第49話頬を流れる風がやさしくなり、

十数秒待ち、カカラルと目が合った。すごい眼力で思わず身が引けたが、瞳は透き通るほどに綺麗で、少しだけ緊張がほぐれた。


「……手を伸ばして」


 オリビアの静かな声に促されて、ゆっくりと右腕を伸ばした。喰いちぎられてしまうんじゃないかという想像が何度も頭を掠めたが、カカラルは頭を垂れて自らハルキの手を迎えた。


くちばしの付け根に手を置き、ハルキは恐る恐る撫でた。くちばしは乳白色でざらざらしていて固かった。全身に降りかかる呼吸音と羽の擦れる音に、鳥肌が立つ。


「いいわ、成功よ。そのままゆっくり後ろへ回って、首の付け根に乗るの……そう、いいわよハルキ君」


 カカラルの首は太く力強かったが、かなり不安定だった。足を絞めて固定するのよ、とオリビアの声に従うと、すんなりとバランスが取れた。まだ笛を吹いていないのにカカラルは外に向かって歩き出した。慌てて首に下がっている、支給された笛を手に取った。


 すでに前方には二組、計四羽のカカラルがいた。今にも崖から飛ぼうとしていた。建物と崖の間には十五メートルほどの広さがあり、吹き付ける強風をものともせず、複数の雄がそこにはいた。


「お待たせ」


 後ろからカカラルに乗ったオリビアが追いついた。アイレンは緊張した顔でオリビアの前に座っている。ハルキと目が合うと硬い笑みを浮かべた。


「飛ぶ信号、覚えてる?」


「はい」


 緊張で喉がからからだ。


「空にはたまに精霊種が飛んでいるけど、カカラルが勝手に避けてくれるから、その点は心配しないで。あ、でも上空へは行っちゃだめよ。精霊種の群れがいる場合があるから」


 風で目を細めながら頷く。


「よし、じゃあいくわよ」


 先にオリビアたちが飛んだ。力強い羽音を響かせ、崖から飛び降りた。ハルキも勢いよく笛を吹き、それから目を閉じた。

首に力いっぱい抱きつき、身体を小さくする。

しばらくすると内臓が浮き上がる嫌な感覚がして、ハルキはそっと目を開けた。眼下には山裾に広がる草原と、そこにあるいくつもの小さな湖が見えた。


ハルキは興奮して短く叫んだが口元は自然に笑っていた。

だいぶ高いところを飛んでいるようで、時々薄い雲が身体を包み込む。カカラルの筋肉がギシギシと力強く動くのを、ハルキはお尻と足と手で感じた。

なにか熱くて暴れまわる危険な物を持っているかのようで、心臓がドキドキと高鳴った。

少し下にオリビアたちが見えたので、ハルキは笛を吹き、向きを変えた。気流に翻弄されながら、なんとかオリビアの横につく。


「大丈夫―?」


「な、なんとか!」


六つ足の胴体下から平原へ出ると、ミュンヘル王国の地理がよく見えた。半島の入り口に蓋をするように広がるガシャの森。その境界の大きな都市、マジェラ。そこから街道がいくつも南に延びて大小様々な街に続いている。間には田畑が広がり、林があり、家畜が放牧され、丸い湖がキラリと光る……。


「あ、あそこ!」


ハルキは湖面スレスレを飛ぶカカラルを発見した。人が乗っている。訓練生ではない。滑空するカカラルの後ろには数体の魚のような精霊種が並んでいる。


「うん、軍の人でしょうね……あら?」


 オリビアはそう言い首を捻った。


「お、お母さん、あれマルベックおじいちゃんじゃない?」


 アイレンが指摘すると「そうねえ、お義父さんどこ行くのかしら……」と強風をものともせず、オリビアはのんびりとした口調で答えた。


「大丈夫なの? 精霊が……」


このままでは接触してしまいそうだ。ハルキは教えてあげなくてはと焦った。カカラルが小さく鳴いた。


「いいのよ、大丈夫。彼はリーチェの蹄を持っているの。だから精霊種が自ら近寄ってくることはないわ」


「え、そうなの?」


 カカラルの羽音と風切り音で聞き取りづらい。


「そう。それにどうやってかは知らないけど、精霊種を操ることも出来るみたい、ああいう風に」


「……そうなんだ、それは……すごいや」


 後ろを振り返ると複数の訓練生がカカラルと共に空を舞っている。気付けばカカラルの操縦を無意識に行っていた。バランスの取り方にも慣れたみたいだ。


 巣へ戻るため旋回し、スピードを落とす。頬を流れる風が優しくなり、心も落ち着いた。カカラルが高い声で鳴く。それはハルキに慣れてきた証拠だった。自然と笑顔がこぼれる。


エゴラ山脈の向こうには、上空へ昇っていく球体の海がたくさん浮かび、光を反射して輝いている。壮大で綺麗な瞬間を瞳に焼き付け、ハルキの心は久々に晴れた。美しい巨鳥と一体になって飛行する爽快感、自分の力が何倍にもなった気分だった。


ふと、太古の森の先、遠くの地平の彼方に、僅かに見える青白い光を発見した。〈光球霊塔〉だ。

その途端、ハルキの顔は徐々に険しいものになり、戻るまでの間、ずっとその光源を睨み続けていた。

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