第二話 ヴァネットの記憶(3)

(本当に《オーグ》になっちまったのか)


 ラセンの告白に最初に反応したのは、スレヴィアからはるか遠く、トゥーラン星系にたどり着いたばかりの小型宇宙船『レイハネ号』の操縦席に座るユタの思念だった。


(ラセンがそんな悪趣味な冗談を言うわけがないもんな)


 既に十分すぎるほどの変貌を見せつけられてもなお、ユタはラセンの変化を心の奥でどこか受け入れられずにいた。ファナがラセンに正体を名乗るよう促したとき、ユタは彼女の思いに沿って身を乗り出すと同時に、その胸中には知りたくないという気持ちもかすかに残っていたのだ。


 だからラセンの分厚い唇から《オーグ》の名乗りを告げられたとき、ユタの思念に最初によぎったのは驚きよりも深い失望であった。


「千年以上――いえ、もしかしたらもっと長い間、何億ものヒトと機械の融合を続けてきた連中よ。もう私たち人間とは別の存在だわ」


 操縦席の背凭れに両手を乗せて、ユタの背後にたたずむウールディもまた、彼の思念を通じてラセンの変化を目の当たりにしている。ウールディにとっても、ファナの目に映る“兄”の別人ぶりは一目瞭然であった。


 彼女がここ数年共に生活してきた《スタージアン》も、《オーグ》同様に千年の歳月を永らえてきた、精神感応的な超個体群だ。二千万人近くの人々が精神感応的に《繋がり》合う彼らは、ウールディの持つ精神感応力について拒絶や嫌悪を表すことはなく、ただ学術的な興味を示すのみ。己の精神感応力が引き起こす人間関係のトラブルに悩まされてきた彼女にとって、《スタージアン》の態度は極めて安心感をもたらすものであった。


 だが彼らの間で過ごす内に、ウールディの胸中には一抹の不安が芽生えてもいた。互いに《繋がり》合う《スタージアン》の中にあって、ただひとり自分だけが《繋がって》いない。彼女に出来るのは、ただ彼らが《繋がり》合っていることを目の当たりにすることだけ。


 その想いはユタを呼び寄せてから、ますます高まっていった。ウールディと似たような立場であるようでいて、ユタと彼女の間には決定的な違いがあった。ユタとファナの《繋がり》を改めて認識することで、ウールディの疎外感は一層加速する。


 だがラセンの形をまとった何者かを目の当たりにすることによって、彼女のそんな想いはあっという間に過去の彼方へと押し流されてしまった。


「ラセンから《オーグ》の存在を感じ取れるのか」


 ユタの問いに、ウールディは小さく首を振った。


 ウールディが目にしているラセンは、スレヴィアにいるファナの視覚から、ユタの思念を通して認識しているに過ぎない。今、彼女の精神感応力が及ぶのはあくまでユタひとりであり、ラセンの思念に触れられるわけではない。


 ファナやユタの思念の影響を受けていることは否めない。だが彼らがラセンを目にして覚える違和感は、ウールディにとっても等しい想いであった。


 まだ幼い頃に初めてラセンと出会った頃から、ラセンの印象はほとんど変わることがない。初対面の人間には滅法無愛想でありながら、身内に対しては意外なほど面倒見が良く、同時に際限なく甘えてくる。彼が親しい人間に対してことさらぶっきらぼうなのは、そんな態度を取っても大丈夫と信じている相手に対してだけであることを、ウールディは知っている。特にルスランやラージ、そしてヴァネットに対してはその傾向が顕著だった。最近であれば、ファナもそんな相手のひとりに加わりつつあった。


 ところが今、ファナの目の前にいるラセン・カザールからは、身内に相対するときの距離感が微塵も感じられない。


「読み取れなくともわかるわよ。ユタだってそう思うでしょう? あれは私たちの知るラセンじゃない」

「ああ」


 先ほどユタが口にした通り、ラセンという男は冗談でも《オーグ》に取り憑かれたなどと真顔で言う男ではなかった。


 彼の名乗りは《オーグ》の存在を実証する、これ以上ない証しである。


《オーグ》の実在をついに体感して、ウールディはある意味でヴァネットの死に匹敵する衝撃を味わわされていた。


「ユタ、ファナとの《繋がり》が途切れることはないよね?」


 操縦席の背凭れ越しに身を乗り出して、ユタの背後から彼の耳元にそう囁きかけるウールディの顔は、心持ち青ざめている。


「大丈夫だ。今のところはな」


 わずかに振り返ったユタの顔も、ウールディに劣らず顔色が悪い。


「院長導師が言ってた通り、テネヴェぐらいまでは途切れることはないと思う」


 ユタの返事に頷きながら、ウールディは彼の思念を通じてスレヴィアにいるファナにも同じことを繰り返し告げた。


「ファナ、スレヴィアから動かないように気をつけて」


 ウールディの言葉に対して、ファナの思念は一瞬の間を置いてから反応した。


(……ユタとの《繋がり》が途切れたら、どうなるっていうの)


