第一話 銀河連邦の樹立(2)
銀河連邦準備委員会の開催会場は、加盟各国間でその都度持ち回りとなっている。
今回の会場に指定されたのは独立惑星国家のひとつ、ミッダルトであった。
ミッダルトは歴史だけで言えば、エルトランザやバララトと同じく初期開拓時代に入植された星である。だが近隣に入植可能な惑星を発見することが出来ずに、単独の惑星国家として今日まで永らえてきた。銀河系人類社会での国力レベルは微々たるものだが、その歴史の古さから各国からはそれなりの敬意を払われている。
会場に選ばれたのはミッダルトの最高学府のひとつ、ミッダルト中央科学院の会議場であった。ミッダルトは国内の産業に秀でたものがない代わりに、学術研究を主とした人材開発に力を注いでいる。中央科学院のほかにも法学院、工学院、文学院といった学び舎が多く整備されており、各国からの留学生も少なくない。
「成熟した独立惑星国家が目指すべき、ひとつの形ね」
ミッダルトの政府関係者に案内されながら、中央科学院の構内を闊歩するヴューラーが、周囲に聳える校舎を見渡してそんな感想を漏らした。
「単独でまとまるなら有りでしょう。テネヴェでもミッダルトの技術者の手を借りる場面は多いですし」
ヴューラーに半歩遅れて続くイェッタが頷きつつ、すれ違う学生たちの姿にどこか懐かしそうな目を向ける。
「初期開拓時代からの歴史があるからこそね。エルトランザやバララトとも友好を保っているから、ローベンダールも遠慮がある。それほど危機感を覚える状況には思えないけれど、ミッダルトは比較的早い内から銀河連邦構想に理解を示してた。なぜかしら?」
「やはり限界を感じているのではないでしょうか。人材開発に力を入れるといっても、単独では限りがあります。積極的に留学生を受け入れている点を見ても、国外との交流を重視しているのだと思われます」
なるほど、とヴューラーが答えたところで、先を行く案内人がこちらを振り返って、構内でも目立たない、やや小ぶりな建物への入館を促す。そのまま案内人の後をついていくと、やがて通されたのはそれほど広くはない、だが結構な調度品で揃えられた応接室とおぼしき一室であった。
応接室の中でヴューラーとイェッタを出迎えたのは、銀河連邦準備委員会のミッダルト代表、ステッド・ジェスターだった。ミッダルトの外務長官という要職を務める、くすんだ金髪を短く刈り込んだ壮年の紳士は、知性を感じさせる穏やかな笑みを浮かべながら、ふたりと交互に握手を交わす。
「ミッダルトへようこそ。もうひとりの客人も、もうすぐ到着すると連絡がありました。しばしのお待ちを」
既にジェスターと何度か顔を合わせているイェッタは、彼が柔和な表情の裏で冷静に計算を弾き出すことの出来る、芯の通った政治家であることを知っている。愛想の良いキューサック・ソーヤというのが、彼女のジェスター評だ。
ヴューラーとイェッタが革張りのソファに腰掛けて間もなく、重厚な黒塗りの扉が開き、ジェスターの言うもうひとりの客人――バジミール・アントネエフの堂々たる体躯が姿を見せた。金髪の偉丈夫はヴューラーとイェッタの姿を認めて、形ばかりの詫びを口にする。
「既にお揃いでしたか。これは失礼した」
「私たちも今、着いたばかりです。時間もありませんことですし、早速話に入りましょう」
準備委員会の開催に先駆けての会合は、当然極秘裏の非公式なものだ。といっても同様の非公式会談はあちこちで行われているはずで、準備委員会が催される度に付随する定番の光景でもある。
今回の会合はヴューラーからジェスターを通じて呼び掛けられたものであった。ミッダルトは当初からテネヴェの立場に理解を見せつつも、アントネエフの圧力によってスレヴィア派に数えられている。テネヴェにしてみれば、アントネエフとの間の緩衝材としてはうってつけであった。
