第三話 雨滴の波紋(1)

 銀河連邦の事務方のトップ、事務局長を務めるカーリーン・ファウンドルフは、連邦内のあらゆる組織の会合にほぼ掣肘なく参加する資格を持っている。いずれの場合も発言権のない、オブザーバーとしての立場ではあるが、事務局長の肩書きを持つ人間がその場にいること自体、会合に与える影響力は侮れない。


《クロージアン》である彼女にとって会合の内容を把握するためであれば、わざわざ現場に立ち会う必要はない。テネヴェの主要地区を監視する精神感応力によって、出席者の思念を読み取れば良いだけだ。だが彼女が時間を惜しむように連邦常任委員会ビルの至る所に出没するのは、自身の存在感を主張するためであった。


 ファウンドルフは今、銀河ネットワーク推進委員会の定例会に参加していた。会議卓に着席する彼女の目の前には、何枚かのホログラム・スクリーンが重なるかのように空中に表示されている。プロジェクトの概要を示したもの、今後のスケジュールをまとめたもの、担当業務の割り振りを一覧に表したものと様々だが、中でも彼女の目を引いたのはゆっくりと回転しながら全身を見せつけるひとつの立体映像であった。

 つるりとした球体の一端が、そこだけ摘まみ上げられたようにやや突出した形状。全体を覆うのは飴色の光沢のある、滑らかな金属に思われる。静止画で見る分にはそれ以上の特徴は見当たらない、雨滴を模したようなその立体映像は、そのまま『雨滴レインドロップ』とネーミングされた機械を現したものであった。


「三年前にこの『レインドロップ』の試作機の完成を受けて銀河ネットワーク推進委員会が発足した際には、その実現性を疑われ、各方面から様々な批判を浴びました。にも関わらず皆さんのたゆまぬ尽力を得た結果、実働試験もクリアし計算以上の成果を出せたことを、私は非常に嬉しく思います」


 ファウンドルフから見て右奥、会議卓の議長席に腰掛けるエカテ・ランプレーは列席者の顔を順に見比べながら、その強い眼差しに満足そうな表情を乗せて語りかける。


「実働試験の結果報告はデータとして目を通しているけど、映像を見るのは私も初めてです。皆さんと一緒に、ここでその様子を拝見させてもらいましょう」


 そう言ってランプレーが手を翳すと同時に室内の照明が落ち、代わりに会議卓の中央にホログラムの立体映像が浮かび上がる。


 映像の中に映し出されているのは、ただの暗黒であった。だがよく目を凝らせば、背景には小さな光の点が数え切れないほど張りついている。それが宇宙空間を切り取った映像であるということにファウンドルフが気づいたのとほぼ同じタイミングで、映像の彼方から飛来するものがあった。おそらく宇宙船同様の亜光速で接近する物体は、立体映像に切り出された空間の中央で逆噴射の光を放ち、やがて停止したところで初めてその形状をあらわにする。


 ファウンドルフの目には、それはミサイルのように見えた。


 だが、それも一瞬のことであった。


 ミサイルと思われた物体はおもむろにその形を失い、筒状の形態から急速に一点へと凝縮を始めたのだ。その動きはさながら粘性の高い原始生物のようであった。唖然とするファウンドルフの目の前で、物体はいつの間にか完全な球形へと変形を果たしていた。飴色の光沢のある外観に包まれたその球体は、やがて内側から指で突いたかのようにその一部をわずかに突き出した形状となる。


 ミサイル状の物体が移動し、宇宙空間で停止し、自ら雨滴状の形態に姿を変える様は、見る者の度肝を抜くのに十分であった。


「……こうして目の当たりにすると、驚くしかないわね」


 既にその機能を熟知しているはずのランプレーも、驚嘆と同時に歓喜の表情を浮かべている。彼女の言葉に、ファウンドルフも頷かざるを得ない。


 彼女に《繋がった》思念たちが思い浮かべる感想もまた、いずれも驚きに充ち満ちていた。


(これが百パーセント液体金属で構成されるという、完全自律型の無人通信施設か)

