第30話(陽菜編)
自宅近くの公園にいる。三角形の屋根で覆われたテーブル付きのベンチ(最近知ったのだが東屋というらしい)に座り、公園の入り口の方を見ている。
一人ではない。元カレの金本といる。謝りたいからと呼び出された。
夏の炎天下にさらされた公園内には誰もいない。屋根が作った暗い空間の中から、アタシと彼は白い世界を眺めている。
どこからか蝉の声は聞こえるが遠くにいるのか意識していないと聴こえてこない。夏が覆っているとは思えないくらい静か。
遠くにある青い空。山の上に浮かぶ白い雲。ふたつとも鮮やかに見える。いい天気だ。
こんな日は嬉しくなるけれど、一緒にいる彼のせいで気分は曇りだ。
ベンチは真ん中にあるテーブルを席が四方から囲っているタイプのもので、アタシと彼はテーブルを間に挟んで座ってはいるものの、向かい合わずに公園の入り口付近を見ている。
本来は顔を合わせて座るためのものなのにそれに逆らって利用している。設計者もまさか別れたばかりの男女がこうして利用するとは思ってもいなかっただろう。
「だからさ――」
厄介なことに、話の内容は前回の延長になってしまっている。
当初は今までのことを謝りたいという話だった。いいと断ったけれど、面と向かって謝りたいからと押されてしまった。
そして彼が謝った後、もう一度やり直そうと提案されたのである。来なければ良かったと後悔した。貴重な夏休みが台無し。
不毛なやりとりが長いこと続いて、ようやく彼は諦めたのか黙る。そして少ししてから立ち上がった。
「――もういいわお前」
そんな捨て台詞を残して去って行った。
一人残されたアタシはうんざりしながら夏の日差しに焼かれる彼の背中を見送った。
意味わからん。まるでアタシが振られたみたいじゃん。
彼の姿が完全に見えなくなった後、はぁーっと深いため息が自然と出た。これから卒業まであと何回顔を合わせなければならないのだろうか。誰か回避する術を教えてほしい。
結局、初めて付き合った元カレは最後まで嫌なことしか残してくれなかった。
あーむしゃくしゃするな。
このまま家に真っ直ぐ帰れない。ストレスを発散しにどっかに寄ってから帰ろう。
とりあえず公園を出るかと立ち上がるが、すぐにベンチに座り直す。炎天下であるこの白い世界をあてもなくブラつくのは嫌だった。少しだけこの小さくて黒い世界の中で考えることにする。スマホは家に忘れてきた。
「……」
無心でじっと遠くを眺める。
公園内には相変わらず誰も入って来ない。毎年恐れられている熱中症から逃れる為、みんな家の中に閉じこもっているのだろうか。アタシ一人だけの完全貸し切り状態。この南中高度で外に出ているのはアタシだけではないだろうか。
青い空を見上げながらこれからのことを考えていると、家が近いせいか綾の顔が浮かぶ。
今何してんだろ。
家にいるかどうか確認したかったが、スマホがないからそれができない。
アポなしで行ってみるか。
連絡なしにいきなり尋ねてはダメかもしれないが、いいやと思って足を動かす。断られてもいい。一目でいいから綾の顔を見たい。今日家族以外にあった人を綾で締めくくりたい。
「あっつい……」
刺すような日差しでジリジリと肌が焼かれる。なんで40度近い今日という日に外へ呼び出すんだよと、金本を恨む気持ちが益々ヒートアップする。
鉄板の上を歩くような気分で足を動かし、綾の家の前まで辿り着く。
閑静な住宅街にある綺麗な一軒家。
ここで綾はおじさんと二人で暮らしている。
久しぶりだな……。
最後に来たのは中学の頃。
あの件が発覚するまでは、何度も来たことのある家。
そのときには当たり前だった存在であるおばさんを思い出す。
『――随分大きくなったのね』
記憶の中でそう微笑むおばさんの笑顔。
それに照れていた自分。優しい笑顔で綾の大切な人だった。
でも……あのときからもうおばさんは……。
やめろと頭を振る。そして嫌な記憶を打ち消すように玄関前のインターホンを押す。少し待つかと思ったが、すぐにドアは開いた。
「――あれ? 陽菜?」
顔を覗かせた綾。珍しく髪を結い上げている。
