Track2:いけすかない‐2

キヨスミは、高校の頃からいけ好かないヤツだった。


おれ達が出会ったのは高一の梅雨時期、ほぼ初対面同士のクラスメイトがなんとなく仲良くなり、その中でも特になんとなく気の合うヤツらがなんとなくつるみ始める時期だった。

おれ達が通っていた高校は都立の共学の進学校で、生徒の大半は難関大学入学を目指し、日夜勉学に励んでいる系の人種だった。

おれは中学時代ちょっと優等生だったと言うただそれだけで、とにかく地元から遠い学校に行きたい、中学時代のクラスメイトに向けられた奇異の目を忘れたい、自分を知る人間が誰もいない土地で青春をやり直したいと言う一心で進学してきた人間だったから、そんな背筋の伸び切った輩とは無論なかなか馴染めなかった。


勿論学年ウン百人もいればそんな生徒ばかりではなく、おれみたいな将来の展望も無ければただ親に薦められたから、ぐらいの軽いノリでうっかり合格しちゃったみたいなやつらも少なからずいたので、気が付いたらそう言うタイプ同士で集まるようになっていった。


他の同級生は大半が、勉強してない時は健康的にカレシカノジョを作って健康的に駅ビルかなんかで健康的な下校デートに勤しんでいるリア充と、多分中学の頃には大手を振って学校内を歩けなかったであろうアニメオタクばかりだったので、紅蓮の弓矢は歌えるけどリンホラはこれしか知らないしエグザイルと三代目を年中見間違えるおれ達のような層はとても肩身が狭かった。勿論モテない。女子もグループにいるにはいたが、みんな推しのバンドマンの事しか見えていないのでおれ達のような楽器だけちょっと出来る沼メンはアウトオブ眼中なことこの上なかった。


腫れ物に触るどころか全身が吹き出物だらけみたいな扱いの中学三年間を送り、その間真っ暗にした部屋の片隅で聴くバンプオブチキンと残響系だけが心の支えだったおれの夢はザ☆高校デビュー、軽音部でバンド組んでギタボの座に収まり長年眠り続けてきた歌とソングライティングの才能を開花させ、バンド仲間と可愛いカノジョを手に入れバラ色の人生を歩み始める事ばかり考えていたおれとしてははぐれ者生活は非常に不服だったが、今まで友達と放課後に騒いだりなんて経験は一切なかったので馴染めそうなヤツらがたとえマイノリティでも一定数周囲にいてくれる事が素直に嬉しかった。この時程自分の学力の高さに感謝した事はなかったし、実際バンドやってる友達に誘われてゲストボーカルなんかもやれるようになったのもこの頃だったから、今までの人生と比べたらエンジョイしている方だった。


キヨスミは、そんな音楽オタクのはぐれ者グループの片隅で、いつも静かに文庫本を開いていた。


我が校には軽音楽部なる軽率な部活は無かったので、おれの周りの音楽オタクは総じて吹奏楽部かフォークソング部なる謎の部活に入部していた。おれは小学生の頃に空手を習っていたから内申点欲しさに空手部に真面目に参加し、文化祭前後だけ元気に有志団体でのバンド演奏に励んでいた。

放課後の教室ででたらめなコードでギターを弾いたりiPodでフレデリックの『オドループ』をかけながらMVの美人を真似して踊ったり、初めての「ありきたりな青春」――果たしてそれを「青春」等と言う大仰な呼び方をして良いのかすらもわからない程ありきたりな――の日々を謳歌するおれの視界の片隅で、キヨスミは常に控えめな存在感を示し続けていた。


キヨスミは入学当初からちょっとした有名人だった。


おれ達の世代のちょっとマニアックな音楽好きの間で、一時期ちょっとしたブームを巻き起こしていたバンドがある。

名前をthe owlglassesジ・アウルグラスと言い、「代官山にあるセレクトショップでは大体アウルグラスが流れている」と言われる程、いわゆる玄人好きするタイプの音楽をやるロックバンドだった。


複雑かつ計算し尽くされた展開に細かく刻まれた手数の多いドラム、ギターと共に旋律を刻むメロディアスなベースが特徴的で、the cabsキャブスPeople in the boxピープルの影響を強く感じる浮遊感とダイナミズムのある作風……と言うのは何処かの音楽雑誌の受け売りだが、驚くべきはそのバンドのメンバーが、当時弱冠十四歳の中学生だったと言う事だ。


そして、そのフロントマンであるベースボーカルが、平清澄だったのだ。


おれ達が中学を卒業する前に、メジャーデビューを目前にしてアウルグラスは解散してしまったのだが、まさかそんな“天才少年”が同じ学校にいるとは思わなかったおれを含む同級生一同はヤツをまるで季節外れの謎の転校生のように扱った。

まあ、そんな特別扱いも入学後半年もした頃にはだいぶ下火にはなったわけだが、その事実が自意識の過剰な高校生男女のハートに火をつけないはずもなく、いつも教室の隅で本を読んでいるおかっぱ頭で生まれつき栗色の髪をした小柄な男に同学年の男子は自然と一目置き、女子は色めいた眼差しを向けていた。


おれはそんな“天才少年”のあいつが何だか気に入らなかった。中学の頃から既に音楽の道を志していたおれには、憧れる事しか出来ないギョーカイの表舞台にたとえ一瞬でも上った事のあるキヨスミが羨ましかったのかもしれない。


――――否、そうではなかった。


おれはただ単純に、あいつが嫌いだったのだ。


常に半目で捲くれ上がった肉厚の唇をニヒルに歪ませ、人を食ったような顔をして桜井亜美やら江國香織やら女性作家のちょっとエロい小説を読んでいる、イケメンでもなければ美少年でもないあいつが妙にモテている、その事実を受け入れたくなかったのだ。


