第16話(愛海編 前編)


 最近志穂の様子がおかしい。

 授業中はボケーッとしていることが多い。会話してるときは口数も少ないし、どこか明後日の方向を見ているときもある。

 いつも以上に何考えているのかサッパリわからない。

 そんな彼女が今日風邪を引いて学校を休んだ。

 朝のホームルームが始まっても志穂の姿がないから連絡してみれば『風邪引いたナリー』と返ってきた。

 最近だるいと言っていたのは風邪の前兆だったようだ。

 非情に珍しいことが起こった。前に志穂が風邪を引いたのなんて小学生の頃だったはず。

 とりあえず学校が終わったら志穂の家へ寄ることにした。学校で配られた課題を渡しに行くってのもあるし、丁度志穂の家に用事もある。

「じゃー先行ってるからなー」と郁美。

「ほーい」と返事して、郁美と真帆の二人と校門の所で別れる。

 二人は私よりも先にバッティングセンターへと向かった。

 今日のお昼にホームラン達成までもう近いと話したせいか、二人供ぜひその瞬間に立ち会いたいと言い出したのだ。

 私はバットをとりに一旦家に帰ってから志穂の家に寄って、それからバッティングセンターへ行くことにした。

 自転車をいつもより早く漕いで急いで帰宅すると筒に入ったマイバットを装備して志穂の家へと向かった。



 そして鈴木家のインターホンを鳴らし、少し待ってみるも反応がない。

「ありゃ?」

 これから行くよって連絡したんだけどな……。

 と、思っていたそのとき――。

「開いてるよー!」

 ガチャッと、おじさんが突然勢いよくドアを開けて出てきた。まさか平日にいるとは思わなかったのでビクッと体が一瞬宙に浮く。

「びっくりしたぁ!」

「あーわりぃ」とおじさんは笑う。全然悪いと思ってない顔。

「え、今日お休みですか?」

「違う違う、ちょっと早めに切り上げたんだよ。珍しくバカ娘が風邪引いたからさ」

「はぁ……」

 ちょっと意外。

 おじさんが志穂を心配して早く帰って来るなんて。普段志穂に好き勝手させているのとは随分な違いだ。

 おじさんは相変わらず海の家で働いてそうな恰好をしていた。10月も終わりでだいぶ涼しくなったというのに、なんでまだ半袖シャツに半パンなんだろう。

 そこでスマホが鳴る。志穂からだった。


『家の鍵開けておいたから入って』


 おせーよ。おかげで寿命ちょっと縮んだわ。

 お邪魔しまーすと言って鈴木家に入る。

「――志穂どんな感じですか?」

「もう全然元気だよ。午前いっぱい寝たら元に戻ってた」

 半日寝ただけでよく治せるなぁ。志穂の回復力すげぇ。

「なら良かったです。朝は食べなかったって聞いたからちょっと心配でした」

「昼には食欲も戻ってたよ。朝食べなかった分かなり食ってた。米とか麺とかスープが食いたい飲みたい舐めたいってダダこねだしたから出前取ったよ」

 舐めたいってなんだよ――って……え? 出前?

「えっと……何食べたんですか?」

「担々麺と炒飯とデザートに杏仁豆腐と烏龍茶」

「病み上がりに食べるメニューじゃなくない!?」と、つい敬語を忘れる。けれどおじさんはそんなこと気にした様子も見せない。

「昔美穂からも似たようなこと言われたなぁ。別に普通だろ? なんでそんなに驚くんだよ?」

 いや、あんたらがおかしいんだよ!

