第15話(郁美編)
「――というわけだ」
腕組みでちーちゃんが全てを語り終える。
「……」
それに向かい合って同じく腕を組んで聞いているのは以前美容室で志穂の髪を整えてくれた
そして少しの間を置いてから「わかったわ――」と頷く。そして驚いた顔をするちーちゃんの前に手を差し出す。
「――今回は千明の言う通りにするわ」
ちーちゃんもそれに応じる。ガシっと手が交わされたのを見てようやくあたしはホッとすることができた。
今ここに悲願の和解と協力関係が成立する。
「ありがとな真央」
対面したときの厳しい表情はどこへ行ったのか、やんわり顔のちーちゃんは握手した手を上下にぶんぶんする。
「でも次は私の意見を通させてもらうわよ? 私だってあの子を綺麗にしてあげたいんだから」
譲歩してはくれたものの、そう念押しするまーちゃんの瞳は鋭い。
「わーかってる、わかってるー♪」と頷くちーちゃんだがほんとにわかってるのかな。
……まあなにはともあれ、ようやく二人は和解してくれたのだ。良しなのは間違いない。
――これでようやく本題に入れるな。
二人が美容室で大ゲンカしてから数カ月。その間あたしはずっとケンカした二人の仲を修復しようと間に入って説得を試みていた。
そう。この数カ月間ずっとこの頑固者二人は石像のように一ミリも譲ろうとしなかったのだ。
ちーちゃんは自分達の技術をなるべく目立たせないようにして作るべきだと話し。
まーちゃんはその逆で最大限に彩らせるべきだと話す。
かつて付き合っていた二人とは思えないほどに怒りを
というわけで真帆に救いの手を求めた。
当初志穂からは真帆と愛海には内緒にしてくれとは言われていたが、あたしだけで二人の関係を修復するのは不可能だった。
状況が状況。だから許せ志穂ということで真帆に事情を説明して望みを託す。
とはいえ真帆に言うのはセーフなのはわかっている。志穂が本当に知られたくないのは愛海だけのはずだから。
志穂は単に愛海の為にこっそりと綺麗になりたいだけなのだ。
その願いを叶えてやる為に真帆に協力を求めたのは正解だったと今思う。
二週間ほど前。突然のことだったにも関わらず、長々と事情を聞いてくれた真帆はわかったと頷くとすぐに立ち上がって動いてくれた。
『互いの譲れない理由をもっと深く聞こう』
そう言って二人で粘り強く交渉をしにわざわざ両者の家まで訪ねてはまーちゃんとちーちゃんの二人と話し合った。
そしてその成果は今目の前にあるとおり。
まーちゃんが譲るという形で争いが幕を閉じた。
つまりそれほどの理由をちーちゃんは最初から持っていたということになる。それさえ最初から出しておけば良かったものを、まーちゃんには関係のないことだからと勝手に決めつけて口に出さなかったのだ。
『――最後にあのババアにあたしの芸術を拝ませてやる』
ちーちゃんのどうしても引かない理由。
それはあたし――というか藤沼の家にとっては驚きの理由でもある。
ちーちゃんが婆ちゃんとケンカ別れしてから数年。既に仲直りさせることを諦めたのはあたしだけでなく両親も親族もそうだ。
関係が修復されることなんて一生ない。
ありえない。
互いにそう言い合い一瞬でも顔を合わせなかった二人。
そんな二人の内の一人であるちーちゃんに奇跡が起こった。
『――あのババアが生きてる内に本物の美ってもんを教えといてやる』
婆ちゃんと顔を合わせに行くと言い出したのである。
ちなみに婆ちゃんが近い内に死ぬとかそんな予定は全くない。
そうじゃなくてちーちゃんが
ちーちゃんは先月の頭に仕事を辞めていた。
会社で学ぶことなんてこれ以上ない。むしろ無駄な時間だったと言ってあっさり会社から背を向け、今は動画配信をメインにして収入を得ている。
ここ最近はメイク講座だけではなくゲーム配信ばかりしていた。どうしてそうなったのかはわからんけどそっちも好評を得ている。
