第二話 雨空の予感(3)

外縁星系コーストのひとつジャランデールで、大規模な無認可デモが発生しました。鎮圧に出動した連邦保安庁ジャランデール支部隊との間では睨み合いが続いており、一触即発の事態となっています。外縁星系コーストでは官民問わず開拓支援融資の返済期限の延長を求める声が相次いでおり、今回のデモも同じ流れを汲むものと思われています。ジャランデール行政長官は今回のデモについて、参加者への速やかな解散を促しつつ、デモに至った民衆の心情については理解を示すコメントを発表しました。一方連邦保安庁は、治安を乱す行為については今後も断固対処していく方針を示して……』


 物々しい装備を携えた連邦保安部隊が万を超える群衆たちを抑え込もうとする様子が、卓上に転がった端末棒の上に浮かぶホログラムのスクリーンに映し出されている。

 不安げな表情で映像を覗き込んでいるふたりの院生は、時折り顔を見合わせてひそひそ声で言葉を交わしていたが、カナリーが側を通り過ぎようとすることに気がつくと慌てて端末棒に指を触れた。途端にホログラム・スクリーンが掻き消えて、その場に残った棒をひとりが急いで拾い上げる。


「なになに、なんか怪しいものでも見てたの?」


 カナリーの含意の無い質問に対して、ふたりは曖昧な笑みを残してそそくさとその場を立ち去った。その後ろ姿を見送りながら、カナリーはふうと小さくため息をつく。


 先日のアッカビーとの騒動は翌日にはもう、院内でも口さがない連中の口の端に乗って広まっていた。ただシャレイドとジノの遺恨として噂されるだけなら、少なくともシャレイドは気にもかけないだろう。だが昨今の世相が、それだけでは済ませてくれない。


外縁星系人コースターと第一世代でいがみ合うなんて、本当に馬鹿みたい」


 誰に向けたわけでもないカナリーの言葉は、だが小声で呟かざるを得なかった。


 外縁星系人コースターという呼称に、元々侮蔑的な響きなど無かった。八十年ほど前、銀河連邦が主導した第二次開拓運動に携わった人々は、自らが発見し開拓した星々を外縁星系コーストと名づけ、自身のことを外縁星系人コースターと呼んだのだ。その頃の外縁星系人コースターとは自力で未来を切り拓く、誉れ高い人々のことであった。


「ジャランデールのデモ、聞いたか?」

「私の従兄弟が通商局のジャランデール支部勤めだから、心配で仕方ないわ」

外縁星系人コースターの奴ら、散々第一世代俺たちから金を借りておいて、力尽くで踏み倒そうとか信じられないよ」

「そのくせこのジェスター院まで留学する奴までいるってんだから、そんな金があるならさっさと借金を返せってんだ」

「今度の立方棋クビカ大会の決勝は、またあいつが出るんだろう? アッカビーにとっちめられてれば良かったのに」


 院内の至る場所で、不穏な会話が囁かれていた。カナリーの目の前で交わされることが無いのは、彼女とシャレイドが親しいことを、皆が知っているからだ。その程度に遠慮する向きはまだ残っているが、にも関わらずどうにかしてカナリーの耳に入ってしまう噂話は一定数あり、その頻度は日に日に増している。

 カナリー自身は外縁星系コーストに足を踏み入れたことは無い。外縁星系コーストについて知っていることといえば、世間一般に流れる報道以上の知識も無い。実際に知見のある外縁星系人コースターといえばシャレイドぐらいだ。癖の強い黒髪以上に癖がある男だが、院内で噂されるような外縁星系人コースター像とは似ても似つかないのは間違いない。そのことを考えると、実際に見聞してみないことには外縁星系人コースターの実像も掴めないだろう。少なくともカナリーはそう考えている。


 カナリーは我知らず不機嫌に眉をしかめて、院内の敷地を肩を怒らせながら歩いていたのだが、そんな彼女を呼び止める声があった。振り返ったカナリーの視界に入ったのは、ジノのばつの悪そうな顔だった。


「すっかり噂が広まってしまったな。本当に済まないことをした」


 改めて謝るジノに、カナリーは首を振って答えた。


「仕方ないよ。あの店にはほかにも院生が沢山いたし。あれだけ騒いだら、口止めなんて無理だって」

「ちょうどジャランデールのデモの件が重なって、シャレイドへの風向きが強くなっている。何かあいつに余計なプレッシャーがかからなければいいが」

「プレッシャー?」


 カナリーは思わず目を丸くさせて、次の瞬間には盛大に噴き出していた。


「ありえないわ、あのシャレイドがプレッシャーなんて! ジノも知ってるでしょう? どんなプレッシャーだって屁とも感じない奴よ」


 腹を抱えて笑うカナリーを見て、ジノも誘われるように苦笑する。


「それもそうだな」


 だがジノはまだ話し足りないらしく、その場を離れようとしない。そこでカナリーは敷地内の小径の脇に据えつけられたベンチを指差して、ふたりそろって腰を下ろすことにした。


