最終話(愛海と志穂編)


 キャンプの日から志穂と会えない日が続いている。

 遊びに誘っても、夏休みの宿題が終わってないからと断られていた。

 夏休み最終日もダメだった。ラストスパート。明暗を分ける一日。そう言われてしまっては大人しく引き下がるしかなかった。仕方なく、ラスト夏休みは朝から晩まで新作料理の研究に費やした。

 そして迎えた新学期初日の朝。

 パチッと、アラームが鳴る時刻よりも少し早くに目を覚ます。

「……」

 驚くほどに、スッキリした目覚めだった。また目を閉じても眠れる気はしない。スマホを覗くと、志穂の配達終わりを知らせるアラームが鳴るまであと少しだった。

 ゴロゴロしながら、無事に宿題終わったのかなーとか考える。志穂のことだから適当に書くという最終手段を使っている可能性が高い。それをやっていたとしたら地獄の補習行き確定だ。大丈夫かな……。

 そうして志穂のことを考えていると、すぐにアラームが鳴る時刻はやってくる。

 部屋中に鳴り響くコケコッコー。いつもなら慌てて止めるそれを、のんびりとした動作で止めた。

 今日はさすがにいるよね。

 置き上がって窓辺に行くと、そこに置いてある双眼鏡を装着する。覗いて見えるのは丘のバス停。志穂が配達終わりに行く場所。

 今日もいないか……。

 新学期初日だし、さすがに今日はいるかと思ったのに。

 周辺もよく見まわしてみたが、バイクに乗る志穂の姿はなかった。

 双眼鏡を外して見上げた空は彼女好みの青色なのに姿を現さない。宿題との戦いで疲れているのかもしれない。配達が終わった後真っ直ぐ家へ帰ったようだ。

「あーあ……」

 残念と、ベッドに戻って仰向けに倒れる。

 今日こそは会えると思ったのに……。

 仕方ないとは思うけど、残念な気持ちはなかなか取れない。

 会って、しばらく会えなかった分の空白を埋めたかった。

 もちろんこの後学校で会うわけなんだけど、あの場所で志穂と話したかった。朝焼けを見ながら彼女とのんびりするあの時間は、居心地が良くて気に入っている。

 二人きりで話したいこともたくさんあった。

 新しい料理を習得したこと。陽菜と長電話したこと。郁美と真帆の三人でパフェ食べに行ったこと。

 そして――綾のこと。

 寝返りを打って体を横にし、スマホを開く。

 写真データの中にあるお気に入りから再生したのは、花火大会の日に綾と二人で並んでいる写メ。赤い顔をしている私の隣で、優しく微笑む彼女がいる。

 見る度に、ドキドキして手や胸が熱くなる。

 まるでこのときの綾を目の前にしているかのように、体の中はあのときの再生を行う。これを見ると興奮して眠れなくなってしまうので、寝る前にこの写メだけは再生しないようにしていた。

