北方征討(二)

 敵先遣隊は当然に偃月えんげつの陣を選択した。

 これは魚鱗の陣にも似て三角の形に布陣するも、主力や総大将の位置が違う。

 魚鱗の陣だと主力や総大将は最後尾で、前進制圧を念頭に置く基本陣形の一つといえる。

 対するに偃月えんげつの陣は、先頭へ主力や騎馬を押し立てての全軍突撃専用だ。……もちろん失敗したらので、あまり使われない。

 やはりリゥパーの見立てで間違いなかった。

 あの軍勢は僕を――僕だけを狙っている。

 乾坤一擲の突撃で総大将の首をとれば、紛れが起きかねない。正しく、勝つ為の選択といえる。

 そしてティグレは……――


 なぜか方陣を組んで!? 騎兵隊が、どうして!?


 相手は突撃と手の内を晒しているのだから、そんなのは対ファランクスで発案済みな傾斜陣か、全世界的に一般的だった鶴翼の陣で迎え撃てばいい。

 どちらも対突撃に優れているし、僕にだって分る定石セオリーだ。

 さらに方陣の後ろへは弓兵部隊が付き従っていて、まるで騎兵部隊が盾役のようだった。

 一応、ガリアの伝統戦術なテストゥド――大楯を最前列に押し並べ、その名の通り亀のように身を守りながら前進する――は方陣の一種だけど、さすがに騎兵ではやらない。

 もしかして余計な注文で、不利な選択を強いてしまったとか!?


 しかし、フォコンと参謀長は、僕とは違う見解な様だった。

「ティグレも人が悪い」

「……少し驕りが過ぎませんか? ほとんど曲芸でしょう?」

 真意を問い質す暇もなく、戦端は開かれ……なす術もなくティグレの騎兵部隊が斬り込まれていく。まるで柔らかいバターだ。

 ……うん?

 よくよく見てみると突破されてはおらず、左右へ別れ相手に道を開けて?

 そうやって敵を通しつつ、偃月えんげつの陣で弱点な横腹を削るように?

 つまり、騎兵の機動力を生かした変則的な傾斜陣だった?

 さらに気付けば鶴翼の陣へ――敵軍の半包囲へ移行してるし!?


「だけど、これ……敵方にしても合意の上じゃ? 結果として勢いを保ったまま本陣へ近寄れてるし?」

「いい塩梅で止めちまえば良いんです、若様」

「……他の確実な手段の方が、小官は好きですね」

 楽しそうなリゥパーに比べ、シスモンドは不満そうだった。

 しかし、それを問い質す間もなく回答が開示される。方陣が突破される寸前――


 敵総大将の首が空を舞ったからだ!


 おそらくティグレだろう、首級を上げたのは。

 続いて敵副将格も、義兄さんに槍で突き落とされてしまう。

 どうやら剣匠とその高弟、さらにはドゥリトル家中から選りすぐられた手練れがストッパー役らしい。……乱暴だけど効果は抜群だ。

 なにより敵軍は、最も避けるべき状態――弓兵の間合いで進軍を止められた。……弓こそが最も危険な兵器だというのに。

 すぐに敵軍は総崩れし、中央の拠点――旧クラウゼ村へと追い立てられていく。前哨戦は完勝だ。



 前哨戦に過ぎなくとも、この勝ちは大きい。

 ドゥリトルの主力は中央――旧クラウゼの村を攻めているものの……ここで負けはもちろん、手間取ることすら許されなかった。

 北部同盟やベック族はともかくイベリアスペインブリタニアイギリス、マレー領は見返りに金銭を約束――ようするに雇い入れていたからだ。


 一領地に過ぎないといっても、国家が傭兵と聞いて首を捻る方もいるかもしれない。

 だが、事実として近世まで国や部族だろうと金銭で、その武力を雇用できた。

 そういう時代という他がないし、小国家などでは基幹産業の例すらある。


 ただ時代の常識といっても、さすがに金銭だけでは難しい。当然にプラスアルファも必要だ。


 武力とは防衛力でもある。誰もが自領を長くは空けられなかった。どうしても周辺の状況や雇用期間に左右されてしまう。

 今回でいえば一か月以内に終結を約束したのは大きい。


 そして互いに支払いを踏み倒せない関係――経済的な信用も必要だ。

 イベリアスペインやマレー領は、二つ目の鋼鉄製竜骨キールが欲しくて堪らない。

 ブリタニアイギリスにしてもドゥリトルは交易の上得意だろうし、その赤字も穴埋めしたいはずだ。


 さらに地政学的なメリット――ゲルマンドイツへの効果的な牽制にもなった。

 例え名を連ねるだけで終わろうと、参戦の意義は十二分に見受けられる。

 残念ながら誰もが単独では為せない以上、結託も吝かではない。

 そう各勢力も思ったはずだ。……そう誘導もしたし。


 が、そんなWin-Winな関係も、この戦争で僕が優位な間に限る。

 少しでも問題が顕在化すれば、どの勢力も当てにできなくなってしまう。

 ここでドゥリトルを大ゴケさせた方がメリットありと思えたら……それを躊躇うような甘い指導者もいないだろうし。


 さらに西海勢力が手を引いてしまったら、北部同盟の撤退も考えねばならなくなる。

 ……負け戦に最後まで付き合う義理は無いからだ。


 少しでも疑念を抱かれたら連鎖的な崩壊もあり得る。

 それが寄り合い所帯な軍勢の大きな欠点か。



 内心、色々と心配いだったけれど、とにかく短期決着だけは見えてきた。

 それは野戦で大勝してくれたからだし、中央拠点の攻略が順調だからでもある。

「……妙ですね。すんなり行き過ぎてます。相手に呼び込まれてんじゃ?」

「相手がへなちょこだからだと思いますぜ、参謀長。なんていうか……粘り? いや、やる気? それを感じられねえですし」

 常に警戒を怠らないシスモンドは流石というべきだけど、実のところリゥパーの見立ての方が真実に近かった。

「今回は矢を大量に持ち込んだからね。いつだか言ったじゃない? ウルスが武装の再検討してるって?」

「矢が潤沢だと、相手の士気を下げられるのですか?」

 何人もの伝令を捌きながらフォコンが首を傾げてみせる。……人ほど貧乏籤を引かされがちた。

「そうそう敵の士気なんて操れないよ。でも、消極的にはできる。それで弱兵とみえてるんだ」

 もっとも分かり難い現代知識チートの説明に、全員が不思議そうな顔をしていた。……無理もないか。



 実は劇的効果が発生しているのだけど、それは非常に分かり難かったし……何ら真新しいこともしていない。

 ただ――

 矢尻を返しのついた鋼鉄製に――ほんの僅かに殺傷能力を上げ……

 一回の斉射を五本から六本に――ほんの僅かに本数を増やし……

 従来より斉射を多用して――ほんの僅かに斉射回数を増やし……

 それだけだ。他には何もしていない。

 だが、それだけで戦果は膨大する。正しく指数関数的に!


 なぜなら一つひとつは二割増し程度でも、四つ合わされれば最初の倍だ。

 ……残念ながら四つ目の強化――発射機具を改善して射程距離を伸ばすまでは、手が回らなかったが。


「そんな『ゆで算』のような理屈を」と呆れられるかもしれない。

 しかし、これは史実に担保がある。

 銃器が台頭するまでの戦争とは、弓の発展史そのものだ。

 古代から続く地道な改善・改良の努力は、末期にクロスボウ対ロングボウの戦争――騎士の落日すら招いた。

 だが、それには大発明だとか、画期的な技術だとかを必要としない。

 全てはマイナーチェンジを積み重ね続けた結果だ。どこかで凄い革新があった訳ではない。

 そして発射装置の改善は一朝一夕にいかなくとも、矢の方は比較的簡単に可能だった。

 なぜなら生産性さえ高めれば、矢の量産が叶う。


 また古代から中世中期にかけて、戦死者の五割は弓類に拠るものだ。

 その戦果が倍となれば、驚くべきことに戦死者は五割増しとなる。

 しかし、ここまで劇的な効果を挙げていても、やっていることは矢の増産でしかなかった。

 見せられたところで分かり難く、分ったところで真似もし難い。

 ……『』で最も地味な、それでいて一、二を争うほどに危険な現代知識チートといえる。

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