(あらかじめ設定されたポイントに自力で移動し、到着後もプログラム通りに姿を変えて、通信機能に特化する……)

(事前に聞き及んでいた通りだけど、それにしても驚いたわね)

(万一デブリ被害に遭っても、液体金属の自己修復機能で容易に回復するんだっけ)

(しかも場合によってはそのデブリを取り込んで、ある程度は自身の材料として加工も出来るというから恐れ入る)

(動力は受信電波から充当するんだろう?)

(そのはずよ。通信が保たれている限り半永久的に稼働し続ける、メンテナンスフリーの通信施設ね)


『レインドロップ』の開発案が発表されたとき、各界の専門家が浴びせたのは実は批判よりも嘲笑の類いの方が圧倒的に多かった。液体金属による完全自律型機械の構想は、これまでにもなかったわけではない。ナノマシンで液体金属を構成し、その動きをコントロールするところまでは、既に技術的にも確立されていたのだ。


 だがナノマシンに施すプログラムは、まだごく単純なレベルにとどまっていた。複雑な指示をプログラムに落とし込む手法は、未だ編み出されていなかったのである。そのような状況で高度に自立的なプログラムが必要な『レインドロップ』の開発を説いても、夢想の域を出るものとは到底見做されなかった。


「N2B細胞の働きをナノマシンに持ち込むというリーンテール博士の研究成果は、ドリー・ジェスターを凌ぐ最大の発明と言えるかもしれない」


 ランプレーが興奮気味に語るのも無理はない。『レインドロップ』開発の基礎を築いたリーンテール博士なる人物は、彼女が代表する惑星タラベルソの科学者なのだ。


 博士はN2B細胞研究の大家ドリー・ジェスターの研究を参考に、その高度かつ普遍的な人体保全の仕組みをナノマシンに最適化された自己修復プログラムとして組み替えたとされている。N2B細胞とナノマシンの類似性を発見したところからヒントを得たという逸話は、既に関係者の間では有名なエピソードだ。


「ランプレー委員長、リーンテール博士にテネヴェまでお越し頂くことは出来ないのですか? 博士は銀河ネットワーク計画最大の立役者です。この期に及んでも計画に難色を示す者たちを説き伏せるには、評議会で博士に壇上に立ってもらうのが最も効果的ではないでしょうか?」


 列席者のひとりが口にした発言に、ランプレーは首を振った。


「それは何度も言ってあるはずです。彼はタラベルソを離れない。宇宙船嫌いの、相当に偏屈な御仁だから、表に出ることは有り得ないと」


 ランプレーの言う通り、リーンテール博士はその名は既に十分知れ渡っているにも関わらず、未だ公の場に姿を見せたことがない。『レインドロップ』の開発に最も貢献した人物であるというのに、その正体は以前謎に包まれているところが多い。


(博士を引っ張り出したい気持ちは十分わかるけどね)

(何しろ当初想定より景況が大きく悪化している。連邦全体の予算規模もここ数年緊縮の一途だ)

(財務局は一貫して計画規模の縮小を訴えているわ)

(それ以前に外縁星系開発局は、未だに自治領への導入に消極的だ)

(連中の場合は、我々の影響力が自治領に浸食するのを恐れいてるからだろう)

(我々よりもむしろ、《スタージアン》の精神感応力がどこまで連邦中に及ぶか。そちらを心配するべきだと思うがね)

(《スタージアン》は銀河系の支配には興味がないと確信しているんでしょう)

(数百年もの間、人類の盾に徹してきた彼らだから、今さら間違いを起こすことはないだろう、と)

(彼らが信頼しているからといって、我々まで付き合う義理はなかろうよ)


