第5話(愛海編 後編)
鈴木家の台所で朝ごはんを作っていると、ドンドンドンと足音が迫って来る。振り返ったところでおじさんがあくびをしながら台所へ入って来た。
「おはよーございます」
「んおっ!?」と、おじさんが私を見て驚く。寝ぼけまなこが一瞬で覚醒する瞬間を見た。
「お、俺の分あるか!?」
近くにいた志穂にそう尋ねている。起きてからの第一声がおはようではなくてそれなのは確保しないと志穂が全部食べてしまうからだろう。
「ないよ」
不満そうな顔の志穂が即答し「いや、あるでしょ」と私がツッコム。なぜ仲良く食べようとしないのだろうか。早い者勝ちルールしかない鈴木家の食糧戦争には本当に首を傾げる。
「ならいい」とホッとした顔をするおじさん。
「今日は早いですね」
「仕事でね。そんな急ぐことねーのに
もー迎え来てっかなと、おじさんは台所の窓から外を覗く。昔っから順ちゃんという名は耳にするけれど、どんな人かは全然知らない。
おじさんは飲食関係の仕事をやっているらしいけど、料理人なのか経営者なのか詳しくは何も知らない(料理が上手い方ではないので料理人は絶対にない)
鈴木家の謎のひとつでもあった。
実の娘である志穂も飲食関係のよーわからんことやってるとか言っているほどだ。お父さんとお母さんいわく結構凄い人らしいのだけど、まだ子供の私達にはおじさんの凄さは少しもわからない。
お母さん
「――お、まだ来てない。食う時間あるな。志穂、俺の分の皿とコップ用意しといてくれ」
「自分でやってよー」と志穂が文句を言うが、おじさんは無視してドタドタと足音を立てながら洗面所へと向かった。
「おじさんなんでスリッパ履かないの? 足寒くないのかな?」
「いっつもスリッパそこら辺に脱ぎ捨てるからどこにあるかわからないんだよ」
そう言いながら志穂が不満そうな顔でおじさんのお皿とコップを用意する。
「いただきまーす」
三人一斉に食卓で手を合わせ、朝のニュースを流しながら食べる。
そして目の前の親子は朝っぱらからよく食べる。ガツガツと私の作ったオムライスを食べておかわりまでするのを見て、私との体のつくりの違いを思い知らされた。私なんかフレンチトースト一枚で終わったというのに。
だから背伸びなかったのかと、今更知っても遅い現実を痛感する。はぁっとため息をついているところでおじさんが先に食べ終わった。
「相変わらずうまいなぁー。頼むから将来はウチの家の前で飲食店でも開いてくれよ」
そう笑いながら話すおじさんに志穂は目を剥く。ナイスアイディアみたいな顔。
「それがいい。そして毎日ウチでごはん作らせよう」
「それはいや」
全力で否定する。鈴木家の召使いみたいになってんじゃん。
そしてインターホンが鳴るとおじさんはサッと立ち上がり慌てて家を飛び出して行った。
「……慌ただしいね」
「順ちゃん怒ると怖いからねー」
いってらっしゃいも言わずに志穂は目の前のオムライスに集中する。そしてデザートに作ったフレンチトーストまで平らげ志穂の朝食は終わった。
食後は志穂がお風呂に入ると言ったので、待っている間テレビを観て時間を潰すことにした。パッパッとチャンネルを変え、とある番組で流れていたプロ野球ニュースを目にして手を止める。
「おお……」
日本で活躍するプロのバッティングフォームを見て声が出る。
バッティングセンターに通うまでは全く興味のなかった野球ニュースも今では大分違った気持ちで観てしまうようになった。格の違いをみせつけるようなプロのバッティングフォームはついグッと見てしまう。
――なんであれでホームラン出せるんだろう。
人の投げたボールと機械が飛ばしたのでは打つ側もやり方が全然違うのかなーとか思いながら、次に出てきた海外で活躍する日本人選手を目にする。朝のニュースでよく取り上げられるその人が華麗な三振を決めるせいか、今度は投げる方もやってみたいとか思い始める。
……でも私の肩と腕じゃ無理だな。
早くも諦めを感じ出したところでガラっと居間の戸が開く。タオルを頭に被せた志穂が戻ってきた。
「ふいーあったまったー」
「おかえり」
「愛海もジュース飲む?」
「いい。ありがと」
「ほーい」と志穂が台所へ引っ込む。ガタッと冷蔵庫を開ける音がした後にこちらへ戻って来る。さっきバス停のところで見た硬い空気とかは一体どこへ行ったのだろうかと、いつも通りの彼女を見る。
「……」
彼女が近くに座ったせいで、いい匂いが流れてくる。
ふと、志穂の髪に注目してしまう。ドライヤーで乾かしたはずの揺れるそれにはまだ水気がある。
お風呂上がりの彼女を見るのは初めてではない。それなのに自然に髪をおろした彼女はいつもより艶めかしく感じてしまう。
「……」
それ以上を見ないようにしようと目を背ける。
――なんでそうする?