『残念美人のリアクションがおもしろい』
『言葉のチョイスがいい』
意外なことに口の悪い我が姉はリスナー達からそんなお褒めの言葉を頂戴しており、気づけば女性が大半だった会員数は男性会員も多くなっていた。しかも人気動画配信者のトップランクに君臨していたし、地上波テレビのバラエティ番組向けの出演オファーも何度かきたことがあったのだという。
だがこの配信業もちーちゃんからしてみれば次に移る為の下準備なのだというから驚きだ。小学生のなりたい職業ランキング上位を占める動画配信を踏み台にして我が姉は更なる高みへと登り詰めるのだという。
あたしの知らない所で姉はどんどん大きくなっていた。
はっきり言って我が姉は厄介な性格をしている。でもこういう姉だからこそ、遠くない未来で予想をはるかに上回る実績を残しながら世界中を歩き回ったりするのだろうと思った。
ぼーっと、のんびりとした毎日を送るのが好きなあたしには理解できない。
でもちーちゃんがどんな
――で、その前にやるべきことが婆ちゃんに自分の作品を見せることなのだとか。
『あたしがどれだけ偉大な人間であるかをあのババアに見せてやらないと』
ちーちゃんの最大の目的。
それはおそろしいほどの傲慢で仲直りとかじゃない。
そうじゃなくて自分が人生を賭けて打ち込んできた技術をお披露目して婆ちゃんに感動を与え、生涯消えない記憶として婆ちゃんの頭の中に植え付けることだった。
あの婆ちゃんがそれをちーちゃんの目の前で認めるかどうかなんてことは関係ない。ちーちゃんはあのババアがあたしに謝ったり認めたりするわけないだろうと豪語している。そんなことわかりきったことだと。
『心の奥底で本音が出ればそれでいいんだよ』
口から出たものじゃなく、誰にも聴こえない心の奥底でちーちゃんの作品を綺麗だと思わせればそれでいいのだという。
『大概そういうのは顔に出るからわかる』
そしてその結果が出ることを信じて疑わない。
それは自分の技術に絶対的な自信があるのと、もうひとつは志穂に出会ったからだろう。
『ビビッときた』
初めて志穂と出会ったときにちーちゃんは言っていた。そしてこれ以上にない逸材だと絶賛して珍しくあたしを褒めた。
――つまりちーちゃんは、志穂をベースにした作品を婆ちゃんに見せるつもりなのだ。
ちーちゃんは作品の為に。
志穂は綺麗になる為に。
これはどちらの望みも叶うことになるわけだから、互いにウィンウィンな関係ってやつなんだろう。
まーちゃんという壁があったおかげで少し遠回りになってはしまったが、まーちゃんは過去にちーちゃんの
それにはまーちゃんも納得いかないようだ。だから今回の件は譲歩してちーちゃんに全面協力することを選んでくれたのだ。
そしてこれ以上の壁はもうない。
今日までちーちゃんは志穂に下準備することだけは徹底させていた。だから志穂側の不備もないはず。
あとはちーちゃんとまーちゃんの二人が動くだけ――というかもう動いている。目の前で二人真剣な話し合いを始め出した。これなら志穂の願いはすぐに叶えられるだろうと確信する。
――色々と待たせてごめんな志穂。
そう心の中で謝っていると、ガラッと襖が開く。
「――買ってきたよ」と入ってきたのはビニール袋片手に持つ真帆。近くのコンビニへ買い出しに行っていたのだ。
「おかえり」
「ごまあんまんだけラストひとつだった」と真帆は寒そうに頬を赤くする。
「ラッキー」と立ち上がってお茶を入れる。お湯はもう帰ってくるだろうと思って沸かしておいた。
「あつつ」
「うまうま」
袋から取り出しおやつをメインにばーちゃんから貰った高級茶を二人で啜る。高級なのにコンビニの肉マンの脇役にさせたと知ったら婆ちゃんから文句を言われそうだが知ったこっちゃない(コンビニなめんなよ!)