 二人きりで遊べるようになるまで近づけたというのに、この日のことを思い返すだけでこうなってしまう。それほどまでにこのときの綾は私にとっていつも以上に特別だった。

 告白のときはこれ以上だ……。

 間違いなくこんなもんじゃない。もっと緊張するし手足も震える。心臓なんて破裂しそうになる。

 でも……それでもちゃんと伝えることはできる。

 好きって……付き合ってくださいって言える。


 だから――もう告白する日を決めた。

 それをこれから志穂に伝えようと思っていたのだ。


 ドキドキと、動いていた胸が急に不安な動きへと変わるのを感じる。

 まただ。

 告白のことを考えると、いつもこれに襲われる。

 告白した後も、ずっと今までのようにいられるかなと、そんなマイナス思考が動き始めてしまう。

 こうした気持ちは常に周囲を飛んでいるせいか、少しでも隙を許せば遠慮なく入ってくる。そして図々しく私の決意を揺らしてくる。

 気づけば、スマホの画面が真っ黒になっていた。

 じっとみつめる画面はどんなに奥を見ようとしても光が少しも視えてこない。

 それがまた余計な考えを生ませてしまう。

 告白してこうなったらどうしようか。

 綾の姿も私の姿も一切視えなくなってしまったらと、そんな不安が襲ってくる。

 何度追い払っても、いろんな形に化けてはしつこくやってくる。

 以前の私はそれで逃げてしまった。

 そして激しく後悔して、自分に腹を立てた。

 もう……そうなりたくない。

 そう思ったから綾を好きになったとき、この恋は絶対に最後まで進めようと心に決めたのだ。最後まで進めるように、ちゃんと動いてみせると。

 綾に恋してからは彼女のことを知る為に、私のことを彼女に知ってもらう為に必死で動いた。志穂のおかげもあったし不器用でダメなところも多かったけど、進んでこられた。

 行動して良かったって思う。

 だってここまでこれたから、綾と一緒にいるときに感じる居心地の良さを知れたのだ。

 遠くから見つめているだけでは、過去の私のままでは絶対に知れなかったこと。

 知っていく内に、気持ちはどんどん熱くなっていた。

 最初の頃よりも好きになっている。初めは見た目だけだったかもしれないけど、今はそれだけじゃない。彼女の隣にいるのがすごく安心する。

 それだけに、この居心地の良さは大きな不安や恐怖を生み、失うことの大きさを突き付ける。

 それでも行くの? と、また私を揺らして来る。

 その度に振り払う。

 何度でも、何度でも振り払う。


 ――それでも行くよ。


 絶対、綾の前に立つ。

 それは今までの情けない自分に勝つ為だとか、そういう理由だけじゃない。

 綾のことが本当に好きだから。向かい合いたいんだ。

 いくらでも揺らしにくればいい。いろんな闇を見せて私の足をすくませようとすればいい。どんな恐怖や不安が来ても私は絶対行く。

 綾は女の子を好きになる私を否定する人なんかじゃない。

 彼女と一緒に過ごしてきて、それがわかった。

 好きだと伝えてどんな返事が来るかはわからない。わからないけれど、彼女は決してこんな私を蔑んだりはしない。それだけはわかる。告白した後も綾はずっと友達でいてくれる。

 だからその日を迎えたときは、恐れず向かって行く。正面からぶつかる。

 ……志穂には、それを見てほしい

 逃げずに、綾と向き合う私を彼女に見せたい。

 そうしようと、そうしなければと思うのは、志穂に対する後ろめたさからだった。

 今までずっと彼女は私の恋を応援してくれていた。

 それなのに、いつも中途半端な形で終わらせて、それを無駄にしてきた。

 そうやってずっと、支えてくれた志穂に悪いことをしてきた。

 だから今度はちゃんと最後までいく。

「……」

 目を閉じて、今会えなかった志穂の姿を思い浮かべる。

 私の中の志穂は、あの丘のバス亭にいる。

 遠い朝焼けを背にする彼女。長い髪を静かな風に揺らせて微笑んでいる。

 志穂――と、心の中で親友の名を呼ぶ。

 会って言いたかったことを私の中の彼女に投げる。

 ねえ志穂。

 私、あともう少ししたら綾に告白する。

 そのときはちゃんと告白するよ。逃げずに固まらずにちゃんと好きって、付き合ってくださいって言うよ。

 真っ直ぐにぶつかるよ。だから――。

 だから、ちゃんと見ててね。志穂。

 私、絶対に逃げないから。



 *



 配達が遅れてしまったせいで、いつもより大分時間が掛かってしまった。朝日はもうとっくにその姿を出している。

 こういうときに限ってこれだ……。

 遠くの空から放たれる赤い光を目で捉えながら、急いでバイクを走らせる。ようやくバス停へと辿り着いたが、愛海の姿はなかった。

 いないよね……。

 私がいないから帰ったか。それとも今日はここに来る気がなかったか。どっちにしろ、ここで彼女と顔を合わすことはできなかった。

 いいかげん、会わなきゃいけないのになぁ。

 決意が固まって、ようやく会おうと思ったときに限って些細なトラブルが起きて配達が遅れる。そうして会える機会を逃してしまった。

 とはいえ、今日から新学期だからこの後学校で嫌でも顔を合わせることになるわけなんだけど……。

 でも、できれば二人きりになれるここで会っておきたかった。

 あのキャンプの日から宿題を理由にして愛海を避けていた。もう終わっていたのに、まだ終わってないと嘘までついた。

「……呼び出そうかな」

 彼女に連絡を取ろうとスマホを手にする。

 ……やめた。寝てるかもしれないし。

 こんなことなら昨日の夜、配達終わりにここで待ち合わせしようって誘えばよかった。どうしてそうしなかったんだろう。

 たった一言、ラインするだけなのに……。

 軽いため息をついて、ポケットから棒付きの飴玉を取り出して口に咥える。今日はこれが溶けるまでここにいようと思った。溶け切っても彼女が姿を現さなかったらすぐに帰ろう。帰って時間までグースカ寝よう。

