第246話 医者の不養生
商人ギルドで職員達に別れを告げた2人は、来た道を少し戻ってアンネとの待ち合わせ場所に向かう。
街に着いてすぐにフォルバンに診療所の場所を聞いたところ、オズウェルト商会と商人ギルドの間にある脇道を抜けた先にあると言われたため、脇道の前を待ち合わせ場所にして別れたのだ。
先に待ち合わせ場所に着いた2人がアンネを待っていると、商会のある方角からザワザワと人の声が聞こえて来たため、2人はそちらを見て苦笑した。
そこには、すれ違う人々に注目を浴びているアンネが、恥ずかしそうに縮こまりながら歩いている姿があった。
「やっぱ目立ってんなー・・・」
「お嬢ちゃんは別嬪さんじゃからのう、皆が注目するのも仕方あるまいて」
2人が恥ずかしそうに顔を赤らめながら歩いてくるアンネを見ていると、彼女は2人に気付いて花が咲いた様な笑顔を見せて駆け寄って来た。
近くでそれを見ていた人々は、アンネの笑顔に心を奪われ、皆動けなくなっている。
「清宏様、フォルバン様、お待たせいたしました」
駆け付けたアンネが息を整えて頭を下げると、何故か清宏は彼女の顔を見つめた。
アンネは清宏に見つめられ、恥ずかしそうに俯く。
「あの・・・清宏様、私に何かありましたでしょうか?」
「つかぬ事を聞くけどさ・・・サキュバスの間違いじゃないよね?他人を魅了するフェロモン的な何かを出したりしてないよね?」
「ち、違います!何故そのような事を・・・」
アンネが慌てて否定すると、清宏は彼女の背後を指差す。
清宏が指した方向をアンネが恐る恐る振り返ると、そこには先程アンネに見惚れた人々が、まだ惚けた表情で彼女を見つめたまま立ち尽くしていた。
「ほらね」
「違います!」
「これこれ、あまり揶揄ってやるでない・・・」
フォルバンに諭された清宏は、顔を真っ赤にしているアンネに謝って脇道を見る。
そこは、大通りに面しているとは思えぬ程に寂れており、いかにもヤンチャな連中が潜んでいそうな場所だった。
フォルバンの後ろで車椅子を押していた清宏は、肩越しからフォルバンに耳打ちする。
「本当にこの先なのか?」
「そうじゃよ?」
「見るからに不潔そうな場所なんだが・・・普通、診療所ってのは清潔な場所に建てる物だと思うんだがなぁ。
まあ、ここで尻込みしてても始まらないし、取り敢えず行ってみるか」
清宏はフォルバンの案内に従って狭く入り組んだ路地を進み、5分程歩くと開けた場所に出た。
「あそこじゃよ」
「えっ・・・あれって廃墟じゃないの!?」
フォルバンが指差した建物を見て、清宏は綺麗な二度見をして驚きの声を上げた。
後ろをついて来ていたアンネも、建物を見て唖然としている。
「窓のガラスが全て割れているように見えるのですが・・・」
「だな・・・割れた窓を紙で覆って応急処置をしてるけど、あんなの意味ないだろ・・・」
「おう、誰らお前等・・・何人の家の前れくっちゃべってんだ?ボロいからって調ひに乗っれ見てんらねーろ・・・ひっく!」
3人が立ち尽くしていると、背後から呂律の回っていない男の声が聞こえて振り返る。
そこには、酒瓶片手に路地の壁にもたれかかるように髭の生えた男が立っていた。
「あ、すんません・・・てか、あそこって診療所なんですよね?」
「それ以外の何に見えんらこのやろー!」
「廃墟」
「どっからどう見たって、あそこは立派な診療所らろー!?どこに目付けてんらてめー!!あいたっ!?」
男は殴り掛かろうとしたが、清宏は難なくそれを回避した。
空振りした男は地面に転がり、仰向けになると急に泣き出した。
「俺らってこんなはずじゃなかったんらおー!人の為になると思っれ医者になっらのに、やれボッタクリらのヤブ医者らの皆んな好き勝手言いやがるんらおー!!」
「荒れてるな・・・」
「荒れとるのう」
「ダメ人間になってますね・・・」
「アンネ、可愛そうだからヤメたげよう?」
