迷う

 影を縫い止められた人形は、腐り落ちる運命さだめを覆せない。

 心と云うものは一度でも欠け落ちてしまうと、なかなか拾い上げることが出来ない。難儀な臓器だ。

 個人の最も深い場所。それは、心臓でも頭でもない。まして、神経と細胞の間を行き交うシグナルでもない。全ては心なのだと思います。

 触れられず、目にも見えない。しかし、その存在は偉大だ。

 この臓器さえあれば、僕は何処でだって生きていける。

 もしも人間が、生まれたのではなく、造られたものだとしたら。そこには創造の主がいるはずだ。だから僕は、難解で散漫な、心という臓器を与えてくれた存在を敬愛している。

 はたまた人間は、ただ単に、世界に生じただけの生き物かも知れない。現象の1つに過ぎないとしても、それでも僕は人間の存在に心を動かされてしまう。 

 身体から取り零した彷徨える魂を回収しながら生きる人間。僕はそういった人を、何人も見てきた。

 彼らはどんな残像を、世界に遺してきただろう。僕は何処に、そして誰に、この心を落としただろう。


 涙を流しながら「失ってしまった」と、繰り返し言い続ける人間に会ったことがあります。

 彼女はまるで、最初から何もかもが手中に収まっていたかのような言い方をする。彼女は、充実を基準にして生きていた。だから虚無が自分に後付けされたと考え、喪失に膝を折ったのでしょう。

 世界は、個人に付随した物質でしかない。全ての基準は自分にある。何故なら、時代、場所、境遇。凡そ全ての要素が、この世に生まれて初めて、自覚できるものです。

 生まれなければ、世界は存在しないのと同義だ。存在を知らないのだから、知覚しようがない。世界に自分が生まれたか、自分が世界に立っているか。両者の溝は大きく、広く、深い。

 僕が立っているこの場所が、己という、最小にして最大の世界の起源になる。

 過去、ですか。

 僕に、過去なんてものは在りません。

 正確に言うならば、共存は出来ない、と言うべきでしょうか。

 過去無くして未来も現在も生まれない。

 ですが、1つの川の上流と下流は、同じ場所に折り重なって存在することは出来ない。隣り合うことは出来ますが、それは最早、異なる川だ。

 過去を思い出すとき、人の心は現在と未来を捨てて、過去に帰らざるを得なくなる。

 その瞬間、その人間は、現在の時間軸には存在出来ない。人は過去と未来の両方には生きられない構造なんです。

 これが、現在に生きる僕が、未来と過去を想えない理由です。

 今この場所で、僕が生きている。

 それだけでいいんです。

 故に、自己の消滅を、僕はきっと他の何よりも恐れているのでしょう。

 その時が訪れれば、避けようがない。しかし、それを回避するための可能な限りの努力は怠りませんよ。

 そのおかげで、僕は生きている。

 

  

 


 

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