「俺がシャレイドに負けたのは、完全に俺の未熟のせいだ。もしフランゼリカが現れなかったとしても、いずれは逆転されていただろう」


 先日の対局を、やや自嘲気味に振り返るジノに、カナリーは異議を唱えた。


「それはいくらなんでも卑下しすぎじゃない? だってジノの包囲陣はもう少しで完成しそうだったよ」

「俺もあのときはそう思っていた。でも後になって棋譜を見直してみたら、あいつは俺の包囲陣を打ち破るチャンスを、何回かわざと見逃していた」

「そんなことってあるの?」


 驚くカナリーに、ジノは横顔を向けたまま分析を述べる。


「俺がこの前取った戦法は、去年モートンがシャレイドを破ったときの戦法の物真似だ。思うにシャレイドはとっくに包囲陣対策は済ませていたが、モートンと決勝で当たることを考えて、彼が見ている前で披露するのを控えたんだと思う」

「それは、確かにモートンも同じ戦法だって言ってたけど」

「目の前の対局ばかりに囚われていた俺と、決勝まで見据えていたシャレイドとの差だ。悔しいが完敗だよ」


 そこまで言い終えて、ジノの顔はいっそ爽やかな笑顔を浮かべていた。ようやく口に出して負けを認めることが出来た者の、さっぱりとした気持ちの表れだ。同じ立方棋クビカを嗜む者として、カナリーにもその心情は理解出来た。


「なんだかんだ言ってあいつ、頭いいよね。そうでなくちゃ奨学生なんかなれないか」


 カナリーが漏らした感想に、ジノが微妙な表情を浮かべて答えた。


「モートンと間違えてるんじゃないか。あいつが奨学生なのは知っている」

「シャレイドとモートン、ルームメイト揃って奨学生じゃなかったっけ。だってふたりとも同じぐらい成績いいよ」

「カナリー、どんなに成績が良くても、外縁星系人コースターは奨学金を受けられないんだ」


 ジノが心持ち声を低くして告げた内容は、カナリーにじわりとした衝撃を与えた。


「何、それ」

「知らなかったのか。外縁星系人コースターには奨学金制度が適用されない。俺もなんでそんな差別が罷り通るのかはわからないが、これはジェスター院に限らない、連邦全域の話だ」

「だって、シャレイドの実家って、そんな裕福なわけじゃないって……」

「だから相当無理しているはずだ。あいつが優秀なのは間違いないから、家族の期待を一身に背負っているんだろう」


 もしそうだとしたら、立方棋クビカ大会の決勝どころではないプレッシャーではないか。いつも人を食ったような立ち居振る舞いばかりのシャレイドから、そんな重圧を感じたことなど一度もない。カナリーの脳裏に、皮肉っぽい笑みを浮かべたシャレイドの顔がよぎる。線が細いくせにアクの強い表情が、一瞬ぐにゃりと歪んだ気がした。


 彼女の表情があからさまに曇るのを見て、ジノも余計なことを口にしたと思い当たったのだろう。出会った当初と同じようにばつの悪い顔で、ジノはベンチから立ち上がった。


「済まん。喋りすぎたみたいだ」


 そのまま礼を言って一歩二歩と歩き出したジノだが、ふと足を止めると再びカナリーの顔を顧みた。


「そうだ、ひとつ聞きたいことがあったんだ。フランゼリカを見なかったか?」

「フランゼリカ?」


 ジノの恋人でありながらシャレイドに靡いた女の名を尋ねられて、カナリーが細い眉をひそめる。


「知らないなあ。そもそも私、あの子と接点ないし。なあに、よりを戻したいの?」

「いや、それは言わないでくれ。未練がないと言ったら嘘になるが、そういう話じゃない」


 ジノは渋面で否定してから、もう少し深刻な表情で口を開いた。


「俺と彼女は同じ研究室なんだが、昨日今日と姿を見せないんだ。通信端末イヤーカフで呼び掛けても返事がないし、寮にも帰ってないらしい。さすがに心配になってね」

「寮にもいないの? それは気になるね」


 といってもカナリー自身、フランゼリカの顔を見たのは先日のシャレイドとジノの対局の一度きりだ。美しく長い黒髪の、スタイルの良さそうな女だということしか覚えていない。


「わかった、もし見かけたら連絡するよ」


 精々口に出来るのは、気休めに過ぎない言葉でしかない。それでもジノは少し安心したような表情で頷いて、カナリーに別れを告げた。後に取り残されたカナリーはしばらく笑顔で手を振っていたが、やがてジノの姿が建物の陰に隠れて見えなくなると、彼女の顔からは笑顔が消えて、代わりに翳りが差す。


 ジェスター院で学び始めて三年近く。シャレイドとは一回生からの付き合いだから、この三年間はほぼ一緒にいたことになる。それにも関わらず、彼の身の上でまだ知らないことがあったこと。しかもその内容が外縁星系人コースターであるが故の差別的扱いということに、カナリーは二重の衝撃を受けていた。

 シャレイドにとっては、あえて触れ回るようなことではないのだろう。だが、そもそも彼がそんな想いをしなければならないという現状に、釈然としないのはどうしようもない。


 やり切れない想いを抱えたまま、カナリーが天を仰ぐ。彼女が見上げた先には、建物の合間に広がる空の青さの端に、数刻後の降雨を匂わせる黒い雲が迫りつつあった。


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