御祖母様

 ゼアマデュノの街は、御祖母様が隠居の地と定められていた。

 温泉を高評価しているのだろうし、その辺で話の合うような気がしなくもないけど……正直いって苦手意識がある。

 この世界で覚醒する前、僕は魂が神の国へいった子供と考えられていた。

 大人しく世話を受けはするものの、けっして意思の光を瞳に宿すことはない生き人形。それが覚醒前の僕だ。

 それでなのだろう。御祖母様には、さめざめと泣かれた。

 僕と二人きりの時だけ、堪えきれなくなるのか静かに涙を流される。押し殺すように、そして誰にも気取られぬように。

 覚醒前の記憶――ただ風景として全てを眺めていた記憶から考えるに、本来はちゃきちゃきした人なんだと思う。

 母上とは、まあ普通の嫁姑な関係で、なんというか緊張感はある。

 その辺も慮って下さったのだと思う。言及を避けていた節も見受けられるし。

 誰かを責めるでなく、ただ静かに黙って心を痛め、涙を隠されていた。

 それを知っているだけに引け目を覚えるというか、返しきれそうもない借りがあるというか……つまりは苦手意識を感じてしまう。


「もそっと火に近う。風呂上がりに身体を冷やしてはならぬ。ちゃんと髪も!」

 訪れるや否や御祖母様に暖炉の近くへ座らされ、そのまま髪をゴシゴシと拭われた。

 遠慮のない力が込められていたけれど、なぜだか優しくも感じる。

「あ、ありがとうございます! あとは自分で――」

「坊は婆に、遠慮せんでええ」

 もう諦めて、されるがままジッと待つ。

 ちょっと我慢しているだけで喜んでもらえるのなら、大人しくしているのが一番だろう。

 そうしている内に御祖母様は、やっと満足されたのか――

「よう帰ってきなさった」

 と、微笑まれた。

 それから僕の反応は待たず、暖炉へ掛けられていたヤカンを扱いだす。

 どうやら要件へ入る前に、お茶かなにかを振舞ってくれるらしい。


 しかし、つい『暖炉』などと表現してしまったけれど、それはそれで正しく伝わらないかもしれなかった。

 厳密にいうと暖炉より火鉢の方が近かったりもする。部屋へ作り付けでもないし、煙突すら備えていないからだ。

 そもそも煙突からにして中世末期の発明だったりする。

 煙突というシステムを理解し、さらに煤の出やすい石炭などを使い始めると、やっと作り付けのステレオタイプな暖炉の登場に――


 って、この暖炉火鉢は石炭を燃やしてる!


 そんな馬鹿な!

 いや、石炭そのものは紀元前に発見されているし、産地で燃料として使われることも多い。

 だが、こんな風に部屋の真ん中で石炭を燃やしていたら煤だらけとなるし、石炭特有の匂いも充満するはずだ。

 違う! 逆か!

 石炭を燃やしているにも拘らず、煤や匂いがほとんどない! つまり――


 無煙炭だ!


 脇のバケツへ入れられた、まだくべられてない石炭を手に取る。

 予想通りに硬い! 爪で擦っても傷がつかなかったので、硬度二以上は確実か。

 普通の石炭は、ここまで硬くはない。無煙炭な証拠の一つといえる!

 さらに軽く粉を火へ投じたら火花が爆ぜた。

 もしかして煽石せんせきも混じってる? でも、なんで?

 煽石なんて溶岩が無煙炭へ超高温を掛けた時しか生成されない――


 嗚呼、ドゥリトル山か!


 そもそも無煙炭からにして、火山との関りは深い。

 造山活動の余波で炭層へ圧力が加わり、炭化の進んだケースが多いからだ。

 ようするに火山活動で超高圧を掛けられたのが無煙炭へ、さらに超高温へ曝されたのが煽石と!?