 舌に広がるいちごミルクを味わいながら、空を仰ぐ。

 見上げた青色の下を、赤い雲が静かに流れている。青の前を陣取る赤に図々しさは感じられず、むしろ青と赤の調和をとって綺麗な模様を見せる。ただ青くではない空は、見上げる人に不快感を少しも与えない。

 青くて、赤い空。

 あのときの空に、似ていると思った。


『志穂。私ね――好きな人ができた』


 数カ月前、この空の下で愛海がそう言ったのを思い返す。

 あれからいろんなことが起こった。

 綾と陽菜の二人と知り合って友達になった。

 私がバイクを買った。

 バイクにのめり込み過ぎたせいで愛海を放置して怒らせてしまった。

 真帆に愛海の恋がバレた。

 郁美のお姉さんと知り合った。


 そして――自分の恋に気づいた。


「……」

 困ったなぁと、頬を掻く。

 本当に不思議なくらい噛み合わない。

 なんでこんなタイミングで気づいてしまったのだろうか。

 ……これから毎日が大変だ。

 バレないようにしないと。今のところ彼女には私のことなんか視えていないだろうから、余計なことさえしなければ大丈夫な気はする。大人しく、普通にしていれば不審に思われないとは思う。

 普通に……できるかな。

 意識するとなると難しいだろう。でもやるしかなかった。

 バレたら邪魔をすることになってしまう。それだけは何があっても避けたい。

 私のやるべきことは彼女のサポートであって、決して自分の恋を進ませることなんかじゃない。そう決意したのだ。

「……」

 選んだことに後悔はない。

 辛くもないし、この気持ちに気づかなければ良かったなんてこともない。むしろ、気づけて良かったと思っている。

 キャンプの日、愛海と真帆が来てくれて良かった。二人が来てくれなければ、一生気づかなかったかもしれない。仮にもっと後で気づいたとしても、そのときは後悔するかもしれない。

 困ったなぁレベルの今なら、安いもんだ。

 最初は戸惑ったし勘違いかもしれないと思ったけど、真帆にも見抜かれているし、郁美にも簡単に見破られた。二人に見抜かれると、ずっと前から私ってそうだったんだなって思えて、そんな自分を笑って受け入れられた。

 もう気持ちは落ち着いている。ショックでもなんでもない。否定する気持ちなんか少しもなかった。

 むしろ納得していた。

 今まで異性に対してそうした気持ちにならなかったのも、愛海が女の子を好きになったと聞いた後に感じていたモヤモヤも、今では全て理解できる。

「……」

 目を閉じて、会えなかった愛海の姿を思い浮かべる。

 この空の下、遠い朝焼けを背にして赤く微笑む彼女。

 想うだけで、ドクドクと脈打つ鼓動が体中に響く。

 キューっと胸を焦がし、体を熱くして指先にまで熱を与えていく。

 ガリっと、飴を砕いた音の後、冷たくて静かな風が吹く。熱い体を微かに撫でてくれるのが心地良くて自然と頬が緩んだ。

 きっと、今の私も赤く笑ってる。


 愛海……。

 心の中で、想い人の名を呼ぶ。

 今も、そしてこれからも出せない言葉を私の中の愛海に投げる。

 愛海。私も……恋したんだよ。

 びっくりだよね。でも困ったことに本当なんだよ。

 キャンプの夜、愛海の告白を聞いたときに気づいたんだ。

 でもあのときが始まりじゃなかった。気持ちが芽生えたのはもっと前から。

 何で気づかなかったのかな。

 小さい頃から、ずっと当たり前のように傍にいたからかな。

 これが恋だって全然気づかなかった。


 いつ芽生えたのか、この数日過去を振り返ってたらわかった。

 あのときじゃないかって、そう思えることがあったんだ。


『――え、榎本さん。二組の……女子』


 青く赤いこの空の下で愛海が好きな人の名前を教えてくれたとき。

 恋をしたときにしか見せない、あの愛らしい表情を見せてくれたとき。

 あのとき、3秒くらいの時間が流れていた。


 その3秒間――確かに私は、愛海に見蕩れていたんだ。

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