5-2 手がかりはまだ遠く


「なんだおまえ休んでるんじゃなかったのか」


 フリックが客間に戻ると、ゼオがいた。

 そういう自分はルベルと別行動していていいのだろうか。


「あー、ちょっとトイレにさっ! 帰り分かんなくって焦ったぜー、あは」

 軽く流したかったのに、ゼオは胡乱うろんな目つきでフリックを見、くん、っと鼻をひくつかせた。


「誰と会ってきたよオイ」

「え、あー、いや、迷子になって部屋聞いただけだし? ゼオこそルベルちゃんたちと一緒じゃなかったのかよっ」

「け。オレが一緒だと無駄に目立つだろーが」

「あっは! 確かになー!」


 笑っていい場所かは怪しかったが、勢い任せに笑い飛ばしてみる。

 途端、何かが飛んできて額にこぉんと当たった、痛い。


「いってー! うわぁ、食いモン投げるなんてゼオちゃんてば罰当たりぃ」


 包みにくるまれたナッツクッキーが床に落下する前に、ウサギはそれを器用にキャッチする。

 食べ物には作った人の愛情が込められているというのに、なんてことを。


「へぇ、じゃちいと顔貸せ、あァ?」

「やだやだっ、トラちゃん凄むと怖いってばさー」

「てめぇウサギ、食われてエか?」


 当人たちに本気はないが、傍目はためには崖っぷちな会話だ。

 女中がそーっと部屋を覗き、入り口に何かを置いてそそくさと去って行った。


「うっわ、オレら怪しいモノコンビ?」


 軽口を叩きながら、フリックはそれを拾い上げて確かめる。置いてあった封筒には、シルバーチェーンのペンダントが五つ入っていた。


「おぉ!? すげー、ティスティルの許可証ってクリスタル製だぜっ!」

「うはっ、そんなチャラいモノ着けてられるかー!!」


 浮かれるフリックと吠えるゼオ。そこへリンドとアルエスが戻ってきた。

 リンドと手をつないで、小さな妖精族セイエスの子どもが一緒だ。


「なんだ、どうした? ゼオ」

「うわーっ! キレイなペンダントだねっ、お兄さんこれどうしたの?」

「城内の立ち入り許可証みたいだぜー、……て、あれ?」


 フリックが首を傾げて子どもを見、子どもは喜色満面で、やっ、と手を挙げた。

 ゼオが怪訝けげんそうに眉を寄せる。


「んぁ? お嬢はどうした?」

 アルエスがんぅー……と困り顔で笑った。


「庭で、シェルシャさんていう翼族ザナリールのお兄さんに会ってね。話してるうちにルベルちゃん泣いちゃって……、一人になりたいって言うから」

「そうなんだ。私はスゥ––––この子を預かったので、一緒にいてはうるさかろうし、せめてアルエスだけでも一緒にと思ったのだが、うんと言ってくれなくて……。仕方なく付近にいた庭師のじいやに気をつけてくれるよう頼んで、戻ってきたのだ」