 その答えは彼女の中に既にあるはずだが、認めたくないのだろう。ファナの胸中に渦巻く不安をひしひしと感じつつ、ウールディは彼女に伝えないわけにはいかなかった。


「《繋がり》が途切れたあなたたちはただのN2B細胞保有者ノーマルに過ぎないってことは、ラセンもヴァネットも知らなかったはずよね」

(うん。ふたりとも私たちの力の正体とか、たいして興味なさそうだったし)


 そう答えるファナが思わずごくりと喉を鳴らす音が、ユタの思念を通して精神感応力に伝わる。ウールディは躊躇いながらも、一言ずつ噛んで含めるように口を開いた。


「もし《オーグ》がそのことを知ったら、連中はあなたとユタの《繋がり》をなんとしても断とうとするはずよ」



「お前のことは色々と調べさせてもらった」


 ソファに腰掛けたままのラセンは、両膝に肘を置いてやや前のめりになった姿勢で、そう言った。


「お前たち双子の特殊な精神感応力は、生来の双生児性精神感応力がN2B細胞によって特定の方向に強化された結果生じたものらしい」

「調べたって、私が寝ている間に何してくれたの」


 ファナの非難じみた視線に対して、ラセンはほとんど無表情のまま即答する。


「基本的にはナノマシン溶液による、身体検査だ。この星の持つ調査設備では限界はあったが、ある程度までは解析することは出来た」


 それは確か、ユタがスタージアで散々沈められていた“タンク”による検査だったはずだ。弟が“タンク”に浸かる際にはほとんど一糸まとわぬ格好だったことを思い出して、ファナの顔を思わず赤くする。


「人が意識を失っている間に、勝手に身体からだを弄くってくれたってわけね。思った通り《オーグ》ってのは変態だわ」

身体からだに支障があるようなことはない。お前が気にしているだろう性的な接触もなかったことは保証しよう」

「口先でならいくらでも言えるでしょう。もしかしてこの少女趣味な服も、あんたたちの好みってわけ?」


 ファナは忌々しげな口調で、淡緑色のワンピースの裾を摘まみ上げる。するとラセンは答える前に、前髪に隠れた大きな目を何度かしばたかせた。


「その服は、ヴァネットの意識にあったものだ」


 予想外の名を耳にしたファナの唇の端が、中途半端に引き攣れる。


「……なんだって?」

「彼女はお前に、そういう格好が似合うだろうと考えていた」

「適当なこと言わないでよ!」


《オーグ》の言葉はファナにとって、まだすら出来ていないような剥き出しの傷跡に、無理矢理手を突っ込まれたも同然であった。


「ヴァネットは、ヴァネットは、もう!」


 ローテーブルを乱暴に叩きつけたファナは、激高の余りそれ以上喉から言葉が出てこない。そんな彼女を冷静に見返しながら、ラセンはさらに衝撃的な言葉を口にした。


「彼女の生前の記憶や感情、意識は、全て我々の中にある」


 己の胸元に大きな手を当てて、ラセンは訥々と語り続ける。


「我々はこれまでに《繋がった》ヒト全員を、我々と共にある機械に記録して忘れることはない。ヴァネットと《繋がった》時間は短かったが、既に彼女の全ては我々の中に刻み込まれている」


 淡々とした口調のラセンの言葉にファナの怒りは行き所を失って、代わりに薄茶色の瞳に浮かぶのは困惑であった。


「どういう意味。ヴァネットはあんたたちの機械の中で生きてるとでも言うの」

「そこまでおこがましいことを言うつもりはない」


 ラセンは小さく首を振って、だが相変わらずその表情にはいささかの迷いもない。


「しかし肉体を失う直前までのヴァネットという人格は、隅々まで記録されている。そしてその記録を元に、ヴァネットという人格を限りなく実際に近いところまで再現出来る。そうして再現されたヴァネットが、再現後に加味された経験に基づいてさらにどのように変化成長していくか、そこまで計算シミュレートすることも可能だ。それは見ようによっては、生きているということと近似値かもしれない」

「何を小難しいこと言ってんのよ……」


 ラセンの口から堅苦しい理屈がすらすらと並べ立てられるのも気色悪かったが、それ以上に彼が口にした内容に、ファナは動揺せずにはいられなかった。


「私にはこの格好が似合うって、ヴァネットが?」


 ファナは改めて、自分がまとうワンピースを見直した。淡い、薄緑の色合いは、彼女の短い髪の一部を染める、エメラルドグリーンのメッシュに合わせたのだろうか。機能性重視の宇宙船ふな乗りらしいボディスーツを基調とした格好とは対極にある、例えばこの海に面したリゾートで過ごすに相応しい装いだ。


「本当はお前にそういった服を着せてみたいと、ヴァネットは常々思っていた」


 小さく頭を縦に振って、ラセンが答える。


「《繋がった》ヒト全てと共に生き続ける。それが我々オーグの在り方だ」


 ――《オーグ》の中には、ヴァネットという人格が生き残っている――


 唐突な別離に打ちのめされて間もないファナにとって、それは予想だにしない方向から示された、ひとつの光明にも似た回答であった。

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