わからん。よくわかんないけど、今の志穂は見てはならないとテレビの方を向く。でも流れてくるいい匂いのせいでテレビが目に入って来ない。心が水気を持った彼女の髪に吸い寄せられているようだ。
――なんか集中力ない。
そう思ってたところで「――あれ?」っと志穂がテレビを指差す。いきなりなので少しびっくりした。
「これ去年やってたドラマじゃなかった?」
私が見ていた野球ニュースがお天気予報に変わったことまでは憶えているが、いつの間にか年明けからスタートされる新番組の話題へ切り替わっていた。テレビでよく見る女優と俳優の二人が番宣をしている。グラスアートとかいう去年の夏くらいに流行ったやつの続編だった。
「へー、シーズン2やるんだ」
一年くらい前にやってたこのやたらと純愛を強調するドラマは好評で高視聴率を叩き出していたというのは聞いていたけれど、シーズン2が来週から始まるというのは全然知らなかった。
「そんなにこれおもしろかった?」
「いや、私も観てないからわかんない」
プシュっとジュースの缶を開ける音を立てる志穂。すごいどうでも良さそうな顔だ。
――そういえばと過去を振り返る。
綾と出会ったのは……このドラマが始まった頃だった。
去年の夏。一目惚れからスタートした恋。
そんなに時間は経ってはいないはず。
それなのに、もう終わってしまったそれは今の私には随分と遠く感じてしまう。
失恋だった。失敗もしてしまった。
でも昔の失恋のときみたいにモヤモヤするものはない。
やり直したいとか、悔しい気持ちもなかった。
『――綾に恋をして、想いを告げて本当に良かった』
綾の家に泊まった日の朝を思い出す。
今の自分に後悔がないのは、あのときああ言えたことがあったからだろう。
あれから綾は本当によく笑うようになったと思う。
それだけでもう十分な成果だ。
「これが放映された頃にさ、綾に恋したんだよね」
遠い過去を話すかのようにテレビを指差す。
「そんな時期だったっけ?」
「うん」
すると志穂がテレビをじーっと見つ出す。
「……」
「……」
しばらくそれが続くとなぜか普通だったはずの空気が突然おかしくなってきた。
硬さを肌で感じ取った私の首が志穂の方を向く。
やはりというか、どういうわけか緊張した顔をしている。
「えっと、じゃあさ――」
そして俯きながらモジモジと声を出す彼女を見て始まったぞと私は身構える。
「――このドラマが始まる頃に、また誰かに恋したりしてね」
そう言った志穂の顔はこちらを向いているが、視線を合わせたくないのか目線は誰もいない横に向けられている。てっきり予想のできないわけのわからん変なことを言い出すのかと思っていたら違った。
それだけに志穂の出したそれには試行錯誤することなく答えられる。
「……それはないかな」
「え?」
「そういうのは、しばらくいいかなって思ってる」
私の即答が意外だったのか、志穂が驚いた顔をする。
「だってほら、今年は進路のこと考えなきゃいけないしさ」
そう言い訳するけれど、本当のところは恋愛事に距離を置きたいだけだった。
失恋するとしばらくはこんな状態が続く。
昔からこうだった。
胸に小さな穴が空いたような感覚が起こるのだ。それから恋愛事には無気力というかボンヤリした状態となって彩りを感じなくなる。
とはいえ、それが日常生活に支障をきたすようなことはない。
寝込んじゃうとか学校行けなくなるとかそんなことはないし趣味にも熱中できる。今は新しくハマったゲームに燃えてるし、さっき作った料理も満足のいく出来栄えだった。だから志穂からすればいつも通りの私に見えるだろう。ただ恋愛に無関心になるだけだ。
中学の頃に失恋したとき、この状態で他のクラスの男子に告白されたことがあった。
でもそのときの私は自分が告白されたというのに他人事だった気がする。話を聞いていても無関心に近くて、誰にとっても一大イベントとなる嬉しい出来事なのに、そのときの私はそんな気にはこれっぽっちもならなかった。
もちろんそんな状態ではい付き合いましょうなんて気持ちは起こるわけもない。
男の子に呼び出されたときから断る言葉だけを頭に浮かべ、返事にはそれを出してあっさりと終了した(今思えば結構冷たい反応だったかもしれない)
その状態が消えたのは、今思えば去年に綾と出会ったときだったか。
綾を見て復活したというか恋愛モードになったというか。それからお祭り騒ぎみたいになって世界が輝いて見えてきた。
つまりその……私は私が好きだって思える人がいない限り、誰とも恋愛はしたくないタイプなようだ。
偶に試しに付き合ってみるとかみたとかいう話を他の女の子から聞くことはあるけれど、私はそういうのには否定的だ。理解ができない。そんな中途半端な気持ちで恋なんてしたくない。
「……そうなんだ」
気づけばそんな力弱い声を聞く。
――ん? なんか急に元気なくなったな。
どういうわけか暗い。
真面目な回答をして雰囲気を悪くしてしまったのだろうか。
まずい。盛り返さなければとテレビを見る。
丁度番宣が終わって、次のコーナーへ移動したのでそこから会話のネタを引きずり出そうと考える。
――が、遅かったのか志穂の元気は回復しなかった。
間違いなく私がやってしまった。
ごめん志穂。と心の中で深く反省した。
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