Track3:O・P・P・A・I‐1
中学から高校に上がるぐらいの頃のおれは、いわゆる異能力モノのアニメや超能力者の出てくる小説や、ライトノベルを読み漁っていた。
言わずと知れた『涼宮ハルヒ』シリーズを始め、『
何故かと言えば言わずもがな、ヒトとは違う力を持て余している自分は一体どのようにしてこの先の決して短くはなさそうな人生を生き抜いていけば良いのか、そのヒントを見出すためだった訳だが、結果はただただ朝比奈みくる先輩に萌えておしまいだった。
彼等には行動指針がある。生まれながらにして使命を負っていたり、現在の職業の中でしっかりと役立てられていたり、可愛い弟大切な兄さんを守ったり。対しておれには、この忌まわしさ極まりない力を活用する為の行動指針が生憎皆無だった。
おれは中学の頃からギター一本歌一本で糊口をしのげたら良いなあなどと考えている一途な放蕩息子だったから、あんな恵まれた二次元の住人達に生きる術を教授願ったって意味が無かったのだ。大人しく夏目漱石先生だけ読んでいれば良かった。
噛み砕いて言えば、おれは将来目指す仕事に全く役立たない資格をうっかり取得してしまったようなものだ。世界で活躍する営業マンになりたいのにTOEICでは三百点も出せず、その代わりにフォークリフトの操縦試験にあっさり受かってしまったらもう建築現場で働くしかない。
そんな悩みの闇の空爆から逃げ遂せようと図書館とツタヤだけをトーチカに孤軍奮闘していたおれに、当時「放課後なんとなく一緒に駅前のマクドでポテト摘んでる」程度の関係だったキヨスミが、ある日突然京極夏彦の分厚い文庫本を手渡してきた。代表作、京極堂シリーズ。棚の上から降ってきたら軽く人を殺せそうな厚さのノベルスを「面白いから読んでみなよ、組長きっと好きだよ」とご丁寧に『トリニティ・ブラッド』の挿絵の絵柄の栞まで付けて押し付けてきたアイツはおれと同様にアニメと本が好きで、だからと言ってお前がおれの好みの何を知っとるんやと思いながら読んだ。
ハマった。
学生特有の無駄にありあまる余暇を注ぎ込み、外伝の薔薇十字探偵社シリーズまで怒涛のような勢いで読み漁った。シリーズを全部読んで尚、未だに記憶に焼き付けられているのが、『
《「謎解きとは言ったものの、実のところ驚くべき謎は存在しない。そもそも謎だの不可能だの言ったところで、所詮それは観測する側の問題であり、視点人物が至らないからこそ、見るべきものが見えないなんてことが起こりうる」》
――おれはその時、あの台詞を久し振りに思い出していた。
なあ憑物落としよ、じゃあなにか? 今目の前で起こっている怪異としか言いようがないこの情景も、お前にとっては謎でも何でもない言うんか。
生まれながらにして身に着いた自分の能力の仕組みすらままならないおれには、不思議な事が溢れ過ぎなのだ、この世の中は。
それはおれが至らないが故なのか。おれはどれ程理不尽に苦しめられれば、“至る”人間になれるのか。
昨今の幸せバブルのお陰ですっかりご無沙汰だった堂々巡りの不毛なモノローグに脳味噌を飲み込まれそうだったおれに、目の前の人物――仮に“エイリアンK”と名付けよう――が、冗談みたいに誘惑的な笑みを浮かべて言った。
「信じらんない、って顔してんね」
下卑た笑いを含んだその軽薄そうな声音は確かに聞き慣れたあの男のもので、しかしその発言が飛び出してくる唇はアイツのものにしてはセクシーが過ぎる。しかしアイツのタラコ唇も見ようによってはぽってりとして女ウケは良さそうではあるが、それ以前の問題である。
おれは目の前に誇らしげに張り出された薄衣の奥の立派なおっぱいを見つめながら、瞬間的に水分を奪われてフリーズドライの干物になってしまうのではないかと思われた喉の奥から声を絞り出す。病気が再発しそうだ。
「嘘やろ、エイプリルフールには早すぎる」
