第五話 種播きの歌(5)

 祖霊祭会場となる屋外ステージは、下半分を地下に埋めた、巨大な立方体の建物だ。中に入ると三方が階段状の座席に埋め尽くされ、舞台のある一方を見下ろす格好となる。ヴューラーとイェッタたちの席は舞台の側から見て正面からやや上段の辺り。観覧するには絶好の位置だ。逆に言えば、周囲から注目を集めやすい配置とも言える。

 場内にはおそらく万を超える数の参加者が、それぞれの席で式典の開始を待ちわびていた。立方体のすり鉢の中は、参加者たちの思念に埋め尽くされ、充満している。そのどれもが何らかの特徴を備えて、ひとつとして同じ色を用いずに描かれたモザイク状の点描画のように、イェッタの周りを隙間なく取り囲んでいた。その全てを明確に読み取ろうとしても、ロカの言う通り混乱するだけである。

 着席すると同時にイェッタが注意を払ったのは、彼女たち自身に特別な悪意が注がれていないかどうか、であった。だが少なくとも明確な負の感情は察知出来ない。《スタージアン》はなんらかの意図をもってこの位置に配したのだろうが、どういう意図なのかまではわからなかった。わからないという事実が、イェッタを不安にさせる。


 イェッタがもどかしい思いでいる内に、四百年を迎えた記念すべき祖霊祭の式典が、厳かに幕を開けた。


 満天の星空の下、舞台の上で繰り広げられる式典の内容は、二年前にディーゴが目にした記憶に比べてはるかに華美に仕上げられていた。


 冒頭で登場する山車は、ディーゴの記憶では一体だったはずが、今年は三体に増えている。その飾り立て方もひときわ豪奢で、二年前のそれとは比べものにならない。煌びやかに装飾された三体の山車が競うように動き回る様に、観客たちが感嘆の声を上げる。

 やがて山車が定位置に落ち着くと、舞台の袖から舞妓たちが次々と姿を現した。舞妓たちが身にまとう演舞用の長衣は深紅と紫、そして濃紺の三組に分かれて、山車の周りを縫うように一糸乱れず舞う彼女たちの優美さを、一層引き立てる。一連の演目に合わせて流れる荘厳な演奏が、舞の動きと見事に同調して、見る者たちを夢見心地へと誘った。もとより私語など許される雰囲気ではないが、観客たちは誰もが息を呑んで舞台の上に神経を集中させている。優雅で、それでいて激しい踊りを披露した舞妓たちは、最後に舞台の中央に固まって一斉に膝をついた。


 彼女たちに合わせて、演奏も一時止む。


 やがて楽曲の調べが再開されると、舞妓たちは散り散りになって舞台の端へと去っていった。後に残ったのは中央にぽつんと焦点の合った照明と、その中にたたずむひとりの人影だった。


「あれは……」


 イェッタの口から思わず声が漏れる。隣りに座るヴューラーから一瞬視線が注がれるが、イェッタの目は舞台の上に釘付けとなって動かない。彼女の視線の先、照明の明かりに照らし出される中に立つのは、つい先ほどイェッタの頭の中に思わせぶりな言葉を残した少女、オーディールであった。


 白地に金と銀の刺繍が施された長衣の上に、紫のローブを羽織ったオーディールは、まるで会場の客たちに己の姿を注目することを促すかのように、舞台の前端にまで歩み出る。言われるまでもなく、観客たちはこぞって彼女に視線を集めていた。演奏に合わせて、観客に向けて訴えかけるように両手を広げたオーディールは、透き通るような声でおもむろに歌い出した。


 種を播きましょう

 君が進み 見出した先

 夢に見るは 黄金色の波


 オーディールが唱えるのは、イェッタが幼少期から散々親しんできた『種播きの歌』だった。農業を営む彼女の実家では、子守歌代わりによく聞かされてきた童謡だ。骨の髄まで染みついているはずの歌を耳にして、だがイェッタの顔に浮かぶのは懐かしさではなく、驚愕の表情だった。