 ただ、これらが史実で活用された例は少ない。

 活用できるぐらい文明が進む前に、単純な用途――暖房などで使い果たされがちだ。

 もしくは有用性や所在が知れ渡る前に科学が発展し、すぐに陳腐化してしまう。

 しかし、寿命のある資源だろうと、適切なタイミングで真のポテンシャルを余すことなく発揮させれば――


 気付けば煽石は取り上げられ、奇妙な目付きの御祖母様に手を布で拭われていた。

 やや非難の意味も込められている気がするから、その伝えたいことは「炭を素手でいじるなんて汚い」だろう。

「えっとッ! そのッ! つい、気になってしまって――」

「坊は、あの人によう似てなさる。あの人も興味が湧いたら他のことは見えなくなる質じゃった」

 叱られているのは間違いない……と思う。

 しかし、御祖母様は嬉しがるような、それでいて呆れもしているようで、なんとも判断が付きにくい。

 そして温かい飲み物の入った湯飲みを差し出しながら――

「よう帰ってきなさった」

 と、また繰り返す。

 それも満面の笑みを湛えてなんだけど、どうしてか悪戯の共犯者めいた感じだ。


 とにかく失礼とならぬよう、まずは一口啜る。

 ……甘い。超甘かった。

 おそらくハーブティの親戚か何かだと思うけど、それへこれでもかとばかりに蜂蜜が入れられている。

 どうコメントしたものか悩んでいたら、ひょこひょこと器用に杖をつかれながら隠しから鉢を取り出されていた。

 なんと山のようにドライフルーツが盛られている!

 転生して以来、これほどに干し果物を見た覚えはない。エステルだったら腰を抜かすんじゃないだろうか?

 しかし、それなのに――

「好きなだけおあがり。全部食べてしまってもええ」

 と勧められた。

 うん、これ社交辞令じゃないな。御祖母様は本気だと思う。少ししか食べなかったらガッカリされるまでありそうだ。

 ……ここは男の子らしい健啖を示すべき場面か。

 さすがに完食は無理としても、御祖母様が満足する程度の量をいけるかなぁ?

 半ば自棄気味に食べ始めた僕を満足そうに眺めながら――

「よう帰ってきなさった」

 と、また御祖母様は繰り返される。

 よし、今日は大食いの記録更新を狙おう!



 しばらく甘いものは、もうたくさん!

 それぐらいの食欲を披露して、やっと御祖母様に納得していただけた……と思う。

「よかったら残りは領都へお持ち帰り。もう婆は十分に頂いたでな」

 ニコニコと御祖母様は仰るけど、そんな訳あるはずなかった。

「いえ、もう十二分に頂きました! それに持ち帰れなどと申されず、リュカと共に領都へと帰りましょう! あちらでまた、御祖母様に振舞って頂ければ良いのです!」

「……坊を眺めて暮らすのは、悪くなさそうだ。でも、歳をとると節々が痛むようになるのさ。クラウディアにも気を遣わせるだろうしね」

 そう左膝を摩りながら御祖母様は仰られるも……少し寂しそうだ。

 なるほど。いわば湯治的なニュアンスでゼアマデュノに――温泉のある街に居を定められたのか。

 これは遠慮したり、変に気遣ったりは逆に失礼かもしれない。

 ……それに分け前を配らなかったら、ダイ義姉さんに何を言われるか分かったものじゃないし。

「そ、それでは有難く! えっと……大事に食べますゆえ!」

「暖かくなったら――夏には坊の様子を見に行こうかね」

 そういって僕を安心させるように、また微笑まれた。

 ……御祖母様の為に、何かできることはないものか。

 しかし、『』の記憶を探る間もなく――


「ギヨーム殿は結局、弁えられなかったようだね。あの人が生きてる頃から、足るを理解できん人じゃった」

 ポツリと呟くように御祖母様は嘆かれる。

 もちろんプチマレでの顛末を耳にしておられるだろう。

 隠居の身といえど報告される身分にあるし、ティグレに至っては街の駐屯兵を動かしている。気付かない訳がない。

「あの人は自分のことのようにランボが産まれたことを喜ばれた。あの人に免じて、ランボ達兄妹だけは許してやって貰えぬかの?」

 ああ、そういうことか。

 どうして呼び出されたのか、とんと見当もつかなかったのだけれど……やっと腑に落ちた。

 御祖母様はランボ――我が従叔父じゅうしゅくふ殿の助命嘆願をされるおつもりだ。

 いや、違うか?

 それは父上へ願い出るべき筋だから、僕には根回しというか……その後の親戚関係を心配してか。

 御祖母様はドゥリトル一族の長老として、血族の諍いを憂慮されているのだろう。

 ……そしてギヨームに関して言及しないあたり、覚悟もされてるはずだ。

「父上なら、必ずや御祖母様に御納得の頂けるよう計らうかと。もちろん、リュカも従うつもりでございます」

 満足そうに御祖母様は頷かれたから、まあまあ及第点な返事だろう。

「では、婆めも二人へ心を入れ替える様、申しつけようかの」

 ……うん? なんだか引っ掛かるぞ? 何か見落として?

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