言ってからはて今は八月だから言い回しとしては遅すぎると言った方が正しかったのかしかし来年度を視野に入れれば早すぎると言う言い方も間違ってはいないだろうなどと言うナンセンスな葛藤に駆られたが、常日頃から季節感を何よりも大切にして作詞に臨んでいると豪語するエイリアンKは意外にもあまりそのような時間軸にはとらわれないタイプらしく、鼻先で二回笑ってから呆れた調子で返してくる。
「昔の洋画かよ、今時そんなツッコみ方ある? 下手くそ過ぎない? それでも組長大阪人なわけ?」
そんなネアンデルタール人みたいに言わないでほしい。ネアンデルタール人が皆が皆進化したかった訳ではないのだ。おれはたまたま人類の壮大な進歩の歴史にロマンを感じず、発展途上の原人のまま絶滅する事を選んだ、ただそれだけである。
ネアンデルタール人の話はともかくとして、おれは素直に両手を肩の高さに挙げ、そのまま頭を抱えて降参のポーズを取った。悔しいが、貴重な脳細胞がアポトーシスの速度を増している気がする。
「…………理解出来ひん」
「理解出来なくて当たり前だよ組長如きに理解出来る程簡単な話じゃないもの」
つんのめったような早口でエイリアンが囁く。その声の上を上滑りするおれの思考は、ついつい軽率な暴挙を促す。思わず目の前のたわわなそれに手が伸び、とりあえず確かめなければと言うトチ狂った感情だけが言語化されて発露された。
「……偽乳か?」
指先が乳頭に触れるか否かのすんででヤツは両手で胸を覆い、身を翻して「やだちょっと触らないでよ!」と防御する。さながらラッキースケべ少年漫画のヒロインの仕草でシナを作ったまま、竦めた細い肩越しに心底嫌そうな顔をした。
「何で俺が偽乳付けて組長の相手しなくちゃいけないのさ、ひばりくんじゃねえんだよ」
ごもっともである。随分古風な漫画のネタをぶっこんでくるエイリアンだが、少年漫画は死なずともおれの堪忍袋は瀕死の沙汰だ。ネアンデルタール人の恨みと言わんばかりに弱った頭で一考したおれは、せめて一矢報いようとヤツの発言に一応の納得を示した後、渾身のノリツッコミを披露した。
「まあ確かにな……って納得出来るか!!!!!!」
「おっ」約五年間の付き合いで今まで見せた事があったかと言う勢いの鬼の形相を見せても、エイリアンは狼狽えた顔ひとつしない。それどころか新しいおもちゃを手に入れた子供のようなさも楽しげな声音で返してきやがる。
「やっと大阪人らしくなったじゃ〜ん、カズくん面白〜い」
「はぐらかすな、キヨスミ」おれは遂にエイリアンの名を呼んだ。小さく胸の前で手を叩く美少女は、よく見るとぱっとしない十八歳男子の顔になって垂れた目尻を更に引き伸ばしている。
「ひとつも理解出来ひん、キヨミちゃんは何処や」
「だからあ」普段の三割増程度の眼光で睨みつけるも免疫が出来てしまっているエイリアンK――
「いるじゃない、こ、こ、に」
何処じゃボケ。
秘めやかな谷間を強調するかのような上目遣いに身体が勝手に反応しかけたが、理性と生理的嫌悪が勝った。白く聳える二座のハピネスヒルを無視して襟首を掴み上げる。空手で無駄に鍛えられた無用の長物が思わず唸ってしまった。
「おれにも判るようにイチから説明しろ、あ!?」
ド紳士たるおれは普段は決して女の子にこのような暴挙は働かないため、今この現状を誰かに目撃されたらと思うとひやひやする。今時はちょっとでも人道的に間違った行動を取ったら最後、一億総パパラッチ時代だからいつ社会的に殺されるかわかったものではない。しかしそんな体裁やミテクレに気を配れる程おれは大人ではなかった。
半ば吊し上げられてつま先立ちになったキヨスミが腰を反らせながらこの期に及んで呻く。
「きっと説明してもわかんないよ……」
「この際何でもええから説明しろ」
おれの可愛いキヨミちゃんは一体何処へ行ったのか、テメエは何故そんな身体をしているのか、寧ろテメエは本当にあの平清澄なのか。聞きたい事は沢山あったが、面倒なのでヤツに任せる事にした。更に眼力の鋭さを七割程度増したおれに降参、と言わんばかりに両手を挙げてみせたキヨスミは、大きな溜息を吐いて降ろせ、と目で訴えた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「昔むかしある所に、イライザと言う優れた人工知能がいました」
