第三話 暗中模索(3)
惑星ジャランデールのシャトル発着場に着いたフランゼリカ・ゲラントの第一声は、「暑苦しい星ね」だった。
低緯度に陸地が集中しているジャランデールは、必然的に赤道付近に居住区域が集中している。ジャランデールの首都部は開けた乾燥地帯に位置しており、肌に突き刺さるような厳しい日差しを避けるため、コートやローブに身を包む人々が多い。フランゼリカもフード付きの白いローブを羽織り、頭からフードを被っている。
「テネヴェに慣れた後だと、ここの気候はきついかもしれませんね」
出迎えの現地の保安庁職員が、彼女と同じように被りこんだフードの下からそう声をかけた。
「よそからジャランデール支部に赴任される方は、だいたいまずこの暑さに根を上げられます」
職員の言葉を聞いて、フランゼリカは不審げに問い返した。
「ジャランデール支部のメンバーは
「上層部はそうですが、現場の人員はジャランデール人がほとんどですよ。それはどこの支部でもそうなのではありませんか?」
彼の言う通り、保安庁は現地の人間を採用し、そのまま現地配属とすることが原則である。現地の情報や土地勘などが重視されることの多い職業柄というのが最たる理由だが、それにしてもジャランデールでも原則そのままだとは思っていなかった。何しろ現在の第一世代と
「そういえばあなたは? ええと……」
そこまで口にして、この職員の名前をきいていなかったことに、フランゼリカは気がついた。
「申し遅れました。ゲラント管理官の補佐を仰せつかってます、モズと申します。不明なことがございましたら、なんでもお申し付けください」
フードを脱いだ下から現れたのは、肉付きの良い顔立ちに大きな目の、全体的に丸い印象を与える中年男性の赤ら顔だった。
「酔っ払っていると勘違いされることが多いんですが、この顔は地なんです。ご容赦ください」
本来なら白い肌なのだろうが、日差しの強いこの土地では赤味が増してしまうのかもしれない。モズの自己紹介がおかしくて、フランゼリカは尋ねかけていたことも忘れて思わず吹き出した。
「確かに、初対面だとアル中にしか見えないわね」
「酒は好物なんで、ますますよく間違われます」
モズがおどけた調子で応じる。彼の案内に促されて、フランゼリカはそのままシャトル発着場からオートライドに乗り込んだ。
保安庁ジャランデール支部にまで至る道は、大通りをスムーズに走り抜けることが出来た。それどころか道中で擦れ違う車もほとんど見当たらず、歩道を行き交う人影もごくわずかだ。大通りの脇にはいくつもの建物が連なっているものの、どこもかしこも人の気配が感じられない。まるでゴーストタウンのような街並みを目の当たりにして、フランゼリカは尋ねずにはいられなかった。
「ここは首都のメインストリートなんでしょう。それにしては随分と寂れているのね」
後部座席からの彼女の問いに対して、運転席に座るモズは振り返らずに答えた。
「我々保安部隊の警備が行き届いておりますので。少々行き届きすぎて、表はいつもこんな感じですよ」
「そうは言っても、普段の生活というものがあるでしょう」
「どこでもそうでしょうが、裏街区的なものがありましてね。どうしても警備が後手に回らざるを得なくて、人々の生活の中心もそちらに移っているようです」
「裏街区ね……」
オートライドのガラス窓越しに生活感の乏しい街並みを眺めながら、フランゼリカはそう呟いた。
「でも、来月になったらおそらく、この大通りも賑わうと思いますよ」
モズが思い出したように振り返り、大きな丸い目を向ける。
「来月? 何かあるのかしら」
「彼女が帰ってくるんですよ。ジャランデール代表連邦評議会議員、ジェネバ・ンゼマ。テネヴェで孤軍奮闘する彼女は、ジャランデールで一番の人気者ですからね。きっと歓迎する人たちで溢れかえることになるでしょう」
モズの口調は、どこかしら浮ついているように聞こえた。
ジェネバ・ンゼマという名前は、フランゼリカももちろん知っている。暴動の当時は彼女自身が連邦通商局のジャランデール支部に勤めていたために逮捕こそ免れたものの、保安庁では要注意人物としてリストアップされている女だ。
何しろ彼女はブライム・ラハーンディ――ジャランデールの教育に尽力し、没後も慕われ続ける人物――の、最後の愛弟子として知られている。暴動後に通商局を辞した彼女は、その後政治活動に転じて連邦評議会議員に選び出された。今では行政長官よりもジェネバこそがジャランデールの指導者と仰ぐ者も多い。暴動で指導者層がこぞって逮捕されたジャランデールにおいて、リーダーとなり得る数少ない人物なのだ。
そして彼女の師、ブライム・ラハーンディこそは、シャレイドの祖父でもある。シャレイドもまた、ジェネバと同じくジャランデールのリーダー候補のひとりに違いない。
「当日の警備体制はどうなっているの?」
フランゼリカの質問に、モズの陽気な声が答える。
「もちろん万全です。後ほど、管理官にもご確認頂くつもりですよ」
「そうね。お願いするわ」