「・・・」
泣き出した男に3人が呆れていると、男が急に静かになった。
清宏が念の為近づいて確認すると、男は泣き疲れて眠っていた。
「これが医者かよ・・・仕方ない、勝手に入るのは気が引けるが、このままにはしておけないし中に運ぶか・・・アンネは爺さんを連れて来てくれ」
清宏が男を担いでアンネに指示を出し、男が診療所と曰った建物の扉を空いている手で押すと、扉には鍵が掛かっておらず簡単に開いてしまった。
「無用心甚だしいなおい・・・よっと!」
清宏は目に付いた診察用のベッドに男を下ろすと、アンネを手伝ってフォルバンを中に入れた後、手近な椅子に腰掛けた。
「外観を見た限りじゃ中も埃だらけかと思ったが、案外手入れはされてるんだな・・・一応は医者としての誇りがあるみたいで安心したよ」
「道具も綺麗に保管してらっしゃるのに、何故この方は昼間からお酒を飲まれてらっしゃったのでしょうか・・・」
「医者と言う職業は、儲からん上に人々からは憎まれるからのう・・・荒れてしまうのも仕方がないじゃろうて」
「お医者様は儲からないのですか?」
フォルバンの言葉を聞いたアンネは、首を傾げて聞き返した。
心苦し気にフォルバンが頷くと、清宏は納得した様に苦笑する。
「それもそうか・・・症状に合わせた薬を調合するとなればかなりの種類の素材が必要だろうし、ストックもそれなりに用意しとかないと、いざ調合する時に足りなかったら不味いしな。
それに診察料ってのは結局は技術料だし、自分の生活を守るためには高くせざるを得ないんだろう」
「そうなんじゃ・・・本来、そんな事は皆んな理解しとるはずなんじゃよ。
じゃが、身体を壊して休んでしまえば稼ぎが無くなってしまうし、医者に診て貰えば日々の生活は更に厳しくなり、その鬱憤の矛先が医者に向いてしまうんじゃ・・・医者も同じ人間なのにこんな言い方をするのは好かんが、皆んな自分の事で精一杯なんじゃよ」
「この方は、これまで歯痒い思いをされてらっしゃったのでしょう・・・人々の為にと選んだ仕事なのに憎まれ蔑まれてしまうだなんて、やり切れない思いからお酒に逃げてしまったのでしょうね」
フォルバンの話を聞いたアンネは、タライに汲まれていた水で手拭いを濡らし、うなされている男の顔に付着した汗と泥を拭う。
「あの・・・清宏様は先程、医療制度と保険制度を見直すように陛下に話をしてみると仰られていましたよね?もし実現すれば、この方の暮らしも楽になるのでしょうか?」
「それは分からないな・・・正直、さっき言ったのは思いつきだし、もしどちらも本格的にやるとなれば国の負担はかなり大きくなるだろう。
それに、俺はどちらも専門じゃないから、細かいところまでは解らない・・・そっち方面に強い奴が協力してくれるなら可能性はゼロではないが、断言は出来ない」
「ふむ・・・お主が知る限りの事とはどのような感じなんじゃ?」
フォルバンに尋ねられた清宏は、唸りながら天井を見つめる。
「医療制度に関しては、高い健康水準・市民の期待への対応・公平な財政負担の3つだったかな?この3つを達成するには、医者と国、それと個人の協力が必要になるだろう・・・。
まず、新たに医者を育てて街や村に派遣する事で、より多くの人々の健康水準を高め、医者が多ければ各患者の期待にそう事が出来るし、診察料を国や街の税収・健康保険・患者個人などで公平に負担する事で、支払う金額を抑えられる」
「健康保険・・・それが保険制度ですか?」
アンネに尋ねられて頷いた清宏は、大銀貨を取り出して机の上に並べた。
「ああ・・・簡単に言えば、まず働いている者の給料から金額に応じた一定額を前払いで国に預けておく事で、いざ病気になった時、医者に掛かる時の費用の一部をそこから支払う事が出来るって感じだ。
俺が居た所では医療費の負担は公費・保険・個人の3つからだったんだが、年代別での個人負担額は1割〜3割程度だったよ。
