第三話 アンゼロ・ソルナレスの対策(4)

「……《スタージアン》てのは、揃いも揃ってろくでもないな」

「ろくでもないとはあんまりだな。これでも銀河系人類のために、常に最善を考えているというのに」


 腹の内を見透かされて、余裕があるのはソルナレスの方であった。彼の柔和な顔つきには、むしろシャレイドに対する申し訳なさそうな表情がよぎる。それは幼児に対して不相応な話を聞かれてしまった大人が見せる、取り繕うような苦笑に似ていた。どこまでも高みにいるつもりの《スタージアン》の目線が、シャレイドの神経を逆撫でする。


「ヒトであることをやめた身が、人類のためとかどの口でほざく」


 胸の奥から再び込み上げてくる吐き気を堪えながら、シャレイドの目に激情が浮かび上がる。突き刺さりそうな鋭い視線を浴びても、ソルナレスはなお平然としていた。


「私の思考を読み取ったのならわかるだろう? 銀河系人類に迫りつつある脅威、その兆候を我々は捉えている。もちろん人類を脅威から守ろうという、それ自体が我々のエゴだと言われれば否定しないが」

「お前たちの言う脅威ってのは、単なる妄想の産物だ」

「……なるほど。先ほどから君の指先が震えているのは、我々の思考に触れてなお、脅威の存在を認めがたいからなのだね」


 ソルナレスにそう言われて、シャレイドは指差す先が小刻みに揺れ動いているということに、初めて気がついた。慌てて手を下ろす彼に向かって、ソルナレスがふっと小さく息を吐き出してみせる。その仕草を見て頭に血を昇らせそうになったシャレイドに、金髪の博物院長は冷静な口調で告げた。


「脅威は確かに存在する。《オーグ》は実在するんだよ」


 ソルナレスの言葉を耳にして、シャレイドの動きが止まる。


 木漏れ日が降り注ぐ記念館前の広場の中央で、シャレイドはソルナレスと目を合わせてからほとんど動き出していなかった。今、ブーツの下の落ち葉を思わず踏みしめて、足元から響くがさりという音が、やけに大袈裟に耳朶を打つ。

 ソルナレスもまた石造りの階段に腰を下ろしたまま、立ち上がろうとする気配はない。


 黒い防水コートを着込んだ赤銅色の肌に黒髪の青年と、白い長衣に身を包んだ金髪に白い肌の少壮の男は、しばしの間無言のままに対峙する。少なくともシャレイドには、ソルナレスが口にした言葉の意味を咀嚼するための時間が必要だった。


 いわくヒトと機械が融合した化け物であり、銀河系人類の祖である《原始の民》を追放したという《オーグ》とは、誰しもが寓話で耳にする忌避すべき存在である。

 シャレイド自身、「悪い子は《オーグ》に攫われてしまうよ」という脅し文句を、数え切れないほど聞かされてきた。もっとも彼の場合、そう叱る当人が《オーグ》の存在を信じていないことがわかっていたので、あまり効果があったとは言えなかったのだが。


「《オーグ》なんて、お伽噺で十分だ」


 額にうっすら汗を滲ませるシャレイドに対し、ソルナレスは淡々とした口調で答える。


「お伽噺じゃ済まないんだ、シャレイド・ラハーンディ。このまま放っておけば、いずれ必ず《オーグ》は銀河系人類社会に干渉する」

「機械と繋がった化け物の群れが、人間に襲いかかるって?」

「そうじゃない。だが少なくとも君にとっては、襲われるよりももっと耐えがたいことになるだろう」


 今やすっかり余裕を取り戻したソルナレスはそう言うと、それまで座り込んでいた石造りの階段からようやく腰を上げた。


「しかし我々も、の干渉を黙って見過ごすつもりはない。を封じる策は、既に用意している」


 ゆっくりと背筋を伸ばしたソルナレスは、シャレイドよりも頭半分ほど上背が高い。均整の取れた長身を白い長衣に包んで、肩にかかるほどの長い金髪をゆらしながら、その金色の瞳には慈悲深い光さえ宿って見える。

 いかにも寛容を体現したかのようなソルナレスの立ち居振る舞いが、シャレイドには胡散臭く思えてならなかった。人々を安心させると同時に、その信仰を一身に集めるよう計算された、《スタージアン》の顔ともいえる“博物院長”という役割を担う男。