 ファウンドルフの脳裏を通り過ぎていく、《クロージアン》の思念たちと己の思念を絡み合わせながら、彼女の目はランプレーに注がれていた。長い睫毛の下から放たれるねめつくような視線を受けて、ランプレーは左頬を時折り軽くひくつかせる。しかし彼女はトレードマークのたてがみのような銀髪を震わせることもなく、それ以上の反応を示そうとはしない。


 会議卓の下で脚を組み替えながら、ファウンドルフは声に出さない呟きを漏らす。


(ランプレーの思念は、相変わらずどこかいびつだわ)


 彼女の感想は即ち《クロージアン》たちが共通して抱く、一貫した分析の結果でもあった。


(誰かと《繋がって》いるわけではない)

(それは明らかだ。だとしたら我々に感知出来ないはずはない)

(だとしてもやはり不自然なのよ。たまに唐突に堰き止められて方向を変えたような、彼女自身のものとは思われない思考の流れがある)

(だが何度探っても、精神干渉の痕跡は認められないんだ)


 ファウンドルフたち《クロージアン》は、ランプレーに限らず連邦評議会議員の思念を常に観察し続けている。にも関わらずランプレーの思念の動きに不自然な点を感じ取ったのは、つい最近のことであった。


(どうしてリーンテール博士を公の目から隠そうとするのか)


 その切欠は、誰しもが抱いたに違いない疑問が端緒となっている。


 ランプレーの立場であれば、銀河ネットワーク計画の実現化に大きく貢献した博士の存在をより積極的にアピールし、褒めそやすなりするのが自然である。大衆にわかりやすい象徴的存在があることは、それだけで計画の実現を後押しする可能性が増すからだ。

《クロージアン》は銀河ネットワーク計画の推進自体は、むしろ賛成の立場を取っている。それだけに彼らはランプレーの意図を探るため、より徹底して彼女の思念を探っていた。


(ランプレーの思念には、何らかの枷が嵌められているのだと思う)


 だがその正体をついに見極めることの出来ないまま、《クロージアン》は手元にある材料を元に推論を重ねていく。


(枷の形は巧妙で、彼女本来の自由な思念に沿う形に近い。だが彼女の思念を人工的にねじ曲げられていると思われる箇所が、ところどころに散見される)

(誰が? どうやって?)

(あくまで状況証拠を積み重ねた上での推測だ。そこまではわからんよ)

(少なくとも我々の精神感応力では、その枠に触れることも出来ず、故に取り除くことも不可能。有り体に言って未知の手段ね)

(だが誰がというのであれば、ある程度見当はつくだろう)

(サカや正統バララトを覆い、タラベルソにも手を伸ばしたかもしれない、第三の《繋がり》しか有り得ないだろうな)


 無数の泡のごとく溢れかえる思念の群れは、互いにぶつかり合って奔流を作り、だがやがて収束する。《クロージアン》は《繋がり》合う思念の間で交わされる検討を経て、ひとつの結論を導き出していた。


(第三の《繋がり》などという迂遠な表現は、もう必要ないだろう)

(そうだね。ただてっきり《星の彼方》方面、スタージアの向こうからやってくると想定していたのだから、虚を突かれたことは否めない)

(《スタージアン》も同じ答えにたどり着いているのかしら)

(どうだろうね。彼らはまだ、ランプレーの思念が不自然な干渉を受けていることを知らないはずだ)

(リーンテール博士の件から、あるいは推測ぐらいはしているかもしれないが)

(なんにせよ、ラハーンディ家を通じて連絡を入れる必要はあるだろう)


 会議卓に片肘をつきながら胡乱げな表情を浮かべるファウンドルフの顔からは、《クロージアン》に《繋がる》全員が等しく緊張する事態を迎えているということなど、微塵も読み取れない。彼女は額にかかるプラチナブロンドの髪を掻き上げながら、《クロージアン》の意思を確かめるように小さく頷いた。


(《オーグ》はもう、すぐそこまで来ているってことをね)

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