 そうツッコミたくなったけどやめた。首を傾げるおじさんに普通の人の感覚を説明するのは無理だ。諦めたほうがいい。

 しかもおじさん、ちょっと早めに仕事切り上げたって言ってたけど切り上げるの早すぎだよね……。

 おじさんもそんなところあるんだなぁと、別れて志穂の部屋へ向かう。部屋の戸をトントンとノックすると、中から「どぞー」と声がした。

「おーっす」

 中へ入ると布団に入った志穂が見えた。上体を起こし、こっちを見ている彼女の目と目が合う。

「……」

「なんで無言?」

「あ、いや……まあその――」

 ついじっと見てしまった。

 数年振りに風邪を引いた幼馴染。

 布団の上でブランケットを肩に掛けた彼女はひとつにまとめた長い髪をサイドテールにして肩にかけていた。

「――珍しい光景というかなんというか」

 その姿に少しだけ体が止まってしまう。

 風邪なんだから布団に入ってるのは当たり前なんだけど、どうにも志穂に対してそのイメージは浮かばなかった。

「ちゃんと病人してるなーって感じだって」

「なんだそりゃ?」

 ――それと、昔のことを思い出してしまった。

 病院のベッドの上にいたおばさんと今の志穂が……重なったのである。

 小学生の頃に見たおばさんの最期の姿だった。

 優しく微笑んでくれたあのときの顔。

 今でも脳裏に鮮明に焼き付いている憧れの人。

 それを志穂と重ねるのはやめようと随分前から意識していたのに、こうした不意打ちには弱い。

「はいコレ」と、忘れないうちに学校で貰ったプリントや課題を渡す。

「わざわざありがとさん」

「いいよ。大した距離じゃないし」

 午前中は違ったらしいけど、今の志穂は元気そうだ。

 ふと、彼女の髪を束ねるヘアクリップに目をやる。今年の誕生日に綾と選んで贈ったものだった。学校では付けてなかったけど家ではそれをつけているようだ。なんで学校でつけないんだ?

「明日は来れるんだよね?」

「よゆーよゆー」

「ならよし。にしても珍しく風邪引いたね」

「うん。小学生以来かな?」

「予防注射とマスクなしでもインフルエンザにかからない志穂が風邪なんてちょっと不気味」

「父さんと同じこと言うな」

「それだけに不思議だよ。最近なんか風邪引くようなことでもしたの?」

「んー……その……まあ……なんていうかその……」

 なぜか急に言葉が濁る。多分アレかなーと言っているので思い当たることがあるようだ。

「ちょっとやらかした系?」

「ちょっとやらかした系です……」

「何を?」

 話を聞こうか、と先日店長から借りたゴルゴ13の真似をしてみる。

 すると志穂は急に俯いてはモジモジとしだす。なぜか顔まで赤らめ出した。てっきり「ゴルゴか!?」というようなツッコミが来るかと思っていたのに。

「――窓」

「うん?」

「――窓開けたまま……布団も被らずに薄着で寝ちゃった」

「なんでそんなことになっちゃったの?」

 すると志穂は顔を俯かせるようになった。

「……体熱くなっちゃってさ……それで窓から冷たい風が入ってくるから気持ち良くてつい」

「ん? お風呂上りだったってこと?」

「え……まあ……そんな感じです」

「それはやっちゃったね」

「やっちゃいましたね」

「んでなんで恥ずかしそうにしてるわけ?」

「……なんででしょうね」

「……」

 なんだこの変な空気。

 もうこれ以上はツッコまないようにしよう。彼女の全身がこれ以上聞くなと訴えているのを感じる。

 ……なんか夏休み前よりも変になってる気がするな。

 日々悪い意味で進化していく幼馴染を不安に思った。



「じゃあ明日学校でね」

「うん。また明日」

 病み上がりなので長居せず志穂の部屋から出た。

「お邪魔しましたー」と、おじさんに一声掛けに台所へ入るとおじさんはノートパソコンをいじっていた。なんとメガネまで掛けている。

 あれ? パソコンなんて使うんだ?

 おじさんがスマホ以外の電子機器を操作している姿なんて初めて見た。しかもメガネまでかけているせいか失礼だけどスゲー人に見える。志穂といい今日は珍しい光景を見た。

「――お、もういいの?」

「はい。病み上がりだから長居しちゃ悪いし、それに今から行く所あるんで」

「砂羽の所?」

「はい。今日もやってきます」

「なら送ってくよ」と、おじさんはノートパソコンを閉じるとメガネを外して立ち上がる。

「え、でも私自転車だし」

「軽バンだからよゆーよゆー。俺も砂羽の所へ行くつもりだったから丁度いいんだよ」

 一緒に行こうぜ、と親指を立てて言うおじさん。同級生みたいなノリで話す。でもそれがおもしろいというか親しみやすいというか。おじさん相手だと年上の人と話しているという感覚があまりない。

