とは気づかなかったけど、後になって振り返るとそれが初恋だったなって気づいた。

「……」

 ……不思議に思う。

 あの頃は次も、その次も男の子に恋をするのだろうと思っていたのに。

 それが今はすぐ隣にいる女の子に恋をしているのだから。

「――あれ?」

 隣を歩いていたはずの愛海がいなくなっていることに気づく。陽菜と足を止め、後ろを振り返る。

 愛海の足が止まっていた。

 考えるポーズを取っていたのにそれが解けて、棒立ちのままででじっとしている。

「愛海?」

 少し俯いた彼女に呼び掛けても返事がない。彼女だけ時が止まったかのように硬直している。偶々すぐそばを歩いていた男の人が擦れ違いざまに愛海を不思議そうに見ていた。

「どうしたの?」

 傍に近寄って聞いても「あ、いや……」と否定するだけ。でも様子のおかしさは映画館で見たときとは完全に違っている。

「気分でも悪くなった?」と尋ねるけど「なんでもない」とだけ言って足早に先へ行ってしまう。

 なんだか酷く動揺している。

 しかも何かを隠そうとするかのように私達から距離を離して歩いていく。

 そして先に敷地外へ出て赤信号を渡ろうとするのを見て、私達は全力で止めに入った。

「ちょっと!」と足の速い陽菜が全力ダッシュで愛海の腕を掴む。赤信号を歩こうとしていたことに気づかなかったのか愛海は驚いた顔をする。

「危ないって」

 赤信号と前を駆け抜けていく車を見ながらようやく気づいたのか「――あ、ごめん」と謝る。

 ちょっとボーっとしてた。もう大丈夫と言うけれどこれは絶対に大丈夫じゃない。

 一人で帰らせない方がいいと思った。そんな危機感が生まれるほどに今の愛海はおかしい。

 愛海とは家が逆方向だから帰り道は違う。帰りが遅くなってしまうけど、このまま家まで一緒に帰った方がいい。

「――母さん?」

 そう思っていると陽菜が電話を掛けていた。おばさんがまだ店内にいるらしく愛海を家まで送れるか頼んでいる。

「――すぐ行く」

 電話を切った陽菜が「送ってくからこっち来て」と愛海の腕を掴んで連れて行く。大丈夫だよとなぜか抵抗するのを見て私も彼女の腕を取った。

「お願いだからそうして」

 真剣な目で言われたせいだろう。愛海は少しの間を置いてから頷いてくれた。

 そして顔を見られたくないのかすぐに目を背ける。悟られたくないなにかがあるようで、それを必死に隠そうとしている。

 それから突然豹変した愛海の態度は家に送り届けるまで変わることはなかった。

 陽菜のお母さんに車を運転してもらっている間も一言も話さない。呆然としているというか心ここにあらずというか。後部座席に座る私の隣で彼女そっくりの人形でも座らせているかのように微動だにしない。向ける視線は窓の外だけだった。

 助手席に座る陽菜がチラチラと愛海の様子を窺っているのがわかる。体調不良でないことは陽菜にもわかっているだろう。

 ……何かを思い出したのだろうか。

 私と陽菜の言葉をキッカケに記憶を探ってから急にそんな状態になってしまった。

 もしかして……本当の相手が見つかったのかもしれない。


 初恋は男の子だったと言っていたけれど、顔も名前も憶えていない。

 恋をしていたことは憶えている。

 何度も恋愛相談をしに行っていた。


 それが本当はその男の子じゃなくて……別の人だった?

 そうだとしたらそれは誰だったんだろう。

 そもそも……本当に男の子だったのだろうか?


 結局愛海は最後まで口を閉ざしたままだった。

 車から降りてトボトボと歩いて行く彼女の背中を見ていると、車から降りて彼女に駆け寄りたくなった。

 声を掛けて、手を握って、何があったか聞きたかった。

 でもそれができないまま、ぐっと抑え込む。

 踏み入ってはいけない気がした。

 そうして愛海を見送るだけで、私はその日を終わらせた。

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