第72話お前にその権限が?

北の塔が望める王宮中央5階の廊下を、ハーケン宰相が小走りに進む。足元までの長い法衣をたくし上げ、シミだらけの額に大粒の汗を掻きながら、時折後ろを振り向くその顔は焦燥に駆られている。その後方にはマカベウ、アイレンの姿があった。


「とまれ! ハーケン」


 先を行く黒い人影に止まる気配はない。


「アイレン、わしから離れるなよ」


「はい」


二人の後ろには意識を取り戻した大勢の創石師、衛兵が続く。北の塔に続く空中回廊の手前で、マカベウたちが追いついた。


「これはこれはマカベウさん、お久しぶりですな」


観念したのか、息を切らしながら振り向き、苦笑いを浮かべ、わざとらしくシラを切る。顔だけじゃなく、取り巻く状況含め、最高に醜い人間をアイレンは初めて見た。ここにきてまでなんという卑しさか。


窓のない空中回廊から冷たい風が吹き込んでくる。


「あなたですね、内通者は」


「何を言っている、面白い冗談だ」


「侵略に手を貸し、見返りはその後の統治権ですか……」


 マカベウの部下、ピエレレが前に出た。天然パーマと愛嬌のある顔で一見優しい印象の好青年だが、元兵士だけあって屈強な体つきをしている。


「西の塔になぜかあなたに近しい高位の者が集まっていました。国王派は一人もいないし、避難した様子でもない。まるで何かを待っているような雰囲気でした。問い詰めたら全て話してくれましたよ」


そう言いながらピエレレは肩にかけた連射式ボウガンを撫でた。

ハーケンの顔から笑みが消える。


「……お前たちは知らないだろう。シャガルム帝国の国土、資源、人口、技術。私は知っている。……勝てるわけがない。どちらの船に乗るかは明らかだ」


 苦虫を潰したかのような顔で、ハーケンは自らの正当性を主張する。


「今、前線では多くの命が散っているというのに……忠誠心の欠片も持ち合わせていない方だ」


 マカベウは吐き捨てた。汚物でも見るかのような目で。


「……忠誠心で飯が食えるか」


 そう言ったハーケンの顔には羞恥心が覗く。


「取引相手は誰だ」


ハーケンは眉間にしわを寄せて、自分を取り巻く創石師たちを睨め付けた。


「お前にその権限が?」


「ある、有事の際、暫定的に創石衆の幹部は軍に籍を移す。今の私は下位将軍と同等の権限を持つ。法典に書かれているぞ。宰相ともあろう者がまさかそのようなことを忘れるわけはありますまいな。……ゆえに今の私にはあなたの捕縛権限がある」


ハーケンは悔しそうな顔をするが「王族が発令しない限り効力を持たない」と言い返してきた。苦し紛れに聞こえるがその通りでもある。長年宰相の位にいたのだ、簡単にはいかない。


「昨年変わったのをご存じでない? 最高議会のみでも決定できると。あなたは確か、その会議は欠席なさっていたのを覚えています。さぞ忙しかったのでしょう、今日の準備で」


 二人の視線だけが衝突する沈黙の時間が流れた。声を発するものは誰一人いなかった。ただ吹き付ける風の音だけが耳を打つ。


やがてハーケンはゆっくりと目を瞑り、短くため息をついた。


「……連れてゆけ。だが……言っとくが終わっとらんぞ、これからだ」


 衛兵たちが拘束し、ハーケンを連れてゆく。


「負け惜しみだ」


 ピエレレが呟く。


「いや、性根は腐っていても、この国を長年動かしてきた人物だ。甘く見るな。おそらく自らの減刑と引き換えに内通者を少しずつ売ってゆくつもりだろう」


 マカベウはハーケンの厄介さを知っていた。


「しかしだ、時間はかかるが、これで一件落着。アイレン、大手柄だぞ」


マカベウの大きくて暖かい手が、アイレンの頭を優しく撫でた。


「皆聞け! 今は亡き大将軍キルヴァン・ヘイブンズの娘、アイレン・ヘイブンズだ。この娘が一人で解毒薬を作り、皆を助けたのだ」


周囲がざわつく。注目されるのは苦手だ。アイレンは全身が熱くなり、思わず下を向いた。


「キルヴァン将軍の……」


「ってことは大剣士マルベックのお孫さん?」


 口髭を生やした一人の衛兵が突然アイレンに膝をついた。鎧がガシャリと床を打つ。


「近衛兵団長、ムスケン・カルボーニュです。生前、お父様には命を救って頂いた御恩があります。我々がいながらこのような醜態を晒してしまったこと、大変情けなく思っております。さらに将軍のご令嬢にまた命を救って頂けるとは……感謝の極み。この御恩は必ずやお返し致しますっ!」


 アイレンはトウゴの父親だとすぐに気が付いた。気付かない人はいないほどそっくりだ。けど……息子と違い立派な人物で、好感が持てる。

そんなことを考えていると、背後の部下たちも皆一斉に膝を突き、アイレンに向かって頭を下げた。


「あ、ああ、あの……そ、そんな……」


 どうしていいのかわからない。耳まで真っ赤になったアイレンはマカベウの後ろに隠れた。その様子を見てマカベウとピエレレは優しく微笑んだ。

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