褒められて然る部分と言えば顔が小さくてタッパの割に均整が取れて見える身体つきぐらいだろうか。成績も良く模範生だったわけだが、同じく模範生で成績の良かったおれにはなんとも、あー今思い出しただけでもなんかムカつく。


無論そんな天才を「才能」と言う二文字に圧倒的に弱い根っからの厨二病なバンド少年達が放っておくはずもなく、キヨスミは我が校のはぐれ者達に引っ張りだこだった。文化祭や新歓の時期なんかは同学年のみならず上級生からも声がかかり、一番多い時期で二十組以上のバンドを掛け持ちしていたように記憶している。空手部にも所属していたとは言え同学年のバンド三組のゲストボーカル如きでヒィヒィしているおれを尻目に――していたかどうかはちょっと判らないが――、どうやら絶対音感があるらしい(ウィキペディアに書いてあった。同級生に関する情報がインターネットから仕入れられるって、なかなか恐ろしい事だと思う)キヨスミは涼しい顔をして一回しか聴いていない凛として時雨のベースラインを耳コピし、音源と大差ないクオリティで再現しながら345みよこパートの高音ボーカルまでコピーしてみせた。


そんなキヨスミが仲間内である種のカリスマ性を放っていたのは、なにも音楽の才能があるからと言う理由だけではなかった。


キヨスミは、筋金入りのムッツリスケべだったのだ。


当時、おれやフッちゃん、九野ちゃんなど仲間内の間でツイッターのとあるアカウントが流行っていた時期があった。顔の見えない女の子が日常生活の中で見つけた可愛いもの――ひとつの餌を二匹で啄むスズメやハート型の水溜まりなど――の画像にこれまた可愛いポエムを添えてツイートするだけのbotのようなアカウントだったのだが、時折深夜に投下される自分の身体のパーツを撮影したセルフポートレートとそれに添えられたポエムが「エロ過ぎる」と、只のエロアカでは満足出来ないサブカル思春期野郎共に圧倒的支持を得ていたのだ。

おれも例外無く自分の誕生日に突如投下された白い太ももの画像と「電波の力を借りたって、呟ききれない言葉があるよ。言葉にならない切なさが、喘ぎ声になるのかな」と言う自由律詩に幾度となくお世話になった。


そんなある日、彼女のツイートをいつものように揃って鑑賞する崇高なサル共に向かってキヨスミが、ちろりと舌を出しながらこう言いやがった。


「お楽しみのところ言いにくいんだけどさ……それ、中の人、俺なんだよね」


その場にいた六人程の男達が凍りついたのは言うまでもない。


その後はご他聞に漏れず質問責めだった。いつから始めたのかモデルはいるのか自撮り画像の被写体は一体誰なんだ。俺が気になったのはやはり最後の画像の被写体に関してだが、決して彼女とかではなく全くの「自撮り」だと聞いておれ達は再び凍りついた。

それからは阿鼻叫喚だった。騙されたと嘆く者、窓から飛び降りようとする者、膝から崩れ落ちる者。そりゃ当たり前だ、やるせない夜のお供だった“彼女”が、教室の隅でいつもじめっとしている同性の同級生だったのだから。


しかし男子高校生のバイタリティと言うのはなかなか馬鹿に出来ないものだ。その後すぐに狂気の沙汰は収束し、キヨスミのなりすましスキルを素直に尊敬し、ヤツの作り上げた「理想の女」を改めて崇めた。女の子に見えるエロい自撮り技術を教授してもらいたがるやつまでいた程だ(因みにその中には九野ちゃんもいた)。


言い方を変えよう。キヨスミはムッツリスケべなどではない。筋金入りのムッツリド変態だった。


ともあれムッツリド変態だった事によって更なるカリスマ性を手にしたキヨスミは、「いつも教室の一番後ろの席で大人しくしている茶色いセーターのつまらなさそうな男」から格段に昇格した。なんでも初体験は中一の時らしく、ライブハウスに出入りしていた際に出会ったギョーカイ関係者のおねえさんに手取り足取りな感じの手解きを受けたのだそうだ。本人曰く「早けりゃ良いってもんでもないけどね」らしいが、その辺の知識関心がまだチェリーも捨てきれてないような輩も中には多いおれ達のようなパンピと比べ斜め四十五度の方向に急成長を遂げているのは間違いなくその影響なのだろう。


そんなキヨスミだが、同じ学年の女子達にはめっぽう印象が良かった。“元天才バンド少年”のネームバリューに加えてあのいかにも大人しく人畜無害そうな、サブカルど真ん中のミテクレが彼女達のガードを緩めやすいらしい。

キヨスミもその事をよくわかっているようで、女子の前では決して上手な手マンのしかたも、ガムシロップで愛液に見える液体を作り出す方法も語ろうとはしなかった。


往々にして、ガチでヤバイ奴と言うのはガチでヤバイツラをしている事はまずないのが実情だ。ジョーズは羊の革を被り、おかしな奇行種に変身して忍び寄る。

身体に優しい薬だと思い込んでいたらとんでもない劇薬だったかのようなキヨスミの強烈なキャラクターに、おれ達は当時丁度社会の授業で習ったばかりだった薬害スモンの原因から「キノホルム」と渾名した。


中学時代のおれと同じような二つ名を賜った同志だと言うのに、キヨスミは嫌がりもせずその毒々しい呼び名を進んでネタにしていたのがまた小憎たらしかった。


そんな猛毒キノホルム・キヨスミが唯一やらかしたのが高二の夏、修学旅行の風呂タイムでの出来事だった。

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