フランゼリカは無意識に親指の爪を噛みながら、頷いた。
彼女がジャランデールに赴任した一番の目的は、この星に潜んでいるだろうシャレイド・ラハーンディを見つけ出し、捕らえるためである。ジェネバ・ンゼマの帰国によって大群衆が集まるというのなら、警備の目も行き届きにくくなり、その隙を突いてシャレイドも動き出すかもしれない。
言い換えれば、潜伏している彼が表に出てくる可能性があるとも言える。
赴任早々にチャンスが巡ってきたかもしれない。オートライドに乗り込んでも被り続けたままだったフードの下で、フランゼリカは思わずほくそ笑んでいた。
♦
(ジノ・カプリとジェネバ・ンゼマが接触した)
ひとつの思念がそう告げる。
その言葉に反応する思念の数は、およそ万を超えた。めいめいがそれぞれの思惑を口にしているようでいて、そうではない。多様な意見もいくつかのパターンに集約されて、議論が容易なレベルまで整理された上で、表出する。雑多な思念をまとめ上げるための手法として、約二百年かけて編み出された思考形態だ。
(ジノ・カプリは第一世代と
(最終的な目標としては良い。だが、彼の場合はいささか性急すぎるだろう)
(彼のような存在は必要だが、今の時点では大人しくしてもらうべきだ)
(もちろん、監視は継続してるわ。それよりもジェネバ・ンゼマよ)
その名を挙げられて、太い眉が微かに跳ね上がった。
(ジノ・カプリと接触したのは、あくまで
(シャレイド・ラハーンディが描いた絵図だぞ。やはりあの男が裏で取り仕切っている)
(彼女の思考を読む限り、シャレイド・ラハーンディがジャランデールにいるのは間違いないわ)
(だけど、連絡船通信ではふたりの通信記録は見当たらない。だとするとジェネバ・ンゼマの前回帰国時の連絡が直近のものであることは間違いない)
(となると次の帰国時にもふたりが連絡を取り合う可能性は高いな)
(ジェネバ・ンゼマもそのつもりでいる。もっとも具体的な日時や場所などは決まっていない)
「結局、シャレイド次第ということだ」
安全保障局本部ビルの一室で、ひとりデスクチェアに腰掛けたまま、その言葉を口にする。真っ暗な室内に灯るのは、デスクの上のホログラム・スクリーンの明かりのみ。そのスクリーン上には、なんの映像も文字も浮かんではいなかった。ただデスク上で湯気をくゆらせるコーヒーカップと、その先の人影を浮かび上がらせるためだけの、照明以上の役割を果たしていない。
「シャレイドの補足は、フランゼリカに任せてある」
(赴任したばかりの土地で、思うように指示が出せるものか。彼女にそれほどの力量があるとは思えん)
(あら、別に捕まえることは期待してないんでしょう。どちらかといえば、シャレイド・ラハーンディを燻り出すための発煙筒みたいなもの)
(あの男の捉えどころの無さは尋常じゃないからな。とにかく表に出てきてもらわないことには、始まらないよ)
(先天性N2B細胞欠損障害なんて、とても信じられない。精神感応力を備えているとしか思えない抜け目の無さだ)
「シャレイドがオルタネイトを常用しているのは間違いない」
そう口に出して、無地のスクリーンに視線を落としたまま、カップを一口啜る。
(オルタネイトの流通経路から居場所を探し出せないのは、誤算だった)
(ちょっとした医療施設があれば、簡単に製造出来るからね。製法を編み出したドリー・ジェスターが凄すぎるのよ)
(なんにせよ、シャレイド・ラハーンディとジェネバ・ンゼマ、このふたりを抑えることが出来れば
(
四角い顎を撫でながら、凝り固まった肩をほぐすように首を傾ける。スクリーンの明かりに照らし出されながら、モートン・ヂョウは何度か瞼をしばたかせた。
「ジノにはその日まで暴走されないよう、しっかりと見張っておかないといけないな」
彼のその一言をもって、当座の議論は終了となった。めいめいの思念はそれぞれが手がけている現場に集中する。思念が散開する気配を脳裏に感じながら、モートンはゆっくりと席から立ち上がった。
シャレイドをなんとしても見つけ出すのだ。その想いは、思念の渦に巻き込まれてしまった今も、変わることはない。
保安庁から安全保障局に抜擢され、テネヴェに止まり続けることがほぼ決まった時点で、モートンはいつの間にかこの、数多の思念たちの見えない腕に絡み取られていた。融合を誘う思念の統合体に放り込まれて、だがモートン個人の意識が完全に混ざり合ってしまうことはなかった。シャレイドを探し出すという彼の執念に似た想いは、今もってモートン・ヂョウという意識を頑なに保ち続けている。
イェッタ・レンテンベリが銀河連邦を作り上げた時代から連綿と続く、テネヴェの中枢を支配するという巨大な思念の統合体は、自らを《クロージアン》と名乗った。そして今や《クロージアン》に《繋がった》モートンは、むしろその能力を最大限に活用しながら、シャレイドを探し続けているのだ。
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