1) ひとには生きていく基本的な権利がある。たとえ、何もしなくても、生きる権利がある

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 ひとには生きていく基本的な権利がある。たとえ、何もしなくても、生きる権利がある。尊厳をもって生きることは、ひとの基本的な権利である。


 何が人生の浪費かを判断するのは、あなたがたではない。70年間、何もせずに詩を考えていたあげく、何千人もの人びとの理解と洞察の扉を開くようなソネットを、たったひとつだけ生み出したとしたら、その人生は浪費だろうか?


 あなたは、自分が何者であるかを決めるべきであって、他の誰かが何者であるか、あるいは何者でないかを判定する必要はない。


《神との対話2-P265》(一部略)

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 辞典・大辞林によれば、「価値とは、物が持っている、何らかの目的実現に役立つ性質や程度をいう」とあります。すなわちある物が、主体である人間などの意図する目的実現に役立つときに、その物に価値があるというのです。


 主体の意図に対して、対象がどれだけ有用性を持つかという相対性によって対象の価値は決まり、対象そのものにもともと価値があるわけではないのです。


 水を例に上げてみましょう。


 水の価値は水自体にあるのではなく、水を必要とする人間(主体)の欲求に、水がどれだけ応え得たかによって決まるのです。その証拠に、水のない砂漠では水の価値は金きんに等しいといわれるのに対して、水の豊富な日本では、トイレなどで水を安易に使用しています。


 人間の価値について考えてみましょう。


 価値を考えるときには、必ずその主体が何かを、明確にする必要があります。人間にとっての主体を考える視点には、大きくいって2つの視点があります。


 1つはマクロ的、宇宙的な視点で、神(主体)にとって人間の価値はいかなるものかというものです。


 神は神自身(神性)を体験するために人間を創造し、神性を体験するために人間は人生を歩んでいます。全ての人間は、神にとってかけがえのない存在であり、それゆえに、神という主体にとって、人間は絶対的な価値を持っているのです。


 もう1つの視点はミクロ的なもので、社会に生活する人間(社会人)としての価値は何かというものです。


 社会人としての価値は、その人にとっての主体が何かによって異なります。例えば、会社に勤めている人であれば、会社や上司がその人にとっての主体にあたります。会社や上司の目的実現にどれほど役立っているかによって、その人の価値が決まるのです。そしてその価値の対価として、報酬(給料)が支払われるのです。


 人間の価値観は、各自の生まれ持つ個性、生育歴、教育歴などによって形成されます。人生で出会うさまざまな出来事に対して、どう判断し対応するかは、各人の価値観が大きく係わってきます。


 したがって、人生において何を体験するかは、個人個人のもつ価値観や人生観によって変わってくるのです。お金に価値を置く人は、お金中心の人生を歩むことでしょうし、真理に価値を置く人は、真理探究に時間を費やすことでしょう。


 さらに『神との対話』では、神性を体験するという役目を担った人間の価値は、はたの目からは判断できないといっています。


 人間は人生を歩むこと自体で、神性を体験するという神の創造目的を実現しているのですから、全ての人間は、神にとって大切かつ絶対的な価値があるのです。


 人間が人生で何をしたかという事柄自体は、神にとって意味(価値)がありません。神にとっての人生の意味(価値)は、神性のどの側面を人間が体験したかにあるといっているのです。

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