 そのせいか、たまに年上だと忘れてハッキリ言っちゃうことあるのがあれだけど……。

「じゃあお願いし――あ、その前に」

「ん?」

「おばさんの部屋に入ってもいいですか?」

「うん。好きに入ってくれていいよ」

 毎年ありがとねと、おじさんはおばさんの部屋へ通してくれた。



「――それじゃあ俺は外で待ってるから」

 パタンと戸が閉まり、おじさんの足音が遠ざかるのを確認すると隅にある仏壇を見る。シーンとした部屋の中、じっと見つめたそこは窓を全開にしても日の当たらない場所だった。

 その中におばさんはいる。近づいて一年振りに中を覗いた。

 おばさん久しぶり。

 四角い枠の中、こちらに向かって優しく微笑む彼女に向かって心の中で話しかける。

 毎年この時期になると必ずここへ来る。志穂とケンカをしたときでも来ないなんてことはなかった。

 やっていることは手を合わせて目を閉じて、今年こんなことがあったーとか、志穂と仲良くしてますとかそんな報告をするくらい。

 でも今年はちょっと報告する内容が違っている。

 好きな人ができて、それが実は女の子です的なこと。

 家族には絶対言えないことを、この人になら話すことができる。

 もしおばさんが生きていたら、相手が誰であっても少しも気にしないと思う。あのときみたいに笑顔で応援してくれるに違いない。

 実はおばさんには小学生の頃、当時好きだった男の子のことを話したことがあった。自分の両親には絶対言えなかった恋を、当時の私はおばさん相手だとあっさり話していたのだった。


『――女の子から告白なんて、別におかしいことなんかじゃないよ』


 そのとき、おばさんから言われたことだった。


『――私だって自分から告白して孝宏と付き合ったんだから』


 そのときにおばさんとおじさんが付き合う前の話を聞かせてもらった。志穂と一緒に笑って聞いていたのをよく憶えている。


『――だから頑張って言ってごらん』


 そう励まされ、頑張ると約束した当時の私。

 でも結局、その男の子には何もできずに終わらせてしまう。

 そのときだけじゃなかった。

 その次もその次も、同じ結果で終わらせてしまう。

 昔の私は本当に酷かった。言い訳ばっかで何もしなかった。

 そもそも女の子から告白なんてことが昔の私には考えられないことだったのだ。

 おばさんの話を聞いておばさんって強い女の子だったんだなって憧れて、将来は見た目も中身もおばさんみたいになるって目指してた。

 けど抱いた理想と今は程遠い。

 身長なんて一生届かないだろうし、私には志穂みたいな綺麗な黒髪もない。

 でも――。


『愛海ちゃんは強いから。絶対できるよ』


 目を閉じて、少し俯いてから手を合わせる。

 ……強くなんかないよおばさん。全然強くなんかない。

 以前の恋もそうだった。志穂にいっぱい応援してもらったのに、結局ビビって何もできずに終わらせちゃったんだ。

 ずっと失敗ばかりだったんだ。

 でも、今回は行けます。

 来週の修学旅行で綾に告白します。本気で好きになって、もう後悔したくないから告白するって決意しました。

 ちゃんとハッキリ、気持ちを打ち明けてきます。

 私は憧れのあなたにはなれなかったけど、あなたが強いと言ってくれた私にちゃんとなってきます。

 だから――。

 目を開け、微笑むおばさんと向かい合う。

「……」

 周囲を見渡し、誰もいないのを確認してから再度おばさんに向かって約束の言葉を伝える。


「――だから志穂と一緒に、最後まで見ててくださいね」


 それじゃあまたねと、私はおばさんに背を向けて部屋を出る。

 おばさんへの報告も済ませた。さて次は――と、背中に背負っている筒の感触を確かめながら玄関で靴を履く。

 ホームランだ!

 やってやるぞと、意気込みながら玄関を出た私はおじさんと一緒にバッティングセンターへと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る