第四話 暗雲(2)

 ジャランデールの暴動は、サード・ラハーンディ、アキム・ラハーンディの親子を初めとした暴動の首謀者とされる面々が次々に検挙されたことで一応の収まりを見せたが、その傷跡は大きかった。この暴動で保安部隊には三十名以上の、ジャランデール民衆にはその十倍以上の死傷者が生じ、発生規模としては銀河連邦創設以来の大惨事となってしまったのである。被害の甚大さが与えた衝撃はジャランデール内にとどまらず、銀河連邦内外に大きな影響を与えた。


外縁星系コーストの人々が返済に苦慮している開拓支援融資について、当面の肩代わりをする用意がある」


 連邦外の複星系国家のひとつであるエルトランザが暴動の直後に発表した声明は、無論外縁星系人コースターを哀れんでの慈悲から出たものなどではない。第一世代を自称する銀河連邦の中央派を飛び越えて、外縁星系コーストに直接影響力を及ぼそうとする魂胆が明白だったので、連邦財務局及び通商局が彼らの申し出を丁重に拒否したのは当然の判断だった。だがジャランデールを初めとする外縁星系コーストの人々の目には、第一世代が救済措置すら断ち切ったようにしか映らず、外縁星系人コースターと第一世代の溝は一層深まるばかりであった。


 シャレイドが失踪して一ヶ月余り経つと、ジェスター院の空気も明らかに不穏な方向へと傾いていた。


「アッカビー、いい加減にしろ」


 生憎の曇天のせいで日陰に覆われたジェスター院の敷地内で、モートンが静かに、だが厳しい眼差しでアッカビーの黒い顔を睨みつける。アッカビーは数人を従えて、己よりも背の高いモートンに対して無理矢理睥睨するように顎を上げていた。


「そこをどけ、モートン・ヂョウ。俺たちは今、一回生に外縁星系人コースターの立場って奴を教育しているところだ」

「お前が保安庁や警察を嫌うのは、連中に代わって外縁星系人コースターをいたぶりたいだけか」


 そう言うとモートンは、自身の背後に目を向けた。そこには彼の大きな背中に庇われるようにして、怯えた顔の少女が立ちすくんでいる。モートンの目の動きで察した彼女は、小さく頭を下げると無言でその場を走り去っていく。


「院内で大手を振って歩けると思うなよ、外縁星系人コースター!」


 少女の背中に向かって、アッカビーの取り巻きのひとりが威嚇するような罵声を浴びせかける。するとモートンはすかさず彼の胸倉を掴んで、腹の底から響くような低い声を発した。


「いい加減にしろと言ったのが、聞こえなかったのか!」


 長身のモートンにのしかかるような迫力で怒鳴られて、相手は途端に萎縮したように顔を歪める。彼の襟首が絞まりそうになる寸前で、今度はアッカビーがモートンの腕を掴んだ。


「お前こそ、その手を離せ。暴力沙汰は御法度だろう」

「複数で一回生を脅し囲むような連中に、暴力云々言われたくはないな」


 モートンはそう言うと、掴んでいた手を振り払うようにして離してみせた。その勢いで相手がよろめき、別のひとりにぶつかっても目もくれない。そのままモートンとアッカビーは、互いの瞳に映る己の姿がわかるほどにまで顔を突き合わせる。


「俺たち四回生には、後輩にしっかりと世間を叩き込む義務があるんだよ」

「お前の知る世間ってのは、署名を持ち込んでも結局保安庁には相手もされなかったことか。自分が不甲斐ないからといって、院内で鬱憤を晴らしているようにしか見えないぞ」


 モートンの指摘は、アッカビーにとって屈辱の一撃だった。アッカビーの黒い肌が見る見る紅潮して、肩がぶるぶると震え出す。激高する彼を前にして、モートンもまた冷静ではなかった。いよいよ衝突しそうな両者の動きを止めたのは、「やめなさい!」というカナリーの声だった。


「ふたりとも、こんなところで喧嘩なんてしたらただじゃ済まないわよ!」


 二棟離れた建物の前を歩いていたカナリーは、騒ぎに気づくや否や大急ぎで駆け寄り、大の男ふたりが角突き合わせる間に文字通り割って入ったのだった。両手でモートンの長身を押しとどめながら、カナリーはアッカビーの顔を振り返る。


