2) 『神との対話』の見解
『神との対話』には、神の宇宙創造の目的について、明確に述べられています。《神との対話1-P39》
絶対的存在(「有りて有る者」)である神は、自らの神性を概念としては知っていたのですが、それらを体験的、実感的に知ってみたいと考えたのです。すなわち、神は自分自身(神性)を、体験的、実感的に知りたいと思ったのです。
これが神の宇宙創造の動機であり目的なのです。
「概念として知る(know conceptually)」とは、分かりやすくいうと、私たちの頭の中にある思考やイメージと似たものといえるでしょう。それらは物理的な形が無く、実感的ではありません。
思考やイメージは文字化すれば「言葉」という形になり、より外形化しますが、それでもまだ実感的、体験的なものではありません。
私たちにとって言葉が実感的であるのは、それを既に体験している場合に限られます。例えば、私たちが「暑い」という言葉をすぐ実感的に理解できるのは、それを体験して知っているからです。もしそれを体験していないなら、実感的には理解できません。
このことを、原著の中では「体験として知る(know experientially)」と表現しています。
絶対的存在である神は、自らを体験的に知るために、相対性の理論を利用して、相対的な世界、すなわち宇宙を創造し、魂(および人間)を通して自らの神性を実感的に知ろうとしたのです。
相対的な世界とは、男性―女性、オス―メス、陽イオン―陰イオン、陽子―電子などの陽―陰、大―小、長―短、熱い―冷たい、遠心力―引力、ここ―あそこ、など、相対するものによって成り立つ世界のことです。
これに対して絶対的世界とは、中和的な世界ともいえます。陽―陰、大―小などの相対的なものすべてが存在しながら、それらが渾然一体(中和)となっているのです。(透明な光も、分解すれば、無限の色が現れます。)
これは鏡を例にすると、理解しやすいでしょう。自分だけで自分の姿を見ようとしても見られません。もっと極端にいえば、自分の目で、直接、自分の目を見ることはできません。
しかし自分を鏡に映して、映った像を見れば、目はもちろんのこと全身の自分の姿を相対的、客観的に見ることができます。
創造した宇宙を鏡として、自らを映すことによって、自分の姿を、神は見ることができるのです。
さらに画家を例にしてみましょう。画家は自らの脳裏に浮かんだ無形のイメージ(すなわち概念としての知識)を、キャンバスに描いて絵として具現化、有形化し、それを客観視することにより喜びを実感します(すなわち体験としての知識)。
神の宇宙創造はそれと似ているといえるでしょう。
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