「本日お集まり頂いたのはほかでもありません。今日の準備委員会の議題である、銀河連邦の本拠地選定についてお二方のご意見を伺いたく、ジェスター長官にこの場を設けて頂きました」
ヴューラーの挨拶を皮切りに、その場の四人がめいめいに無言で視線を交わす。最初に口を開いたのはジェスターであった。
「それはよろしいですが、代表でもないレンテンベリ議員が同席されているのはなぜでしょう? いや、彼女が準備委員会の事務方を務めているのは承知しておりますが」
「言葉足らずで申し訳ありません。今日の彼女は、証人・説明役として同席しております。差し支えなければ彼女の口から説明させたいと思いますが、よろしいでしょうか?」
ヴューラーがそう断ると、ジェスターは小さく頷きながらアントネエフに視線を向けた。アントネエフもまたイェッタに顔を向けて、無言で先を促す。イェッタは軽く頭を下げてから口を開いた。
「先日、我が国の前市長キューサック・ソーヤの下に、ローベンダールのブリュッテル卿から私信が届きました」
ブリュッテルの名を持ち出され、アントネエフの太い眉がぴくりと跳ね上がったのを視界の片隅で確かめつつ、イェッタは話を続ける。
「いわく、銀河連邦の本拠地としてローベンダールを推薦したい。ついてはテネヴェの支持を取りつけたい、とのことです」
アントネエフとジェスターが顔を見合わせる。ローベンダールが本拠地に名乗りを上げるのは予想していたことだが、テネヴェに直接支持を求めてくるとは思っていなかったのだろう。キューサックとブリュッテルが余程親交を深めていたことを知って、男たちの内心に焦りがよぎる。ふたりの思考に差がないことを確かめてから、イェッタはヴューラーに視線を送った。ヴューラーもイェッタの合図を見て取って、向かいの席に座る男たちに向かってずいと顔を突き出した。
「最初に申し上げると、テネヴェはローベンダールを本拠地とすることには反対です。理由はふたつあります」
そう言ってヴューラーは右手を前に翳し、まず一本、長い人差し指を立ててみせた。
「ひとつ。エルトランザ、バララト、サカの複星系国家三国は、銀河連邦をローベンダール惑星同盟の拡張版であると非難しています。ローベンダールを本拠地とすると彼らの非難が的を射ているということになり、外交関係に悪影響を及ぼすことが考えられます」
「その理屈だと、惑星同盟諸国はいずれも本拠地候補から外れることになりますな」
ジェスターの指摘はもっともだった。アントネエフは辛うじて無表情を保っている。ふたりの表情を見比べながらヴューラーは二本目、中指を立てた。
「ふたつ。ローベンダール惑星同盟のいずれかの国が本拠地となった場合、同盟国同士の間での軋轢は避けられません。この件でしこりを残せば、今後の銀河連邦の運営に支障を来します。アントネエフ卿であれば、ご理解頂けるでしょう」
ヴューラーの大きく黒い瞳が、アントネエフの青い目を窺う。市長の目は探るように見えて、実際には目の前のスレヴィア領主を挑発している。だがアントネエフはヴューラーのそんな態度が不快ではないらしく、むしろ喜色すら浮かんでいた。
「だからテネヴェを本拠地に推せと?」
張り出した顎先をゆっくりとした動作で撫でながら、アントネエフが確かめるように問う。対してヴューラーは突き出していた右手を収めて、ソファの背凭れに長身を預けた。片頬が心持ち引き攣って見えるのは、会心の笑みを抑え込んでいるのか。それとも動揺を見せない相手へのささやかな不満か。
「話が早くて助かります」
瞼を伏せて、ヴューラーがアントネエフの言葉を肯定する。すると今度はアントネエフが、自分の番と言わんばかりに身を乗り出した。
「市長、私はまだ是とも非とも言ったつもりはない」
「と仰いますと?」
「回りくどい遣り取りはどうにも苦手でね。単刀直入に言おう。四局長のひとつ、航宙局長にはステッド・ジェスター長官を推薦したい」