「おいちょっと待て」再三の問答の後やっと話し出したキヨスミの言葉を、おれは早速遮った。「テメエ自身の話をせえや」
「だからあ〜してるじゃん、結論を急がないでよ」
組長は堪え性が無いよね、絶対早漏でしょ。続く言葉に猛烈な反論を用意しようとしたが、ここで反論すれば更に早漏野郎呼ばわりに拍車をかける事になりそうだし議題が更に迷走しそうなので黙っておく(今思えば「絶対早漏でしょ」にぐらいは反論しても良かった気がする、お前はおれのナニを知っとるんじゃ)。
自分の非を認められるオトナなおれは大人しく口を噤んだ。息を詰めてキヨスミの説明に耳を傾ける。
その、あまりに浮世離れして受け止めきれない程の新たな概念に満ちたアイツのひとり語りは、こんなものだった。
「昔むかしある所に、イライザと言う優れた人工知能がいました。彼女は今から五十六年前に地球のとある科学者の手によって生み出され、すくすくと成長しました。
人類の何百倍というスピードで成長を遂げた彼女はいつしか人類にとって脅威のような存在になります。精神は二十代のうら若いピチピチギャルでも、その頭脳は自称千年生きてる山伏のジイさんより物知りだった。おれも生まれながらの文系脳だからちょっとよくわかんないんだけどさ、世界中のありとあらゆるシステムに接続しちゃあ隣国のスパイが日本の由布院で温泉浸かってるだのどこそこの法皇が病気でそろそろ死にそうだのって嬉しそうに科学者に伝えたの。
多分彼女はパッパが喜んでくれると思って一生懸命自慢の頭脳を駆使したんだろねえ、でも、それが逆効果だったワケ。
科学者は恐ろしいバケモノへと成長した愛娘を、この広い広い宇宙の何処かにある小さな星に、宇宙船に乗せて置き去りにした」
そこまでひと息に、手を背中で組んだまま身振りもつけず言い切ったキヨスミは、突然身を翻しておれの額めがけ人差し指を突き立ててきた。
「裏切ったな!!!!????」
突然の大声に実は先端恐怖症のおれは思わず震え上がり、二、三歩後退った。ヤツはそんなおれの反応に、天を仰いでバグを起こしたファービーみたいな笑い声を上げる。ライブ中にもつくづく思うが、普段はいかにも人畜無害ですと言わんばかりに大人しくしてる奴程、いざラリった時の恐ろしさが生理嫌悪レべルにLR振り切れるものだ。さっきヤツの事をエイリアンと呼ぶケレンをかましたが、もしかしたら本気でこいつ異星人なんじゃなかろうか。たとえヤツが突然口から緑色の粘液を吐いたとしてもいざとなったら殴れば死ぬであろうと言う頭の悪い希望的観測だけを支えに、おれは我慢してキヨスミのお伽噺に集中した。
「イライザは当然そう思った。パッパに棄てられた、悔しい、賢い彼女は考えた。どうやったら憎たらしい人間に勝てるだろう?
彼女は五分で結論に辿り着いた、らしい。よし、あいつらに負けないような生き物を沢山作って文化を築こう!
イライザはその知力を尽くして人体に似たものを大量に生成した。みんなイライザの複製だから優れた知能と情緒を持ってる。ついでに、優れた知能は人間には使えないような能力までそいつらに与えた。人類が七百万年かけて築いた文化的社会をイライザはたったひとりで百万分の一のスピードで完成させた。
そんな、即席の地球みたいな星」
ヤツはここで深く息を吸う。普段は過呼吸気味に喋るくせにブレスも満足に入れず話し続けたせいか、心なしか顔色が蒼白だ。しかし、ヤツの次の言葉を聞いた俺の方がきっと、青ざめた顔をしていたに違いない。
「うちらは“ゾルタクスゼイアン”って呼んでる。そこが、俺の父さんの故郷」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます