第一章 ジェスター院

第一話 若き院生たちの日常(1)

 乳白色の丸テーブルの中央に、円形のホログラム投影盤が嵌め込まれている。盤上に浮かび上がるのは、一辺が三十センチほどの立方体のホログラム映像である。


 立方体は九×九×九の格子体ブロックに区切られており、その内には赤、もしくは青の駒がそれぞれほぼ同じ数だけ、まるで互いの陣営を浸食し合うように様々な場所に配置されている。今、赤い駒のひとつが淡く発光したかと思うと、四マス先、右斜め前上方の空白の格子体ブロックへと移動した。その途端に青陣営の駒たちの三分の一が、弾けるように消滅する。


 テーブルを挟んだふたつの肘掛け椅子に腰掛けるのは、いずれもまだ学生と覚しき年格好の、若い男女だ。女の方は青い駒たちが消滅したのを見て、耳が隠れる程度に短く整えられた栗毛の頭をがっくりとうなだれた。赤い駒の群れが優勢となった立方体を、青い瞳がぶるぶると震えながら上目遣いに見つめている。やがて観念したように瞼を閉じ、噛み締められた唇の隙間から「参りました」という言葉が絞り出された。


 ふたりを取り囲んでいた観衆が、彼女の宣言を聞いて喝采とも悲鳴ともつかない声を上げる。


 周囲が賑やかさを増す中、青年は赤銅色の肌に掛かった癖の強い黒髪を掻き上げながら、優男風の顔立ちに似合わない嘲笑を見せつけるように浮かべた。


「まだまだ修行が足りないなあ、カナリー。これで俺の十四連勝だっけ?」

「十三よ。さりげなく水増ししないで」


 カナリーと呼ばれた女は忌々しげに抗議したが、力強い口調も迫力を欠く。青年は相手にする気配も見せず、片手を振りながら席を立った。


「いずれにしろ勝ったのはこのシャレイド・ラハーンディだ。お前は俺がこのまま勝ち進んでいくところを、指を咥えて眺めているんだな」


 シャレイドと名乗った青年はそう言ってカナリーの顔を一瞬見下ろしてから、おもむろに踵を返す。カナリーに出来ることと言えば、その場を立ち去ろうとする青年の痩せぎすな背中を、悔し紛れに睨みつけるぐらいが精々であった。


 丸テーブルの上のホログラム映像はいつの間にか掻き消えて、観衆も三々五々に散らばっていく。やがて肘掛け椅子に腰掛けたままのカナリーともう一人、肩幅の広い長身の男がその場に残った。


「残念だったな、カナリー。中盤までは互角の、いい勝負だった」


 長身の男はそう言って、肘掛け椅子から動こうとしないカナリーの肩をぽんと叩いた。丁寧になでつけられたダークブラウンの髪の下に、落ち着き払った切れ長の目が覗く。年齢はカナリーと同じのはずの男は、年長者のような振る舞いに違和感がない。


「……モートンと対戦したかったのに。こんなところでシャレイドと当たっちゃうなんて」

「お前はシャレイドの棋風とは相性が悪いからな」


 カナリーがなおも腰を上げようとしないので、長身の男――モートンは先ほどまでシャレイドが腰掛けていた椅子に腰を下ろした。


「だけど回を重ねるごとに、カナリーも強くなっている。最初の頃は五十手も指さない内に詰まされていたのに、さっきの勝負は終盤までどっちが勝ってもおかしくなかった。今回はベスト8まで勝ち残ったんだし、来年の大会では雪辱だって夢じゃないさ」

「そうね。せめて卒業するまでに一度はあいつを叩きのめさないと、とてもお父様に顔向け出来ない」


 モートンと言葉を交わす内にさすがに悔しさも収まったのか、カナリーの顔からは興奮が抜けて、本来の前向きな表情を取り戻しつつあった。


「お父様って、ホスクローヴ提督がなんの関係がある?」


 首を傾げるモートンに向かって、カナリーは小さく肩を竦めた。


「言わなかったっけ? 私に立方棋クビカを指南してくれたのはお父様なの。これでもイシタナでは負け知らずだったんだけどね。さすが銀河系中から才能が集まるジェスター院、井の中の蛙だったってことを絶賛体験中よ」


 モートンは四角い顎を撫でながら、羨ましそうな顔を見せた。


「連邦軍の名将が直々の手ほどきか。そいつは俺も是非お願いしたいな」

「モートンはお父様の指導なんかいらないでしょう。去年の優勝者チャンピオンなんだから」


 そう言うとカナリーは丸テーブルの上に両手をどんと乗せて、身を乗り出した。


「シャレイドとは決勝で当たるんでしょう? 私の敵討ち、頼んだわよ」

「俺が決勝に勝ち上がれるかどうかは、まだわからんよ。それにあいつとの対戦成績は、ほとんど五分だからなあ」


 ここで「任せろ」と言わずに真面目くさって答えるところが、モートンという男だった。カナリーは若干不満げな表情を浮かべるが、さらに発破をかけようと口を開きかけた瞬間、彼女の胃袋が大きく鳴って空腹を訴えた。


「頭を使うと腹減るよな」


 羞恥の余り顔を真っ赤にするカナリーに対して、モートンが悪意のない言葉で追い打ちをかける。


「よし、じゃあシャレイドを追っかけて、夕飯を奢らせよう。あいつ、さっきの勝負も賭けの対象にしていたから、今頃はちょっとした小金持ちに違いない」

「あいつ、またそんなことしてたの? ばれたら放校処分だってのに、よくもまあ懲りもせずに」


 カナリーはため息混じりの呆れ顔を見せたが、そのまま立ち上がろうとするモートンの横顔を見て、ふと細い眉をひそめた。


「ねえ。その賭けって、シャレイドが負けたら倍額払い戻しで、勝ったらあいつが賭け金総取りってやつだよね」

「そうだよ。あいつがよくやってるやつだ」


 そう答えて振り返るモートンに、カナリーが尋ねる。


「モートンは乗ったの? その賭け」


 カナリーがその質問を口にした途端、モートンの落ち着き払った表情が俄によそよそしくなった。「ええと、いや、そうだな」などという返事まで、急に歯切れが悪くなる。


「カナリー、そんな賭け事だなんてジェスター院生の品位を落とすような真似、この俺がするわけないじゃないか」

「……私が勝つわけないって思ってたから、賭けなかったんでしょう!」


 憤懣やるかたないといった表情で、カナリーが席を立つ。立ち上ってもモートンの顎先ほどの高さしかないのに、カナリーは細い肩を震わせながら構わずに噛みついた。


「モートンまで馬鹿にして! こうなったら、なんとしてでもシャレイドに奢らせないと気が済まない。大体私との勝負を賭けの対象にしたんなら、私だってもらう権利がある!」

「いや、その理屈はどうなんだろう」

「ごちゃごちゃ言ってる暇があったら、シャレイドがどこに行ったのかさっさと探す! ほら、行くわよ!」


 言うや否やカナリーはモートンの背中を力一杯に叩いて、大股に足を踏み出した。カナリーの身体からだは細身だが、全身バネのように弾力に満ちている。シャレイドが立ち去った方向へと勢いよく歩き出す彼女の背中を、モートンの長身が慌てて追いかける。騒々しいやり取りだったにも関わらず、周囲の人々も取り立てて注目することもない。

 初代学長の名前にちなんでジェスター院と呼ばれることの多いここ、ミッダルト総合学院のカフェテリアでは、毎日のように繰り返されている、極めてありふれた光景なのだ。


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