アントネエフは大きな手で、隣りに座るミッダルトの長官を指し示した。指名を受けたジェスターが、穏やかに頷く。アントネエフが示した交換条件は、ヴューラーもイェッタも半ば予想していたことであった。だがイェッタが瞳を細めてふたりの思考をさらに覗き込むと、スレヴィアの領主にはさらにしたたかな目算があることが読み取れる。
「そして私は安全保障局長に立候補するつもりだ。市長には是非、その後押しをお願いしたい」
分厚い胸板に手を当てて、金髪の偉丈夫がヴューラーに迫る。言葉以上の他意を見事に隠し通したアントネエフの振る舞いに、タンドラの思念が感心したような一言を漏らした。
(その上で航宙局次長、実務のトップにピントンを任命させるつもり、と。なかなかどうして、考えてるじゃないの)
(ジェスターは完全にお飾り扱いね)
アントネエフは航宙局と安全保障局のふたつを、実質的に支配するつもりなのだ。ローベンダールと手打ちした結果、四局長のポストはお互いに分け合うことになったらしい。だが手に入れたふたつの局の実権は、確実に手中に収めておきたいということだ。ジェスターの終始穏やかな表情の裏には、お飾りの立場へと追いやられる己への自嘲が窺える。
「いかがでしょう、ヴューラー市長。市長の推薦があれば、我々の希望が通る可能性が高まる。当然、我々もテネヴェを本拠地に推す。お互いに益のある話だと思いますが」
諦観をおくびにも出さず、ジェスターはこの場をまとめ上げることに専念する風を装っている。スレヴィアとテネヴェ、双方の橋渡し役を務めることで存在感を保とうとする彼の計算は、独立惑星国家の指導者であれば誰もが身につけざるを得ないものだ。一歩間違えればテネヴェもあっという間に同じ立場になるだろう。いや、傍から見れば既に同じ立場に見えるのかもしれない。
ヴューラーは沈黙している。果たしてここからどれだけ交渉の余地があるのか、それともこのまま承諾すべきか、悠然とした態度の裏で逡巡していた。彼女自身は冷静な計算のつもりでいて、そこに至るまでの思考は、図らずもジェスターと同じ筋道をたどっている。いかにテネヴェで女帝として振る舞うヴューラーであっても、未だ独立惑星国家の指導者という枠からは抜け出せていない。
タンドラの思念が、イェッタに警告する。
(良くないね。小国の迷いを、この脳筋は見逃さない)
彼女が指摘する通り、獰猛な肉食獣並みの嗅覚を備えたアントネエフは、獲物が見せる弱気に敏感だ。例え将来の銀河連邦常任委員長相手でも、一度格下と見做したら以後、どんな小細工も受けつけなくなってしまうだろう。アントネエフにはあくまで対等な立場であることを、知らしめなくてはならない。
この男には強気な態度を保ったまま、泰然自若とした態度で頷いておけば良い。そう、イェッタが強く願う――
その途端、それまで細められていたヴューラーの目が、おもむろに大きく開かれた。
「結構ですわ、アントネエフ卿」
ヴューラーは目を見開いたままに、大きな口の両端を上げた。彼女の唐突な笑顔を目の当たりにして、アントネエフが一瞬困惑の表情を見せる。その隙を逃さないかのように、ヴューラーは彼の顔の前に勢いよく右手を差し出した。
「お互いに益のある話、もっともです。スレヴィアとミッダルト、そしてテネヴェで、来たるべき銀河連邦を牽引していきましょう」
彼女の右手が握手のために差し出されたものだと知って、アントネエフも促されるように右手を出した。アントネエフとの握手の後には、すかさずジェスターとも握手が交わされる。男たちはヴューラーの突然の承諾に戸惑ってはいたが、ともあれ十分な成果を得られたことに満足して、会談は終了した。
三者三様に納得しているはずの光景を見るイェッタの琥珀色の瞳には、安堵だけではない複雑な感情が混在して浮かび上がっていた。
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