第三話 ランデヴー(3)

 惑星クロージアで最も巨大な生物は、海中に生息する多足類の水棲生物であった。


 楕円形のぬるりとした身体からだの先端からは何本もの触手が飛び出して、形状だけ見れば浮遊するイソギンチャクのように見えなくもない。だが触手は一本が最大二十メートル以上の太い鞭のような形状で、それぞれ意思を持つかのように自由自在に動き回るのだ。生態としてはむしろ蛸に近いように思えるが、眼球に当たる部位は見当たらない。感覚器官も、そして口腔に相当する部分も全てそれぞれの触手の先端に備わっている。いずれにせよウールディは見たこともない、未知の生物だ。


 一方で彼女が認識出来る最も小さな生命体は、肉眼ではとても捉えきれないほど微少な様々な微生物である。


 といっても意識を集中させればひとつひとつに異なることがわかる、程度のものでしかない。おそらくとてつもない数の微生物たちがひしめいているのだろうが、そもそもこの星の生態系と、数という概念を共有出来るはずもない。彼らの思念に触れても、果たしてどれほどの数の生命体が存在するのか、教えてもらうことなど不可能だ。


 いったい一個の惑星上に存在する生命体の数とは、どれほどのものなのだろう。


(テネヴェやローベンダールみたいなでかい星なら、ヒトだけでも億を超えてたもんな)


 数限りないクロージアの生物の姿が、脳裏を駆け抜けていく。そのどれもこれもが初めて見るものばかりだから、ユタは圧倒されてばかりだ。


(生物全てっていったらどれぐらいになるんだ。百億、千億、もしかして兆?)


 彼の問いに、ウールディのが答える。


(星によって発達の度合いは異なるから、一概には言えないけど。確か京を超えるらしいよ)

(京って、兆の千倍か!)


 驚愕を通り越して理解を放棄したユタは、同時に納得したように嘆息する。


(そんだけの見たこともない生き物たちに押し寄せられたりしたら、そりゃ誰だって気が変になるよ)


 膨大な数の、ヒトならぬものたちの思念に囲まれながら、だがユタの思念は理性を保ち続けていた。それは数えきれぬほどのヒトならぬものを感知してきたウールディが、生まれたときから培ってきた経験を、彼自身のものとして植えつけられたからだ。


(ヒトに比べれば単純って言っていいのかな。微生物の思念なんてそんなのばっかりだけど)

(でもそいつらが、《スタージアン》や《オーグ》にとっての計算資源の役割を果たしている)

(むしろそうあろうとしてるって感じ。ひとりひとりの思念、意識の構造が複雑なヒトには、とてもそんな真似は出来ないわ)


 クロージアの生態系という《繋がり》の中に取り込まれても、ふたりの意識はなお明確に維持出来ていた。それは彼らヒトという存在の思念の在り方が、クロージアの生態系に属するいかなる生物の思念よりも複雑だからなのかもしれない。


(もっと劇的なものだと思ってたけど、そうじゃないんだね)


 そう口にするウールディの思念からは、その内から穏やかな感情が滲み出している。


(《繋がった》ら、もっと強烈な衝撃があるもんだと思ってた)

(そうだな。俺も想像していたのと違った)

(安心するんだね。全部の想いを共有したら、安心して、安定する)


 これ以上ない安心感に包み込まれながら、ウールディは過去にこの星を訪れたテネヴェの有人調査隊に思いを馳せた。


 それほど安定した環境で長い年月を過ごしてきたクロージア生態系にとって、調査隊の宇宙船が現れたことはどれほどの驚きだっただろう。彼らが《繋がる》ようになって幾年月を経たかは知る由もないが、《繋がって》からおそらく初めて惹起された好奇心という感情は、クロージア生態系にとっても衝撃だったかもしれない。


(調査隊でヒトを既に見知っていたから、俺たちへの接触はこれでも控えめにしているつもりだったのか)

(うん。それに思ったよりもすんなり《繋がった》から、向こうの方がほっとしているぐらいだよ)

(それはお前がヒト以外との付き合い方を心得たからだな)


 ユタの言う通り、ウールディ以外のヒトであればあるいは、過去の調査隊同様に正体を失っていた可能性は高い。


(《オーグ》はヒト以外の思念を数えたことがないんだろう)