 アンゼロ・ソルナレスという人物の、一挙手一投足の裏に潜む計算が気に障るのではない。そんな計算に唯々諾々と従い続けるソルナレスの姿が、理解しがたいのだ。


「そして君は、我々の策を託す相手としては最適だ。こうして君と出会えたのは天恵だろう。シャレイド・ラハーンディ、是非我々の策に協力して欲しい」


 その口調も表情も誠実そのもののソルナレスの申し出は、シャレイドの心には全く響かなかった。まるで腐臭を嗅いだばかりのように鼻の付け根に皺を寄せて、ソルナレスの顔を見返す目には生理的な嫌悪がまざまざと浮かぶ。


「精神感応力が及ばない相手に対しては、どこまでも距離感が掴めないようだな」

「どこか失礼なところがあったとしたら、お詫びしよう」

「お前らは何から何までろくでもないが、最たるものはそのだ」


 そう言ってシャレイドは乱暴に一歩を踏み出した。足元の落ち葉が、また乾いた音を立てる。


「人類の知識を掻き集めた末がだというなら、《スタージアン》とやらの程度も知れるぜ」

「現時点では最善手だよ。それは君が一番よくわかっているだろう」


 ソルナレスはあくまで穏やかな笑みを崩さない。


「策を腐すのは構わないが、それなりの代案がなければ我々も譲れないな」

「代案も何も、俺は《オーグ》の脅威なんてどうでもいいんだよ」

「例えその通りだとしても、策の成否は外縁星系人コースターの行く末も左右する。君は私の申し出を無視出来ない」


 ソルナレスの言う通りだった。シャレイドには彼の手を払い除けて、この場を立ち去るという選択肢は残っていない。

 そもそもシャレイド自身、博物院長に交渉を持ちかけるつもりでこの星に赴いたのだ。得るものもないまま帰途についても、やがてジャランデールに連邦軍が殺到する未来が待つだけである。成果を得るためには、多少の譲歩もやむを得ない。そんなことは端から覚悟しているつもりだった。


 だが、それにしても彼ら――《スタージアン》に対する嫌悪感は拭いようもない。


《スタージアン》がシャレイドたちを見るときの、睥睨するかのような目線。それは決してヒトを下に見ているわけではないということは、もうわかっていた。ただ、《スタージアン》はヒトに似て非なる存在であり、もはやヒトと同等の立ち位置には有り得ない。その生物としての観点の差異が、高みから見下すように思わせるだけなのである。


 では《オーグ》とはなんなのか。ヒトとは異なる《スタージアン》よりも、さらに次元を違えた存在なのか。《スタージアン》と《オーグ》との間の諍いに巻き込まれたばかりの彼に、いったいどうしろというのか。


 シャレイドの胸の奥に、言いようのない憤りが渦巻いている。


「いいだろう」


 そう言ってシャレイドは心持ち胸をそらしながら、両手を再び防水コートのポケットに突っ込んだ。


 ソルナレスの言うことに納得したわけでは、無論ない。だが彼らの策を受け入れなければ、その協力を得ることも出来ないのだ。一見してのどかな趣きさえ漂う、この緑に囲まれた広場で、いつまでも押し問答をしている暇はない。


「お前たちの策に乗っかってやる。報酬は、外縁星系人コースターと第一世代の仲裁だ」


 シャレイドの言葉に、ソルナレスは長衣の襟元をただしながら柔和な笑顔を浮かべた。


「もちろんだ。我々は、我々に助けを求める者に対して手を貸すことに、やぶさかではないよ」


 申し出を受ける対価として示された条件は、既に織り込み済みなのだろう。満足げに頷く博物院長の顔に、シャレイドが冷ややかな一瞥を投げかける。


「もっとも策を実行した、その後のことまでは保証しかねるぜ」

「そこから先は我々の責任だよ。君は安心して、君の仕事に専念するといい」

「そいつは有り難いね」


 博物院長に鷹揚に頷かれて、シャレイドはその返事とは裏腹に小さく肩を竦めた。


 肩の荷を下ろしたかの如く晴れ晴れとした表情を浮かべるソルナレスを見て、シャレイドは彼らの言うことに未だ納得出来ないでいた。《スタージアン》という存在の、傲然という表現も超越した次元の異なる立ち位置が不愉快なのは、言うまでもない。だが彼の脳裏に浮かんだのは、嫌悪感や憤りとはまた別の疑念である。

 あるいは違和感と言うべきか。全てを見通しているかのような《スタージアン》に対して、なんらかの粗探しを試みているだけ。それ以上に根拠のない、ただの穿った見方かもしれない。


 いずれにしてもシャレイドは、頭の中を掠めたささやかな疑念について、わざわざソルナレスに伝えようとは思わなかった。


 最低限の言質を取ることは出来たのだ。ならこれ以上、あえて余計な口を差し挟む必要もない。


 未だ実感の湧かない《オーグ》の脅威など、知ったことか。


 それは紛うことのない、彼の本心であった。

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