「オイッス」
「どうしたの?」
「いや、なんか顔見たくなったっていうかなんていうか……」
まるで彼氏が彼女に突然会いに来たみたいだ。
「えっと……なんかいきなりごめん。忙しい?」
きょとんとした顔をする彼女。しかしすぐに微笑むと。
「珍しいね。じゃあスイーツでも食べに行く?」とまさかの提案。
「――え? いいの?」
「うん。丁度行きたいって思ってたから」
とりあえず入ってと、彼女にリビングへと案内される。
来てよかった。最悪な一日が払拭された。
そんな嬉しい気持ちでソファに座る。中学の頃も何度か座ったことがあるが、どんな感触だったかはもう忘れている。まるで初めて座ったみたいだ。
「着替えてくるから待ってて」と、二階へ上がった彼女を待っている間、座ったままでリビング内を見渡す。
相変わらず綺麗にしてるな。
リビングは窓が多いせいか明るくて解放感がある。静かな風も入って来るので夏なのに涼しい。クーラーいらないなーここ。
家に帰れば即クーラーのスイッチを入れる我が家とは大違いだ。
――模様替えしてたんだな。
入ったときに気づいたが以前と家具の配置が大分変わっている。
綾が変えたのだろう。記憶の中のリビングと比較してしまったせいで、所々物がないことに気づいてしまう。
なくなっているのは多分――おばさんの物だけだ。
家具の配置を変えたのもそういうことだろうと、大きなテレビの横に置いてある置物を目にする。黄色い馬のような動物が後ろ足で立ち上がるポーズをとっている置物だ。
あれまだあるんだ。
確か小学生の頃におじさんが海外で買ってきたやつだ。何かの神様だと言っていたような気がするが、何かは思い出せない。
あんなに大きかったっけ?
ソファから立ち上がり近づいてみる。結構しっかりした作りっぽい。
触れようかと思ったが寸前のところでやめた。そうやって物を壊す過去が私には何度かあった。
もういいかとソファに戻ろうとしたそのときだった。
ある匂いが鼻を掠めた。
――え?
匂いはほんの一瞬。しかしそれがあると感じただけで、驚いた後のアタシの体を固め、周囲の音を消し去る。
そして数年前の記憶を呼び起こす。
「……」
どこから匂ったのか。
無意識に窓の方を見る。そして感じる静かな風。
その中に同じ匂いは含まれていない。
網戸のない両開きの窓を見つめる。両側に束ねられた白いカーテンが少し揺れた瞬間、ごくりと喉が鳴った。
ゆっくりと顔を上げ、窓の上の天井を見上げる。この上は位置的に――。
――おばさんの部屋だ。
また小さな風が吹く。
そこにも匂いはない。
プッツリと遮られてしまったかのように、同じ匂いは運ばれてこない。
「……」
慌てて窓を閉めてソファに戻る。そして綾が降りて来るまで、真っ白になりかけている頭でじっとしていた。
綾の準備はいつもより長い。
よかったとホッとする。
アタシも……落ち着く時間がほしかった。
かき氷にしようということで去年も行ったことのある喫茶店にした。夏はかき氷をメインに出している和風喫茶で静かで落ち着いた店内と偶に鳴る風鈴が心地良いところだ。
今どきのかき氷といえば、やたらと大盛りでSNS映えを狙ったインパクトのあるかき氷ばかりだが、そこはシンプルな装いで提供してくれる。美味しいし飲み物とセットで千円超えないのがいい。志穂風に言うとすんばぁらしいぃ。
隣を歩く綾と何味を食べようかと話しながら期待に胸を膨らませていると、着いた先で結構な行列が発生しているのを目にする。
「うわー混んでる」
どうしようかと迷ったが、せっかくだし並ぼうと綾に言われて列の最後尾へ並ぶ。
「以前来た時は全然混んでなかったよな?」
「うん――あ、みてこれ」
さっき家で会ったときとは違い、髪をいつも通りに下ろした綾がスマホを向ける。
画面には今アタシ達が並んでいる店の評価を載せたサイトが表示されている。高評価が並んでおり、オープンしたての頃と違って今では並ぶのを覚悟しないと食べれないと書かれたレビューを目にして驚いた。店がオープンしたのは去年の夏ごろだ。
「あのとき並ばずに入れたのはそういうわけか……」
