episode10《偶然という名の必然は度重なる》
自室に戻り、荷物を適度に放り投げたあと、ベッドに倒れ込んだ。ただ天井を眺めているだけなのに、どんどん遼太の顔が浮かんでくる。真剣に考えたいと思えば思うほど分からなくなるのは、ここに来ても同じだった。
そしていつの間にか私は眠りについていた。
目が覚めて時計を見ると、午後8時を過ぎていた。その時刻を確認すると、思い出したかのように腹の虫が鳴った。空っぽになったお腹を
キパフル地区でのあの言葉が耳から離れない。
『僕、小野崎さんが好きです』
さすがにあの時は突然で、しっかり遼平のことを考えずに答えてしまったが、今なら本当の私の答えが出そうだった。
遼太が小林遼平として生きてきたことを知ってもなお、私の中では遼太=遼平にはならないのだった。遼平の優しさが遼太の優しさだとは思えないのだ。
名前一つでこんなにも感情が揺れ動くなんて、想像もしなかった。誰もが夢に思わないだろう。
無意識に私は遼平の名刺を握りつぶしていた。気づいたときには既に遅く、文字が見えないくらいに小さくなっていた。きっと焦っているのは私だけではないはず。遼太も私からの答えが無くて焦っているに違いない。
「海、行こう」
誰に宛てるでもなくひとりごちて、私は眠る前に放った荷物を引き上げた。
海岸線を歩き、なんとなく海を目指し始めた。寄せては返す波音が、私の焦っていた思考を落ち着かせていく。すれ違う車のライトや人の輪郭がなんだかぼやけていたが、気にしないで歩いた。次第に通る車の台数が減り、先の道には街灯のみが目立つようになっていた。
こつん、と何かが手に当たった。直後、体がぐらりと傾いた。あれ、と思った時にはもう、街灯の灯りは目に映っていなかった。
手首に外部からの力を感じ、反射的に瞑った目を開けると、目の前に人影があった。街灯の逆光で顔がよく見えなかった。しかし、眼前の人物が大きく口を開けるのは見えた。
「危ねぇだろ! ふらふら歩いてるから落ちそうになるんだろ!?」
目が暗さに慣れてくると、眼前の声の主が遼太だと分かった。私の手首はぎゅっと遼太に掴まれている。少し首を動かせば、すぐ横に背の低いガードレールが確認できた。
このガードレールに手が当たって、そのまま落ちそうになっていた。それを通りかかった遼太が助けてくれた。そんなところだろうか。
急に怒鳴られた私は目をぱちくりさせて、状況がしっかり判断できなかった。彼に助けてもらったことは分かった。でも――。
「なんで、遼太がここにいるの?」
普通なら家にいるべき時間だ。一人で歩いていた遼太に私が遭遇するはずもない。
遼太は荒げた呼吸を整えてから、落ち着いて話した。
「何か、嫌な感じがしたんだ。お前が事故に遭うような」
私の手首を掴む力が一層強くなった。痛くはなかったが、遼太が深刻なものを抱えているように思えた。
「心配しすぎだよ」
彼を安心させるために私は微笑んだ。しかし、彼は安心するどころか、再び怒ってしまった。
「実際事故に遭いそうになったのはどこのどいつだよ」
不貞腐れたように言う彼に図星をつかれた。こればかりは反論できなかった。
「その節はお世話になりました……」
彼には頭が上がらないのだった。
ふと彼とのやりとりが懐かしく思えた。数年前、私たちはこうして会話をしていたのだ。どんなに大変なことでも彼と話していれば、話の最後は必ず笑顔になれた。彼が私を笑顔にしてくれた。
あの日に戻りたい。戻れるものならば、あの日をやり直したい。
遼太の目を見つめて、そう思った。
「もう遅いし、ホテルに戻れよ」
遼太は優しさからか気遣いからか、そう言ってくれた。しかし私は首を振って拒否した。理由はもう出ている。覚悟も決めた。あとは自分の口から言うだけだ。
「一緒に海まで来て」
私の手首を未だ掴んだままの遼太の手を、私は掴まれていない手で繋いだ。
遼太は驚いた顔をして拒否しかけたが、何を思ったのか肯いてくれた。
「わかった」
短い言葉で承諾してくれたのを確認すると、私は彼の手を引いて海を目指した。
私が引く彼の手は温かく優しいものだった。その手を握ってもなお、昔を思い出すばかりだった。
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