第25話 異世界の少女は靴を脱ぎ捨てる

 ヨツノも人の群れに逆らうことなく歩いていく。その視線は何処を見ているのか分からない。ただ流れに身を任せているかのようだった。


「ヨツノ、行くな!」


 俺はヨツノに近づこうとする。しかし向かい側から歩いてきた人々が邪魔で全く前に進めなかった。

 皆が皆、目的を持っているのか持っていないのか。それぞれの行くべき場所に向けて歩いているのだと思う。この人の流れに逆らっているのは俺くらいだ。誰も俺のことなんて気にした様子もなく、というか立っていることすら認識されないのかと錯覚する。歩いてくる人の肩が次々と当たる。


 白い模様の描かれた道をようやく抜ける。俺がもたついている間にヨツノはずっと先を歩いていた。

 だからといって見失うわけにはいかない。

 俺は走ってヨツノを追いかける。

 彼女はダンジョンらしき灰色の建造物に入っていった。よく見れば、周辺はすべてダンジョンのようだ。ただ俺の知っている形とは全く違う。


(いまはそんなことを気にしている場合じゃない)


 俺もヨツノに続いて建物の中に入った。

 薄暗い、気味の悪い建物だ。ダンジョンよりも狭く、それでいて人も、魔物の気配さえも感じられない。

 ヨツノの姿はない。あるのは階段だけだ。

 上に向かったのだろう。俺も警戒しながら階段をゆっくりと進む。

 何回層まであるのだろうか。一つ一つの階層間隔は驚くほどに短い。少し昇るだけで次のエリアになる。ダンジョンのように見えるだけで、まったくの別物なのだろう。


 いや、俺は薄々気づいている。

 別に否定するようなことでも、認めたくないと意固地になるものでもない。

 ただ、そんなことがあり得るのかと、不思議に思うだけだ。

 ヨツノの不思議な言動や、奴隷として知らない土地に来たはずにも関わらずどこか慣れたような様子だったのはそのせいかもしれない。


 ここはきっと、俺の生きている場所とは全く違う所だ。

 土地が違うとか、表と裏とかそんなものじゃない。


 世界そのものが異なる――。


 上を目指して進み続け、そしてようやく最上階層へとたどり着いた。

 階段が終わり。冷たそうな灰色の扉がひとつ。丸いドアノブを捻って開けると――青い空が広がっていた。最上階層は白い柵で囲われ、周囲には多くの四角い高層建築物がひしめき合っている。

 俺は周辺を見渡し、そして柵の向こうに立つ彼女を見つけた。


「ヨツノ」


「……ついて来ちゃったんだね。気付かなければよかったのに」


「気付いてたなら止まれよ」


「止まらないよ……止まれないの」


 柵に手を掛けた彼女は、片手だけを離して靴を脱ぎ始める。


「九月一日って知ってる?」


「日付か? 俺の知ってるのとは随分と違うが……」


「その日はね、人が簡単に死ぬ日だよ」


 ヨツノは脱いだ両靴を柵の隙間からこちら側に綺麗に並べると、今度はその中に脱いだ靴下を突っ込んだ。


「言ったよね、私は何もしてこなかった。与えられた時間を、自分の甘えで無駄にして食い潰して。結果、どうすることもできないまま追い込まれた」


 高い場所だからか、風が強く吹く。

 ヨツノの長いスカートもはためくが、彼女はそれを気にした様子もなく、ポケットから四角い板のようなものを取り出して靴の中に入れた。


「心が痛いのは嫌だって。だから逃げ出しちゃおうって。

 私はね、一度死んでるんだよ」


「……これが、その再現だっていうのか」


 ヨツノはポケットから別の四角い板を取り出す。それには道で見かけた、色のついた紐が括られている。その紐を板から引き抜かれると、聞いたこともない音楽が聴こえてきた。


「たぶん、何気ない一言が始まりだったの。誰かを傷つけてしまった。だから私が悪になって、悪は倒されて当然。最初は我慢できても、次第にエスカレートしていく環境に、泣き方も忘れかけて。たくさん人がいるのに、誰も私には声を掛けない。まるで私なんて存在していないように扱われて、でも世界は回り続けて。なら私なんていなくてもいいじゃん。必要ないじゃん。