「わー、シマシマ!」


 子どもは空気を読まない。

 深刻な雰囲気などお構いなしで、スーシアがゼオを見て叫んだ。怖くないらしい。


「シマウマじゃねー。……ったく、お嬢は頑固だからなァ。まぁここの城内なら危険はないだろうけどよ」


 素なのかわざとなのか微妙にずれた返しだ。スーシアが思い浮かべたイメージがダイレクトに伝わった、だけかもしれないが。

 ガリガリと頭をき回してうなっているゼオは、精霊でありながらどこか人っぽい。

 そこへ、開きっぱなしの扉からセロアが顔を覗かせ言った。


「それじゃ、私がルベルちゃんに許可証届けてきますね」

「うおあ!? なんだよ驚かすなよオッサン!」


 大げさな反応をするフリックの手からペンダントをふたつ取ると、セロアはぽふりと彼の頭をなで、にこやかに言った。


「そんなに驚かなくたっていいじゃないですか。やましいことがあるわけでもないでしょうに」

「セロアはルベルの居場所を知っているのか?」


 不自然に固まるフリックと、それを半眼で見やるゼオ。そんな二人には構わず、リンドはセロアに向き直る。


「中庭にいるんですよね。柱廊沿いに捜してみます」

「セロアさん、シィが、噴水の近くにいるって言ってるよー」


 水つながりで水精のシィには分かったのだろう。

 アルエスに言われ、賢者は穏やかな笑みのままに今度は彼女の頭をなでた。


「分かりました、助かります。シィにもありがとうって伝えておいてくださいね」

「……あ、はいっ」


 ほわぁっとした表情で、アルエスがなでられた頭に手をやる。

 扉から出て柱廊へと向かうセロアを見送り、フリックがぼそりと呟いた。


「なぁ、今のってどうよ……?」

「え、ええっ」


 途端、真っ赤になるアルエスを見て、ゼオがにいと笑う。


「隠居に女ゴコロは分かんねーと思うぜ」

「そ、そんなんじゃないしっ」


 思わずムキになるアルエスの隣で、リンドがきょとんと言った。


「じゃあ、ゼオには分かるのか?」

 思わぬカウンターだ。一瞬落ちる、不自然な沈黙。


「わふぁ……っ! あははは、ははっ……! いてっ」

 いきなり腹を抱えて笑い出したフリックの後ろ頭をゼオは無言でどついた。


「なんだよー! トラちゃんてばヒドイわっ!?」

「うっせー! ヒトでもねーのに女心が分かってたまるかっ!」

「ならばなぜゼオは、セロアが女心が分からないと分かるんだ?」


 揚げ足取りのようだが、リンドには一片の悪気もない。本気で真剣に問いただす様子に、ぽかんと見ていたアルエスもさすがに笑い出す。


「ふはっ……! そうだよねー、女心なんて男のヒトに分かるハズないのなんて当たり前だよねっ」

「あああぁうっせー! てか話がワケワカンねっ」


 フリックが腰に片手を当て人差し指をちちちと振った。


「はっは。墓穴だぜトラさんよ」

「とらーっ」

「なんだとこのウサギ」

「うさーっ」


 虎とウサギのやりとりが楽しそうに見えたのだろう、ふたりの間にスーシアまでもが混ざり込む。好奇心旺盛おうせいな年頃というか、単純に賑やかしいのが好きなのか。


「やぁもう、スゥくん可愛いーっ」

 顔がゆるみっぱなしのアルエスの隣、ついていけないリンドの目は点のままだ。


「スゥ、こういう男同士の対話に割って入ってはいけないと、兄さまが言っていたぞ! ……っああでも、小さくてもおまえも男だったな、でもしかし」

「うんうん、スゥくん、お兄ちゃんたちに吹っ飛ばされちゃったらキケンだから、おねーちゃんたちと一緒にいようねっ」

「あいっ」

「うわーっ、オレ一人でゼオちゃん相手とか無理無理っ!」


 スーシアに便乗して戦線離脱を図るフリックの襟首に、ぐいと指を引っ掛けて、ゼオがぼっと炎を吐いた。


「ワケワカンネーけどとにかく顔貸せ、ウサギ」

「きゃー! 食われるぅ!」


 怒声と奇声と笑い声が飛び交う客間を、通りすがりの女中たちが怪しげなものを見る目で覗き込んで行くが。

 誰もそれに気づかず、しばらくそうやって騒いでいたのだった。





 長い柱廊を歩きながら、すれ違う人々と挨拶を交わす。ティスティル王城は全体的になごやかで、王宮独特の息苦しさを感じない。

 それが女王の人柄と仕える者たちの間に満ちる信頼感から来てることを、セロアはよく知っている。

 しばらく歩いて、彼の耳が軽い足音をとらえた。

 歩幅の狭い子どもの歩き。近づいてくる。自然、笑みが口もとに刻まれる。


「––––セロアさん!」


 名を呼ぶ、声。

 賢者は立ち止まり、自分を見つけて駆けてくる少女を待った。


「ルベルちゃん、迎えに来ましたよ」


 駆け寄って来た少女の頭に手のひらを乗せ、にこりと笑む。

 ルベルは大きな瞳でセロアを見上げ、尋ねた。


「セロアさん、女王さまはなんて言ってたですか?」

「一週間、滞在していいですって、許可証を貸していただけましたよ」


 しゃら、と取り出されたクリスタルのペンダント。

 ルベルが無言で目を丸くするのを見つつ、彼は少女の首にそれを掛けてやる。


「お答えは、一週間後にくださるそうです」

「そう、女王さま言ったんですか?」


 セロアは黙って笑み、さとい彼女の頭をなーでた。

 黒曜は、期限を切っていない。だからこの『一週間』はセロア自身が決めた期日だ。それまでに彼は、可否を見極めるつもりでいた。


「セロアさん、ルベル、シェルシャさんって方から伝言あずかりました」


 神妙な顔で少女が言う。耳覚えのある名に一瞬考え、思い出す。

 さっきゼオとリンドたちが話していた、翼族ザナリール


「そうなんですか。どんなことですか?」


 聞き返したら、小さなスケッチブックを差し出された。

 ウエストポーチに入りそうなサイズのそれに、木炭で人の顔が描いてある。


「カミルさん、サイヴァさん、シェルシャさん……」

 絵を指で示しながら、ルベルは説明する。


「ティスティルには、バイファルへの直通ゲートがありません。サイヴァさんがカミルさんにたのんで、壊しちゃいました。その理由は、ヒトの人生を左右する手段が手軽に使えるものではダメだからです。それをシェルシャさんは隣で見ていて、ルベルたちに教えてくれました。シェルシャさんはセロアさんに、……伝えなさいって」


 じわり。少女の瞳がうるむ。それでも息を飲み込み、言葉を続ける。


「押して開かぬ扉は引いてみなさい。いつだって、道をひらく剣は『なぜ』という問いかけです。追いかけるんじゃなく、回り込みなさい、……って」


 言葉の最後に涙が混じる。

 セロアは黙って、ルベルの頭の後ろに手を添え、ぎゅうっと抱きしめた。少女の細い指先が、賢者の長い衣の袖をつかむ。


「分かりました。頑張りましたね、ルベルちゃん」


 優しく背中をさすってあげれば、彼の腹に頭を押しつけたまま少女はこくんと頷いた。

 目の前にある存在物の写生ではなく、記憶を絵にする、という画力。それで思い出すのはやはり、館の玄関にあった家族絵だ。

 こういう所はなるほど親子だな、と思う。

 一人になりたがったのもきっと、記憶が鮮明なうちに見たものを絵にしたかったからなのだろう。


「……セロアさん、ルベルにはこの幻の意味も、シェルシャさんの言葉の意味も、わかんないです。セロアさんはわかったですか?」


 顔は上げないまま少女が尋ねる。

 声はもう震えていなかったが、泣いた後の顔を見られたくないのかもしれない。


「どうでしょう、解ったような気もしますね」


 意味深な賢者の答え。

 ルベルは顔を上げた。視線がかち合い、セロアが穏やかに笑う。


「ティスティル建国王はカミル氏……白き賢者殿と縁のある方だったんですね。将を射んとせばまず馬を射よ、って格言を思い出しませんか?」

「……ぅ?」


 首を傾げるルベルの頭をセロアはもう一度くしゃりとなでた。


「ひとまず戻りましょうか。皆、心配してるでしょうしね」

「はい」


 ルベルはそれに、素直に頷いた。


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