 彼の率直な言葉、それは《スタージアン》がウールディとユタをクロージアに遣わした真の目的を、端的に言い表していた。


(どんなに大きくても《オーグ》もヒトの集合だからね。N2B細胞を持つヒトとしか《繋がれ》ない。それは《スタージアン》も《クロージアン》もそう。彼らの構成単位は、あくまでヒトだよ)

(でもお前を通じて、俺もこうしてヒト以外の思念を捉えられるようになった)

(ヒト以外の思念まで認識すれば、《オーグ》も当然これまでと桁違いの思念の群れを受け止めることになる)

(そうなったら《オーグ》はどうなっちゃうんだろうな)

(わかんないね)


 クロージアという、生命体のほとんどが精神感応的に《繋がる》であろう惑星と、《オーグ》を《繋げる》こと。それが《スタージアン》の考え出した最後の手段である。


 それもただ引き合わせるだけでは意味がない。クロージア生態系と《オーグ》の間に、ウールディ・ファイハとユタ・カザールを介在させることこそが重要であった。


 ヒトならぬものの思念を捉え得るウールディと、既に《オーグ》に呑み込まれたファナと最も共鳴し易いであろうユタを挟むことで、《オーグ》はクロージアの生き物たちの思念をひとつひとつ認識することになる。


 億兆どころか京単位に及ぶかもしれない思念の奔流など、《オーグ》にとっても間違いなく初めての経験だろう。


(《オーグ》がクロージアに呑み込まれちゃうのかな)

(どうなんだろうな。《オーグ》の地力は《スタージアン》の想像以上かもしれない。どうなるのか見当もつかない)

(でも私とユタが《繋がる》かどうか、そこからして博打みたいなものだったからね。それがほら、こうして《繋がって》いるんだから)


 そう言ってウールディの思念は、微笑を意味する感情を示した。


(多分、なんとかなるんだと思うよ)

(そうだな)


 ユタもまた同様の感情と共にウールディに同意する。


(それにほら、《オーグ》はもう、そこまで来ている)


 ウールディの言う通り、《オーグ》は既にクロージアの近隣まで忍び寄っている。


 彼らの精神感応力はクロージアという惑星を包み込み、その周囲で待ち焦がれるかのように待機していることを、ふたりとも――ふたりと《繋がる》クロージアの生態系もまた感知していた。


(私たちがクロージアと《繋がる》まで、さっきから我慢してたんだよ。私たちから招待されるのを、今か今かと手ぐすね引いて待ってる)

(なんであいつら、喜んでクロージアと《繋がろう》とするんだろうなあ)

(興味津々なのは《オーグ》だけじゃないから。クロージアの好奇心だって火がついて、もう止まらないじゃない)


 他人事のような台詞を口にしながら、実際はウールディもユタもクロージアの生態系に《繋がって》いるのだ。クロージア生態系の好奇心に促されて《オーグ》との接触を心待ちにしているのは、ふたりとも同じであった。


(待ちきれないのは俺たちもだしな)

(うん)


 頷き合うふたりの思念の間には、いささかの隔たりもない。それは彼らを取り巻く未知の生物たちが相手でも同じことであった。


 それがヒト主体か、あらゆる生物を包含しているかという差はあれど、クロージア生態系も《オーグ》同様、精神感応的な《繋がり》の末に安定を得た世界である。


 完全に近い安定を手に入れた世界はその瞬間から、これ以上の進化は望めないという不安を抱えることになる。《オーグ》と異なり惑星から飛び出すことが出来ないクロージア生態系にとっては、あるいはより深刻だったかもしれない。


 その不安はおそらく、三百年前にテネヴェの有人調査隊と邂逅したときに、初めて具体化したのだろう。調査隊を見出したときに引き起こされた好奇心という感情は、同時に漠然とした不安の正体をも明らかにしたのだ。


 今、クロージアという生態系は、ウールディやユタを通じて知り得た《オーグ》との対面を心待ちにしている。そしてまた《オーグ》も、千年の時を経てようやくかなう、クロージアという未知との出会いを待ち焦がれている。


 未知であるが故に惹かれ合う両者は、最初おずおずと、まるで初心な少年少女のように一歩ずつ接近した。だがそれは互いの思念が真に接触するまでの、ほんのわずかのことであった。


 やがて互いにぶつかり合い、絡み合い、至る所で激しい飛沫を立て、相食むとも融合するとも区別のつかない様が、およそ一万光年に渡って延々と繰り広げられていく。


 巨大な思念の集合体同士の邂逅がもたらす激震は、二本の激流が正面から衝突したかの如く、星々の間にいつ果てるともなく響き渡り続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る