このように公平に負担する事で、例えば今まで大銀貨10枚掛かっていた診察を1〜3枚で受けられるようになる訳だな」
机の上に並べた大銀貨を右から左へ移動させながら説明した清宏は、銀貨を袋に入れて顔を上げる。
「個人負担を引いた差額は、国からお医者様へ支払われるのですよね?」
「そうじゃなきゃ暮らして行けないだろ?個人負担分がその日の売り上げ、残りは国に申請して後から貰うって感じだな。
正直、このやり方は国の負担がかなり増えるから、いくらお優しいオライオン陛下でも簡単には頷かないだろう・・・だが、医者は人々の安心安全な生活に必要不可欠だ・・・このままこの問題を放置したままだと、いずれこの国から医者は居なくなるだろうな」
説明を終えた清宏が座ったまま伸びをしていると、背後で衣擦れの音が聞こえて振り向く。
振り向いた先では、寝ていた男が真面目な表情で清宏を見つめていた。
「おい、あんたが今言ってた話は本当か?」
「おはようさん・・・本当も何も、そう言う制度があったら良いな程度の話だよ」
「だが、それが出来たら俺達医者は助かるんだよな!?」
「さあな・・・盗み聞きしてたなら今更言うまでも無いだろ?国が主体となって動いてくれなきゃ変わらんよ」
男は清宏の言葉を聞くとベッドから這い出て床に落下し、そのまま土下座をした。
「頼む!話を聞く限り、あんたは国王陛下と面識があるんだろう!?そこまで考えがあるのなら、俺を・・・仲間達を助けてくれ!」
「清宏よ、どうするんじゃ?儂が頼むのは筋違いじゃし、何より世話になる身で頼む事自体おこがましい限りじゃが、出来れば聞いてやってはくれんかのう・・・儂も少し前に医者や薬に世話になったもんじゃから、見て見ぬ振りは心苦しいんじゃ」
フォルバンにまで頭を下げられたため、清宏は頭を掻き毟って唸り、大きなため息をついた。
「近々陛下に会いに行く予定だから、その時に話てみるよ・・・流石に爺さんの頼みとあっちゃ断れないしな」
「すまんのう・・・」
「話て貰えるだけでもありがたい・・・本当に困ってたんだよ・・・同じ志しを持ってた医者仲間の連中も、辞めちまったり非難に耐えられず自ら命を絶っちまったりでさ、俺ももうここを畳んで故郷に帰ろうか迷ってたんだ・・・」
男は床に擦り付ける程に頭を下げ、震える声で呟いた。
「関わっちまったし、見て見ぬ振りは俺も気が引けるからな・・・ただし、条件がある」
「何だ!?何でも言ってくれ!!金は無いが、働いて返せって言うなら何でもする!!」
「俺は文無しの尻の毛まで毟る程鬼じゃねーっての!良いか、俺の要求する条件は二つだけ・・・この爺さんの病状に適した薬に必要な素材、それとその調合方法を俺に教える事だ。
もしあんたがこの条件を飲んでくれるなら、今日の診察代と薬代の他に、薬の調合の授業料としてしばらく生活出来るだけの金を渡す・・・どうだ?」
「分かった!そこまでして貰えるならお安い御用だよ!!」
男は涙を流して喜ぶと、フォルバンの診察を行う前に顔を洗いに洗面所に向かった。
男が居なくなった診察室では、アンネが揶揄うように笑いながら清宏を見ていた。
「何だよ・・・何か言いたげだな?」
「いえ、やはり清宏様はお優しいなと思いまして・・・だって、当面の生活費まで差し上げるんですもの」
「診察代と薬代だけじゃ暮らしていけないだろ?それにあんな酒の飲み方を続けてたら、冗談抜きで医者の不養生になっちまいそうだからな・・・懐に余裕が出来て少しでも希望が見えたなら、あいつも酒に逃げる事は無いだろ」
「逃げねば良いがな・・・」
「不安になるような事言うなよ爺さん・・・」
清宏がため息をついて項垂れると、アンネとフォルバンは可笑しそうに笑った。
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