 種を播きましょう

 繁る森を 切り拓き

 浸たる沼沢に 土を盛り


 本来は長閑で陽気なリズムに乗せて歌われる曲だが、大袈裟過ぎない程度に荘厳に聞こえるようアレンジされた演奏が、会場の隅々まで響き渡る。


 そしてオーディールが抑揚の効いた豊かな声量に乗せて、一言一句歌い上げる度に、会場の空気はあからさまに変化していった。


 会場にひしめく観客たちの、ひとつひとつに歴とした差がある雑多な思念が、オーディールの歌と共に一斉に同じく姿を変えていく。それまでひとつとして同色が存在しなかったはずの、モザイク状の思念に彩られた点描画は、少女が歌い続けるにつれて瞬く間に単色へと塗り潰されていった。


 種を播きましょう

 腰を曲げ 土に祈り

 一握の種籾が 芽吹くと信じて


 オーディールが歌い終えると間もなく、会場に盛大な拍手と歓声が湧き起こった。彼女の歌は素晴らしいものだったかもしれない。だがイェッタはその素晴らしさをそのままに受け止めることは出来なかった。耳をつんざくような拍手も歓声も、全てオーディールの歌に誘導された結果であることを、嫌というほどわかっていたからだ。


 万雷の拍手に見守られながら、オーディールが舞台から退場する。その間際、少女は間違いなくイェッタの顔を認めて、そっと笑みを零した。万を超える群衆の精神すら操る術を、イェッタたちに披露すること。それこそがオーディールの言葉の真意だったと知って、イェッタは心臓をじわりと握り締められるような感覚に襲われる。


 オーディールの退場の後に現れた博物院長は、式典を締めくくる口上の最後に、銀河連邦構想について言及した。独立惑星国家が互いに手を取り合い、銀河系人類社会の輝かしい未来を構築するために、銀河連邦が成立することを願うと表明したのだ。

 そして旗振り役として、テネヴェ市長グレートルーデ・ヴューラーの名を挙げた。

 博物院長がヴューラーの名を口にした瞬間、特等席に座る彼女に集中した出席者たちの視線は、押し並べて好意的なものばかりであった。既にオーディールの歌によって《スタージアン》の言うなりになっていた各国代表が、博物院長の言うことに異を唱えるはずもない。その後の親睦会でイェッタは、ヴューラーに挨拶しようと殺到する各国代表を終始捌き続ける羽目となった。中でも真っ先に駆けつけたのが、よりにもよってアントネエフである。驚くべきか失笑を堪えるべきか、イェッタはせいぜい無礼にならないよう対応するのに苦労した。


(この連中は皆、《スタージアン》に《繋がった》わけじゃない)


 イェッタに劣らぬ動揺を抑えつつ、タンドラの思念が指摘する。


(ただ、この場限りの精神感応的な方向付けをされただけだよ。スタージアを離れれば、いずれ連中の熱狂は醒める)

(それでも、その熱狂の記憶を保ったままに本国に帰還する人々も、一定以上はいるはずよ)


 イェッタは今回の祖霊祭がもたらした成果を、冷静に見極めて、活かさなければならない。


(いずれにせよ、博物院長が銀河連邦構想に賛同し、この場に集まった各国代表の全員――あのアントネエフですら、これを支持した。この事実は覆らない。これで銀河連邦発足に向けた具体的な準備を、各国を巻き込みながら進めることが出来る)


 決然と言い切るイェッタに、タンドラも頷く。だがふたりとも、それ以上の思考を口にすることはなかった。互いに《繋がり》合っている以上、言わずともわかりきっていることとはいえ、あえて言葉にするにはイェッタもタンドラも、お互いに躊躇いがあった。


 銀河連邦構想の実現に向けた大きな一歩――それ以外、あるいはそれ以上に得てしまったものがあることを、ふたりともまだ己の中で消化し切れていなかった。


 オーディールがまざまざと見せつけた、他者の精神に自在に干渉する力。

 偶然にディーゴと《繋がった》ときのような、迂遠な手段は必要ないのだ。その場限りに心の動きを誘導する程度から、無意識の底まで絡めとって《繋がる》ことまで、願うだけでよい。ただそれだけで、他人の心に思うがまま干渉することが出来ると知って、イェッタもタンドラも戦慄するほかなかった。

 あまりにも安易なその術は、《スタージアン》の少女の透明な歌声と共に、ふたりの脳裏にくっきりと刻み込まれてしまったのである。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る