「和解が無事に済んだんだね」と真帆は視線の先にいる二人を見る。
「ようやく落ち着いてくれたよ」
二人はアタシ達の会話なんか耳に入っていない。お茶淹れたよーと声を掛けても「ああ」とか「うん」とか適当に返事するだけ。これからのことをどうするかで真剣に話し合う二人には周囲の事なんかほとんど目に入らない。
「サンキューな真帆」
「いいよー」と真帆はあんまんをぱくり。モグモグと咀嚼する顔は実においしそうだ。
「これでようやく志穂を綺麗にしてやれるな」
「え? 今の志穂汚いの?」
「いや違う違う」と笑う。わかってるくせにわざと言いやがって。
「言葉のチョイスを間違えただけ。真帆もわかってるだろ?」
「えー? なんのことー?」ととぼけられる。まったく。
でも元々綺麗だろなんて恥ずかしくて口には出し難い。
……愛海に恋をしてからだな。
そこから志穂は少しずつ変わってきた。女は恋をすると綺麗になるって聞くけどあれは本当だなと見ていて思わされる。
――でも。
真価はまだ発揮されていない。
それをちーちゃんが引き出して。
まなみんがそれを見て。
そして志穂がまなみんに気持ちを打ち明ける。
そのとき――どうなるかな?
「あっ」
志穂で思い出す。
「――そういえば真帆。志穂の彼氏のことだけどさ」
先週くらいから志穂を狙ってるっぽい男子の間で流れている噂。志穂に彼氏がいるという。
「本人に問い質したよ。やっぱり架空の人物だった」
「やっぱりか」
「去年の秋ぐらいから男子数人に告白されたからそれ対策なんだって」
「まじか。すげーな」
「志穂が顔赤くしながら『愛海のことは少しも諦めてないから!』って言ってておもしろかった」
「それ見たかったなー」
「可愛かったよ」と真帆は笑う。
「その効果はあったのか?」
「こうかはばつぐん」と懐かしいセリフで言う。本気で信じた男子は多かったようだ。
「愛海はそのこと知ってるのかな?」
「知ったら大騒ぎして私達に連絡くるよ」
「そうだな。ぬあーとか言って暴れそうだな」
アハハと笑う真帆だったが「あっ、そうだ――」と何かを思い出すと脱いだコートのポケットを探り出す。
「――愛海で思い出した。これおばさんから」
あたしと真帆宛ての手紙。一階で母さんから渡されたらしい。
「随分と古風なやつきたな」
時代劇に出てきそうな手紙にはデカデカと墨時で真ん中に『果し合い』と書かれてある。裏には上塚愛海と達筆で書かれてあった。妙なところに力入れてる。
「これ本人が書いたのか? 無駄なこだわり見せてんなー」
自宅で何度も練習している姿を想像すると笑いそうになる。
「それだけ自信もあるってことじゃない?」
「なるほど。ならこっちも本腰入れないとな。あの作戦はどうなった?」
「もう本人に話したよ」
「早っ」
行動が早い。真帆もまなみん達を返り討ちにする気満々だ。
「それで?」
「喜んでオーケーしてくれた」
「やったな」
「愛海も志穂も絶対油断する。期待値は高いよ」
「じゃあそれでいくか」
ニシシと二人で不敵な笑みを作り合う。
「でも問題は天気だよね。本当に今週降るのかな?」
そう言った真帆が窓の外を見る。窓のすぐ傍にある裸の木が風に揺られる。背景の青空を備えた窓の一画は冬らしいといえばそんな景色ではあるが、雪化粧のないそれは寂寥感の方が強い。
先週降るといっていた雪の予報は外れたが、今週末は高確率と言われている。
あくまで予報とはいえ、先週には感じなかった降る予感はあたしの中にある。この手紙を投函したまなみんもおそらく同じだろう。だからわざわざうちのポストにまで入れにきたのだ。