 この世界に求められてない……なら、いなくなってもいいよねって」


 板が手のひらから滑り落ちて最下層へ向かう。流れていた音が小さくなっていく。

 ヨツノが何を言っているのか、そのすべてを理解することはできない。

 だけど、この感覚は知っている。ヨツノと戦った時と同じだ。

 違う未来の自分。進む道が違えばこうなっていたかもしれないという、可能性のひとつ。

 彼女が俺が進まなかった道を進んで、そして足を止めた。


「もしも、もう一度人生をやり直せるなら、明るく、元気に、楽しく生きて。

 誰にも迷惑かけないようにって……そう思ってたのに」


 ヨツノが視線を向けてくる。口元には僅かに笑みを浮かべ、目を細めて。

 俺にはその姿が、全てを諦めたようにしか見えなかった。

 自分の失敗を笑って誤魔化そうと必死になっているようにしか見えなかった。


「ずっと見えてたよ。ごめんね、私のせいで腕まで失くして。

 シグロくんには迷惑をかけてばかりだね。

 もういいよ。私の話を聞いてくれてありがとう。私のために笑ってくれてありがとう。私のために優しくしてくれてありがとう。

 たったの二日間だったけど、それでも私は嬉しかった」


 俺は、ゆっくりと口を開いた。


「俺も前に言ったよな。『お前に今までどんなことがあったか知らないし、それを救ってやろうだなんて思わない。』って」


「うん」


「ここかどこなのか。お前が人族の姿をしてる理由が何なのか。過去にどんな辛いことがあって、それを今でも背負っているのか。たぶん、理解しようと思ってもできないんだろうな」


「うん」


「お前は自分勝手で、わがままで、奴隷らしくない奴隷で、友達も作れないタイプってのは、少なからず理解したがな」


「シグロくんの言う通り、私には友達なんて呼べる人も、仲間なんて思える人もいなかった」


「……それは、俺も含めてか?」


「…………」


 ヨツノは答えない。ただ、ここまでだと言うかのように視線を外した。


「ここから飛び降りれば、私は完全に消える。コアを失った化神もあそこから離れていく」


 ヨツノは空を見上げる。

 世界を覆うように染められた青に、彼女は何を思うのか。何を感じるのか。

 そんなこと俺にはわからない。わかりっこない。


「そうだ、俺はヨツノになれない」


「うん。だから気にしないで。私を買ってくれて、救ってくれて――ありがとう」


 ヨツノの手が、柵から離れた。














 そうだ、俺はヨツノになれない。


「だからッ!」


 俺はヨツノじゃない。

 だから――お前が必要ないなんて思わない!


 俺の脚は駆け出していた。傾くヨツノに手を伸ばす。

 届かない。

 そう理解した時には既に柵を跨いでいた。当然、越えた先に足場なんてない。

 浮遊感が足裏から全身を駆け巡る。


「お前が思ってなくても!」


 落ちていくヨツノに再び手を伸ばして。

 ――――そして届いた。

 彼女の手首を掴む。驚きに目を見開くその顔を引き寄せた。


「俺はお前を仲間だと思ってるんだ!」


「ダメだよ! 私なんて迷惑かけてばかりで、うざくて! 一緒にいたって楽しくも面白くもない! 私が居る意味なんて無い!」


「少なくとも俺は楽しかったし面白かった!

 なに一人で自己完結しようとしてるんだ!

 旅仲間になるって言っただろう!」


「無理だよ! 私と旅したってどうせ碌な事にならない!