「アッカビー、あんた、ジノに散々諭されておいて、まだこんなことやってるの?」

「ジノが何を言ったかなんて関係ねえだろう。邪魔だから引っ込んでろ!」

「そういうこと言っていいわけ?」


 怒声を張り上げるアッカビーに対してカナリーは身体からだごと振り向き、細い眉を吊り上げて腕を組んだ。


「私はホスクローヴ家の娘よ。お父様はジェスター院に莫大な寄付をしている。そんな私にそういう態度を取ったらどうなるか、わかってるのよね!」


 そう言われてアッカビーは一瞬態度を怯ませた。彼の背後の取り巻きたちも、お互いに顔を見合わせる。カナリーは畳みかけるようにして、彼らに向かって言い放った。


「卒業間際の院生だって、放校処分に追い込むのもわけないんだから。わかったらさっさと引き下がりなさい!」


 カナリーの言葉は、どんな院生にとってもこれ以上ない威力を発揮した。取り巻きたちに肩を掴まれて、アッカビーも渋々といったていで踵を返す。去り際に「女に助けられてんじゃねえよ。情けねえな」という捨て台詞を残すことも忘れない。


 アッカビーたち一行が建物の角を曲がって姿を消したところで、カナリーはそれまで組んでいた腕をほどき、大きく息を吐いた。その後ろで一連のやり取りを見送っていたモートンは、カナリーの背中に向かって申し訳なさそうに告げる。


「ありがとう、カナリー」


 するとカナリーは振り返るなり、細い右腕を存分にしならせて、力一杯に振り切った。同時にモートンの左頬に空気が破裂するような音と共にしたたかな痛みが走る。驚いた顔でモートンが振り向くと、カナリーは目尻に涙を浮かべて彼の顔を見上げていた。


「あんたまで、何やってるのよ!」


 カナリーの表情は、ほとんど叫び出す寸前だった。


「こんなことして処分でもされたら、どうするの。モートンまでいなくなったら、私、どうしたらいいのよ」


 そう言ってカナリーは、モートンの分厚い胸板に拳を叩きつけた。興奮する彼女をよく見れば、レギンスを履いた脚の膝から下が、小刻みに震えている。アッカビーたちに対して啖呵を切るのも、よほどの度胸を振り絞った結果だったのだと、ようやくモートンは気がついた。


「ごめんよ」


 モートンは彼女の細い肩に両手を置いて、心底からの謝罪を口にした。彼の頬を打ち据えた手で涙を拭いながら、カナリーの口からは次々と言葉が溢れ出す。


「本当、信じられない。こんなとこで暴力沙汰を起こそうとするなんて。しかも私にまで、まるで嫌味なお嬢様みたいな真似させて」

「悪かったよ。でも実際に暴力を振るったのは、平手打ちをしたカナリーだけだよな」


 モートンが赤くなった頬を見せつけると、カナリーは上目遣いに彼の顔を睨みつけた。


「うるさい! 私の平手打ちなんて、モートンにしたら蚊に刺されたみたいなもんでしょう。もう一発ぐらいひっぱたいてもいいんだから!」


 再び彼女の右手が振り上げられて、モートンが思わず目をつむる。二発目を覚悟していたモートンの頬にやがて伝わったのは、細い指先を揃えた掌の温かい感触だった。


「力任せに叩いちゃった。ごめんね」


 モートンが目を開くとそこには、青い瞳を潤ませて彼の顔を見上げるカナリーの真顔があった。一瞬どきりとして、モートンは思わず目を逸らす。


「いや、本当に俺がいけないんだ。アッカビーだけじゃない。ここのところ院内が妙にぴりぴりしていて、俺もなんだか苛立っていた」


 ジャランデールの暴動の余波は、ジェスター院の中にも及んでいる。


 失踪したシャレイドの父と兄が暴動の首謀者として拘束されたというニュースは、院生の中でも少数派の外縁星系コースト出身の留学生たちに対して、厳しい目が向けられる切欠となった。


 一方でもうひとりの行方不明者であるフランゼリカが、どうやら保安庁を院内に招き入れたらしいという噂が広まると、第一世代の院生の間でもその受け止め方は様々に別れた。外縁星系コースターの犯罪者の子を捕らえるためなら当然と見る向きもあれば、院内に公権力を呼び込むなど院生の風上にも置けないという批判もあった。