「もう降ると断定して動こう。まなみんもそうしてることだし」
「そうだね。じゃあさ――」と真帆はアレコレと追加の作戦案を出してくる。それにあたしが頷いたり首を横に振ったりしてしばらくの間話し合った。
そして話がひと段落してから気づく。まーちゃんとちーちゃんはいつの間にか姿を消していた。
部屋にはあたしと真帆だけ。おかしなことにあたしが淹れた二人のお茶は全部飲まれてあったし二人のあんまんもなくなっている。
「……」
「……」
不思議なこともあるもんだと、シーンとした中でお茶をズーズーする。
「ところでさ――」
その空気を破るようにして真帆が話題を出した。
僅かにこちらに顔を向けたのでそれに合わせるように真帆の方を見る。
「――もう誕生日まで半年もないけど」
目が合ってから真帆は口に出した。
「……」
予想にないことを言われ、少し面食らう。
真帆はこちらの動揺なんて気にもしていないといった風でじっとこっちを見ている。
――どうするの?
目で尋ねられる。
正直言うと、どこでとかはまだ考えていない。
なんとなく今思ったことだが――
「――静かなところがいいかな」
欲羽山が浮かんだ。
でも外は難しいか。そのときは4月になっているとはいえまだちょっと寒い。真帆は寒いのに弱い。
そうなると家。アタシの家か……真帆の家。どちらも難しそうだな。
「――欲羽山じゃだめ?」
しかし意外な提案が飛んで来る。
「いいけど寒くないか?」
「私もやりたいことあるからさ」
「やりたいこと?」
「うん。外じゃないと困ること」
「なにするんだ?」
キスする以外になにかあるのか?
「そのときになったら教えるよ」
微笑んで終わらされる。それでもう別の話題へと移らされた。
なんだよ教えろよと言いたかったが、なんとなくそれは飲み込むことにする。真帆のことだから何か企んでいるのだろう。
それがなにかはわからないけど、まあ当日のお楽しみということにしておくことにした。
そして真帆が帰って数時間後の夜。
いきなりちーちゃんが部屋に入ってくる。
「郁美。梅の宿の参加証準備しといて」とマジな顔して言われた。
「えええーーーー!」
聞いていなかった婆ちゃんに見せつける日って……まさかのその日!? しかも夜!
「ババアが顔出す日であたしの実力をわからせやすいのに適した日はその日しかないだろ?」
「いや、だからって今からはさすがに遅いよ!」
「志穂にはもうその日空けとけって言ったし、真央にも仕事休みにするように言っておいた。二人からはオッケーもらった。だからもう遅い。残念だったな諦めろ」
「遅いのはそっちだって!」
「大丈夫。ババアに可愛がられてるお前ならやれる。いけ! 次代の藤沼家当主!」
そう言って時代劇みたいな設定と厄介な面倒事を押し付けるとちーちゃんは部屋に引き込もってしまった。
部屋にポツンと残されたあたしはさてどうするかと腕を組む。もうないと思っていた壁が一瞬で発生してしまった。
……とりあえずまーちゃんと志穂の分なら大丈夫だ。問題はちーちゃんの参加証。
志穂とまーちゃんならあたしの友達ってことで通せるけど、かつて藤沼邸で散々悪さしたちーちゃんは出禁喰らってる。
婆ちゃんは参加証配った全員のリストは必ずチェックするし、当日は参加証所持者の家族又は友人は参加できるけど、受付で必ず名前は書かされる。受付は藤沼家の親族がするから一発でちーちゃんだとバレる。
てか……顔みたら卒倒するか大騒ぎになるぞ。
あ……なんか強烈な不安が襲ってきた。
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