「そうみたい。運が良かったんだね」
「超有名店になってるなんて知らなかった」
テレビでも何度か紹介されていたらしい。
地元民なのに全く知らない。地元あるあるのひとつだ。
「あっついね」
日差しを遮る
額の汗をハンカチで拭う。綾はスマホで店のHPを見て何味にしようか悩んでいる。
「いつも抹茶系だし……今回はいちごにしようかな」
でもどうしようと悩む彼女の額を見て以前からおかしいと思っていたことを口に出す。
「――あのさ、綾」
「ん?」
「なんで汗かかないの?」
「――へ?」
席に座れたのは並んでから一時間後のことだった。来るまでに時間がかかりそうなので、すぐに注文した。
「――そういえば綾。宿題やってる?」
「多分今週には終わると思う。陽菜は?」
「アタシは来週忙しくなりそうな気配――だからもしかしたらお願いするかも」
「去年も中学の頃も最後の方で一緒にやったね」
「アタシの伝統行事だからね。綾がいてくれてホント助かる」
「陽菜には今度なんか奢ってもらおーっと」
そこでかき氷が到着。結構悩んでいたのに、結局は小豆の乗っかった抹茶かき氷にしている。一口食べ、幸せそうに微笑む彼女は基本抹茶スイーツを好んで注文する。メニューを見て悩むことはあるけれど、結局は抹茶になってしまうタイプだ。
アタシの方はというと、おススメ品や人気の商品を頼むことが多い。去年はいちごにして今回はマンゴーにした。
一口食べた後、ふと視線がテーブルの上にある綾のスマホにいく。
「そういえばあの猫のキーホルダー買わなかったの?」
ごくりと氷と小豆を飲み込む綾。
「――うん、やっぱ違うのにしようと思ってさ」
「ふーん」
こっちを見ずに、視線をかき氷に向けている彼女を見る。
――あんなに悩んでたのに?
そんな疑問が浮かぶとアタシの頭の中に停滞する。
それが粘着性を持ったものなのか、くっついて離れない。リビングで嗅いだあの匂いのせいだろう。
浮かぶ予感が会話の邪魔をしようとする。これではいけない。
「――最近愛海達とは遊んでる?」
自然に、なんとも思ってないような口調で言えたと思う。
「この前愛海と遊びに行ったくらいかな」
何? と聞き捨てならないセリフを聞いた。
「え? まなみんと二人で行ったの?」
「うん」
くそう。それはぜひとも監視したかった。
「陽菜。まなみんは禁止用語だよ」
「いや、でも一回ぐらい怒らせてみたいんだよね。かわいいし」
「志穂はよくやってるけど私達はどうかなー。まだ知り合って一年も経ってないからダメだと思うよ」
いや、綾なら多分何言っても大丈夫だと思うよ、という言葉をマンゴーと一緒に飲み込む。
「そういえば、志穂と連絡取れないって言ってた話どーなったんだろ?」
「無事解決したみたい。一昨日くらいに愛海から『生存確認を完了した』『志穂捕獲』ってラインきたし」
「よくわかんないけど一件落着だったんだね」
「バイク買ったみたいでツーリングばっかりやってたんだって」
「そっか。新聞配達してるから免許持ってるんだった」
「うん。一年の頃に小型二輪取ったって言ってた」
「男子みたいだな」
「男子――うん、確かに。背も高くてカッコイイし、性格も男の子みたいなときがあるし」
「それならアタシの方が絶対カッコイイだろー」
「えー? 確かに陽菜も背高いし髪も短めだけど、男子みたいなカッコイイってのはないと思うなー。中身完全な女の子だし」
「いや、そんなことはない。少なくとも元カレよりは遥かに男らしいは――」
あ……。
時が止まった。
しまったと思ったときにはもう遅かった。綾にもまだ話してなかったことを今更思い出す。
綾は緑色の氷と小豆の乗ったスプーンを持ったまま驚いた顔でこっちを見ている。そしてそれを食べずにスプーンを戻すと、困った顔へと変わってしまった。
いや、まあ……しゃーないか。
「ああっと……実はさ――」
アタシは今日のことも含め、金本と別れたことを話した。
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