 特に保安庁への抗議運動を呼び掛けていたアッカビーなどは、単純に割り切れない状況を知って、怒りの矛先を見失ってしまっていた。院内の外縁星系人コースターに因縁を吹っかけて回っているのは、彼自身遣り場のない感情に身悶えしている証しとも言える。


「フランゼリカの件を知ったら、アッカビーがどうしようもない気持ちになるのもわかるんだ。わかっていたけど、だからといって見過ごせなかった」


 傍らのベンチに腰を下ろし、脇の現像機プリンターから取り出したコーヒー入りのタンブラーを手にして、モートンはそう言った。並んで腰掛けるカナリーも、カフェラテの入ったタンブラーを両手に抱えながら言葉少なに頷く。


 フランゼリカの噂とは、保安庁を引き入れた件だけではなかった。フランゼリカの身内がジャランデールの群衆に惨殺されたという噂は、そのほとんどが事実だったのである。


 彼女が院内から姿を消したのは、回収された遺体の身元確認のためであり、その後遺体と共にミッダルトに戻ったのが立方期クビカ決勝戦の前日、ジノに連絡を取った日らしい。


 そのことをジノから知らされたとき、モートンもカナリーもどんな顔をしていたかは覚えていない。よほどやり切れない表情を浮かべていたのだろうと思ったのは、ジノが整った顔立ちを苦しそうに歪めいていたからであった。


「殺されたのは、彼女の姉なんだ。フランゼリカは院に進む前に両親を亡くして、家族は姉だけだと言っていた。院の学費も援助してもらって、姉には頭が上がらないと」


 フランゼリカの姉の死についてジノが事実を知っているのは、シャレイドの失踪後に再び彼女から連絡があったからだ。事情を知って絶句するジノに対して、フランゼリカはもう院には戻らないと告げたという。


「フランゼリカの中退はいずれ公になるだろうし、彼女の姉の死も知れ渡るだろう。その前にお前たちには知ってもらって欲しかった」


 ジノの意図はよくわかるものの、だからといってモートンもカナリーも、複雑に渦巻く胸中に折り合いをつけることは出来なかった。


「でも、それでシャレイドのことを保安庁に告げ口するなんて、八つ当たりだよ」

「カナリー」

「だって、シャレイドのお父さんたちがフランゼリカのお姉さんを殺したってわけじゃないんでしょう? モートンだって言ってたじゃない。シャレイドのお爺さんはジャランデールじゃ有名人だから、お父さんたちがそのつもりじゃなくてもリーダーに担がれやすいんだって」


 カナリーの必死の弁護は、ジノの悲痛な言葉に打ち砕かれた。


「俺はその台詞を、フランゼリカに向かって言うことは出来ない」


 もしかすると今、ジェスター院で一番苦悶しているのは、ジノなのかもしれなかった。シャレイドともフランゼリカともアッカビーともそれぞれに親交がある彼は、それぞれの事情を慮れるだけの知性もある。何より常に正しくあろうとする彼の姿勢は、普段なら好ましい性質たちであるはずなのに、今はその姿勢が彼にひたすら苦悩を強いているようだった。


「ジノも大変だよね、もうすぐ卒業なのに。そういう意味ではアッカビーも同じなのか」


 長い睫毛を伏せてそう呟いてから、カナリーがカフェラテに口をつける。その横で空になったタンブラーを右手で振りながら、モートンは視線を上空へと向けた。


「俺たちも来年は四回生だ。そろそろ研究室の課題に専念したいところだけど、どうなっちゃうんだろうな」


 モートンに倣って、カナリーも一緒になって顔を上げる。


「シャレイド、どうしているのんだろう。元気でいるのかな」

「本当に、何してるんだろうな」


 ふたりの視線の先には、建物と建物の間を覆う、今にも降り出しそうな雲が広がっていた。空一面に敷き詰められた黒い絨毯のような黒雲は、ふたりの呟きに対して沈黙以外を返そうとはしない。


 やがて降り出した雨音に混じって、モートンの自動一輪モトホイールの位置情報を知らせる電子音が彼の端末棒から鳴り響いたのは、その晩のことだった。

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