8) 自己の実現に主要な関心をもつ発達段階、これは非常に危険な時期だ

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 どの魂にも、物質的な身体の生存にではなく本質的ないのちの成長に、世間的な成功の達成ではなく自己の実現に主要な関心をもつ発達段階が訪れる。


 ある意味では、これは非常に危険な時期だ。とくにはじめが危険だ。なぜなら、自分は身体のなかにあるいのちであって、身体そのものではないことに気づくからだ。


《神との対話1-P246》

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 『神との対話』では、人間はある成長段階に達すると、自然と本質的な真理に関心を持つ時がおとずれる、といっています。そしてその時、特に初めの時が非常に危険だともいっています。


 関心は魂だけに向かい、身体にかかわることはどうでもいいと感じてしまうのです。


 すると、何もかもが無視され、家族は消えてしまい、仕事もおざなりになり、長いあいだ食事すらしなくなってしまうこともあるというのです。


 これは、1995年3月に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教にも通じるものといえます。


 中部大学教授、バージニア大学客員教授の大門正幸(おおかどまさゆき)先生は、著書「なぜ人は生まれ、そして死ぬのか」(宝島社、2015年刊)の中で、オウム真理教について次のようにコメントしています。


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 生の根源的な意味を求める飢餓感と、超常的な体験による充足感。この二つは修行者が辿る至極まっとうな道です。しかし、オウム真理教のような反社会的カルト教団は、そこに「教祖への絶体的な服従」を要求します。オウム真理教では麻原氏は「最終解脱者」と呼ばれ、グルへの絶対的な帰依が要求されました。


 信者達の中で、「生の意味への飢餓感」と超常的な体験」が教祖への絶対的な服従」と結びついてしまった大きな要因は、最初の二つに関する知識があまりに乏しかったからではないでしょうか。


 いわゆる霊能力をもった人 が存在するということ、もしそのことを知っていれば麻原氏の力を見たとしても驚嘆こそすれ、「奇跡」扱いすることはなかったでしょう。また神秘体験は様々な宗教家が体験している現象であり、それにとらわれることの危険性を訴える宗教家がいることを知っていれば、神秘体験をした時に「自分は解脱した!」と体験を過大視することもなかったでしょう。さらに、霊能力をもっていたり、神秘体験をさせる力があることと、その人物が人格的に優れていることは別だということを知っていれば、いかに体験が強烈であったとしても、教祖を絶対視するということにはならなかったでしょう。


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 オウム真理教に見られたように、理系の優秀な若者がたやすく洗脳され献身していく社会現象は、生きる根源的な意味を求める飢餓感と超常的な体験による充足感が、ベースになっているというのです。


 その宗教の教えと同じようなものは、この社会には溢れるほどたくさんあることを知らないために、宗教に触れたとたん、それが唯一無二のものであるかのように思い込み、狂信的になってしまうというのです。


 この社会現象を是正するには、スピリチュアルな事がらを、大学生や成人に一般教養として教える必要があると大門教授は主張しているのです。

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