第二話 エルトランザの花嫁(5)

「あなたが人の多いところが苦手なのはわかってたんだけど、やっぱりどうしても来て欲しかった。疲れてない?」

「ベルタほどじゃないわよ。ここにいる人たち、みんな銀河系中の政財界のお偉方ばかりなんでしょう。これからはこんな人たちを相手にしていかなきゃいけないなんて、私なら気疲れでダウンしそう」

「あなたのその体質は、知れば知るほど気の毒だわ。どうせ人に言えないような話ばっかり聞こえてくるんでしょう?」


 ベルタはもちろん精神感応力者ではないが、肝心なところでは察しが良い。ただ周囲の目を意識しているのか、中途半端な表情を浮かべるウールディを見ても微笑は崩さなかった。


「私なんてまだまだ歓迎されている方よ。お義母かあ様なんかもっと苦労されたらしいから、その分気を遣ってもらえてるし」


 そこにはマドローゾ家との親交を温めるための計算も込められているのだろうが、ベルタの言葉はその点も加味した上での発言だった。自分たちの結婚が多くの人に影響を及ぼすものであるということを、彼女は十分に理解している。


「お義父とう様もああ見えて、家では気さくな方なの。大丈夫、上手くやっていけると思う」

「そうね。ベルタの神経の太さは、私もよく知ってる」

「そうでなくっちゃ、彼の妻に名乗りを上げたりなんかしないって」


 お互いに顔を見合わせて笑いながら、ウールディとベルタはグラスを軽く合わせて乾杯する。ようやくベルタと対面出来たことと喉を潤すアルコールのお陰で、リラックスしたのかもしれない。いつの間にかウールディは、かつてのように周囲の雑音を受け流す術を取り戻していた。


 ウールディにとって中等院時代の友人と呼べるのは、ベルタひとりといっていい。その彼女の結婚をこうして祝福する機会に恵まれて、自分は幸運なのだと思う。裏表を存分に使い分けるベルタだが、自分に対しては利己的で堂々と開き直ってみせるところが、ウールディには何より好ましい。


「次はウールディの番ね。お招きが来るのを楽しみにしてるから」


 空になったグラスをサイドテーブルに戻しながら、ベルタが楽しげに言う。彼女の言葉の意味がわかって、ウールディは苦笑気味に首を振った。


「だからユタと私はそういうのとは違うんだって。あいつは未だに私が危なっかしいからってガードしてるつもりなの」

「それだけじゃないでしょう。さっきあなたがジョンセンとちょっと口きいただけで、頬のところがこう、ぴくっとしてもの」


 ベルタはこの数年ですっかり観察力に磨きをかけたようだ。それともユタがわかりやすすぎるのだろうか。


「あなたが知らないわけないじゃない。だいたい自分から護衛を買って出るなんて、あなたのことを好きだからに決まってるじゃない」

「それは、まあ――」


 ユタが自分に寄せる想いが、年相応の異性に対する感情の延長線上にあること。そんなことは痛いほどよくわかっている。


 スタージアでふたりで過ごした時間は、既にジャランデール時代よりも長いのだ。その間、ユタは常にウールディに寄り添い続けてきた。当然のことながら、ウールディは彼の気持ちに触れ続けている。今ではファナよりも彼のことを理解しているだろうと、断言出来る自信だってある。


「でも、それだけじゃないの」


 思わせぶりな台詞で言葉を濁すウールディに、ベルタは着飾った姿には少々似つかわしくないほどの呆れ顔を見せた。


「それだけじゃないって、ユタがどんだけ奥手なんだかへたれなんだか知らないけど、じゃあウールディはどうなの?」

「私?」

「わざわざスタージアに彼を呼び寄せたのは、あなたでしょう。そういうあなたの気持ちはどうなのってことよ」


 ベルタの問いに、ウールディは完全に虚を突かれた。そんなことは自明の理だと思っていた。ほかならぬベルタであれば、尋ねるまでもなくわかっていそうなことをウールディは口にしようとして――


「――」


 言葉が出てこなかった。


 自分の想いを言い表す適当な台詞が喉まで出かかっているのに、口にした途端にそのどれもがニュアンスを異にしてしまうような気がして、声に出すことを身体からだが拒否している。


 そんな自分に誰よりも、ウールディ自身が驚いていた。


 唇を半開きにしたまま固まってしまった彼女の顔を、ベルタは黙ったまま見返している。ウールディが何を言い出すつもりなのか待ち続けようという彼女の忍耐は、だが唐突に降りかかってきた声によって掻き消されてしまった。


「花嫁をほっぽり出して、うちのせがれはどこをほっつき歩いているのかな?」


 ウールディとベルタに向かって機嫌良く声をかけてきたのは、デスタンザの支配者であるデヤン・ガークその人であった。挨拶しようと慌てて立ち上がりかけたウールディを、デヤンは鷹揚な手振りで制する。


「ああ、そのままでいい。あなたはベルタの友人だね。確かスタージアで博物院に籍を置くという。博物院生がこうして外に出られるとは珍しい」

「そこまでご存知とは恐縮ですわ。ウールディ・ファイハと申します。ベルタとは中等院の頃から親しくさせて頂いております」

(なかなか美しい娘だな。自治領総督の娘でなければ、手元に置いておきたいものだ)


 デヤンは当然のごとく、ウールディの存在だけでなくその素性まで事前に調べていたらしい。彼女の外見を値踏みするかのような思考を欠片も表情に出さないところは、さすがジョンセンの父といったところだ。


「お義父とう様、ジョンセンは今、ウールディの親戚と一緒に兄と歓談中ですわ」


 義理の娘の返事に、ここまで程々にアルコールを摂取してきたのであろう、デヤンはやや赤味が差した顔をしかめてみせた。


「こんな美しい花嫁の側から離れるとは、不肖の息子で申し訳ない。後で厳しく言っておこう」

「お気になさらず。私も久しぶりに友人と話し込むことが出来ましたし」

(それがそういうわけにもいかんのだよ)


 ベルタに笑顔で頷くデヤンの思考の意味を、ウールディは最初誤解した。てっきりジョンセンとベルタが揃っていないと示しがつかないとか、その程度のことだろうと考えていた。


 だが次の瞬間に長官が脳裏に想い浮かべた言葉は、さすがにウールディも意味を取り違えようがなかった。


(自治領の商人と縁を結ぶのは歓迎するが、この時期に総督に接近しているなどと噂されてはかなわんからな。ベルタにはこの娘との付き合いも程々にするよう言い含めねばならん。不安要素は極力排除すべきだ)


 傍から見ればほろ酔い加減に見えるであろうデヤンの思考には、まるで酒精の靄がかかっている気配がない。その思考は極めて明晰で、それだけにこの星の最高権力者が、確かな根拠に基づいてウールディを煙たがっていることは明白であった。

 動揺を気取られぬよう、ほとんど空になったグラスを口元に運ぶ振りをして、ウールディは我知らず長官の思念に集中する。やがて明らかになったデヤンの思考を読み取ったとき、ウールディは驚きの声を呑み込むのに少なからず労力が要った。


(ランプレーに無用の誤解を招くわけにはいかん。エルトランザの銀河連邦編入のためには、奴の力が必要なのだ)

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