 きっとシグロくんにいっぱい迷惑かける! それなら、ここで!」


「なんで、お前は!」


 俺は自分の額をヨツノの額に思い切りぶつけた。

 小さな呻きが互いに漏れ、そして涙を浮かべたヨツノがやっとこちらを見る。


「自分から一人になろうとするなよ。

 寂しいなら寂しいって言え。温もりが欲しいなら泣いて抱きつけ。助けて欲しいなら、心の奥底から本当の声で叫べ!」


 そう言って俺はヨツノの手に指を絡ませてを握る。

 ヨツノは呼吸を荒らげ、溜め込んだ涙を空へ浮かべて。

 そして俺の手を握り返した。


「――助けて、シグロくん!」


「ああ、救ってやる。お前の事情も感情も全部無視して、仲間のお前を救ってやるよ!」


 ヨツノを全身で抱きしめる。

 灰色の地面は目の前。

 死なせない。

 終わらせない。

 これが彼女のやり直す機会だと言うなら。


 ――――瞬間、視界が弾けた。

 まるで魔物が霧散する時のように、迫っていた地面も、建造物も、青い空も全部が弾け飛んで。

 次に視界に映ったのは見慣れた森だった。

 浮遊感は消えない。頭からの落下は続き、耳を覆う風の音の中で化神の鳴き声が聞こえた。

 戻ってきた。アーカイブスの背中から落ちたのだろう。七十階のダンジョンから落ちてるのとほとんど変わらない。

 意識してなかったけど、これ何千メートルあるんだ……。


「シグロくん、シグロくんッ!」


 胸元で抱き締めていたヨツノが顔をこちらに向ける。液状化していた形跡はなく、その姿かたちははっきりしていた。渡していたイヤリングも片耳できらめきを取り戻している。


「いいのかな。私、生きたいって言っていいのかな。

 必要ないなんて思わなくていいのかな」


「当たり前だろ? 少なくとも、俺にはお前が必要だ。

 とりあえず、俺のために生きていてくれないか?」


「うん……うん……!」


 ヨツノの瞳に溜まった涙を指先で拭う。


「ところで、この数千メートルらしき場所から森に落ちて、助かると思うか?」


「えへへ、むりー」


「笑いながら言うことかよ」


 まあ、俺も笑っているけど。


『敵ヲ排除シマス』


 アーカイブスの声と共に光線が空に向けて放たれた。俺が召喚したミルドガルムスが直撃を受けて霧散する。

 そして赤い瞳がこちらに照準を定めた。


「あいつをどうにかしないとな」


「大丈夫。弱点は分かってるよ」


「ほんとか?」


「うん。さっきまでほとんど取り込まれていたからね。

 アーカイブスは頭が弱点。私の拳を思い切り叩き込めば、一発だよ」


「そりゃ頼もしい。じゃあ、あいつの動きを止めるのは俺の仕事だな」


 アーカイブスが翼を大きく動かしこちらへと急降下を始める。

 完全に怒ってるな。それとも、コアであるヨツノを再び取り込もうと狙っているのか。

 どちらにせよ、相手は逃げる気も、逃がしてくれる気もないらしい。


「落下の勢いを利用する。森の地面と次元空間を繋ぐから、お前はそこから飛び出せ。俺はあいつに一発叩き込んで地に落とす!」


「うん!」


 ヨツノが俺から離れる。

 俺は大の字になって風を全身で受けつつ瞳を閉じた。

 森全体の空間を思い出せ。唯一動かないダンジョンを起点として座標を確定。

 再び目を開く。周辺を確認し、特定のものを見つけた。


『敵ヲ捕捉。照合、一致』


 真横にアーカイブスが来る。

 俺は両手を伸ばして人差し指と中指を突き出した。


「よお神様、地に落ちる覚悟はあるか?」


『不明魔術ヘノアンチコードハアリマセン。通常攻撃ニテ排除シマス』


「俺ばっかり見てて大丈夫か?」


 アーカイブスの目が光る。思わず口角が釣り上がる。

 光線が放たれる瞬間――アーカイブスの真上からいくつもの瓦礫が降ってきた。

 衝撃を受けたアーカイブスの視線がずれて、赤い光は俺の隣を通り過ぎていく。


『襲撃ヲ確認。敵ヲ捕捉デキマセン!』


「当たり前だ。そりゃお前が壊した瓦礫だよ」


 アーカイブスに落ちていったのは、ダンジョン最上階層の瓦礫。奴が自分で破壊して森に落としていたものだ。それを俺が次元移動で上空に移動させたのだ。


「散らかしたら、ちゃんと片付けないとな」


 相当な数の瓦礫を真上から被ったアーカイブスは飛ぶこともままならず、押されるようにして急降下していく。

 森はもうすぐそこ。

 先に落下したアーカイブスが大きな音を響かせ、土埃をあげた。


「ヨツノぉ!」


 俺はすかさず次元魔術を発動する。自分とヨツノの真下に黒い穴が生まれてその中に入る。

 視界が一変して森の中。勢いそのままに移動したので、今度は思い切り跳ねたかのように身体が上昇していく。

 瓦礫が森の中へと落ちていく音。そして埋もれたアーカイブスを、真下に捉えた。

 そしてヨツノが拳を構えるのに合わせて、俺は彼女の足元に瓦礫を異空移動させた。

 ヨツノが膝を曲げ、瓦礫を足場に思い切り下へと跳ぶ。


「これで、おしまいっ!」


 勢いある拳が――アーカイブスの頭に叩きつけられた。

 巨大な鐘でも叩いたかのような重い音が森の中に谺する。

 そして音の波動に乗せられたかのように、明るかった空が円を描いて夜に戻った。

 きっかり三十分。

 化神を倒した。

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