1) アダムとイヴの行為は原罪ではなく、じつは最初の祝福だった

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 アダムとイヴはこれは単に、最初の男と最初の女にあなたがたの神話が与えた名だが人類の経験の父と母である。


 アダムの堕落と説明されているものは、じつは向上だった。人類の歴史で最も偉大な出来事だった。


 それがなければ、相対性の世界は存在しなかっただろう。アダムとイヴの行為は原罪ではなく、じつは最初の祝福だったのだ。


 《神との対話1-P80》

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 『旧約聖書』の創世記第3章には、人間の始祖であるアダム(男)とイヴ(女)の失楽園の物語が書かれています。


 それを要約すると、


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 アダムとイヴは、エデンの園で、神から取って食べてはならないと言われた『善悪を知る木の実』を、ヘビの誘惑によって食べてしまうという罪を犯すことによって堕落し、神によってエデンの園(地上天国)から追放された。


 ヘビ(天使を象徴している)は堕落して悪魔となり、堕落したアダムとイヴの子孫 (すなわち全人類)は、神の戒めを破ったという罪すなわち原罪を、生まれながらにして負っている。

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となります。


 キリスト教カトリック教義では、神の創造した宇宙は地上界と霊界から成り、人間は、地上界の人生を通して人格を完成して地上天国を築き、死んだ後、霊界に天上天国を築くように創造されたとなっています。


 ところが、エデンの園における人間始祖の堕落という出来事によって、天国への道は閉ざされたのです。


 人間始祖の堕落により原罪を負った人間が繁殖し、地上界を支配することにより、地上、天上ともに天国の実現が不可能となったのです。


 『神との対話』では、「エデンの園の神話」は、人間始祖の堕落ではなく、神の「最初の祝福」を意味しているといっています。


 魂が宿った人間は、現実世界の人生の中で様々な出来事に遭遇しながら、無数にある神性を体験していきます。


 アダムとイヴで象徴される最初の人間は、相対的な世界(現実世界)で、ゼロから神性の体験を始めたのです。


 聖書にある「善悪を知る木の実を食べた」という出来事は、相対的世界で、人間が善なることと悪なることを自らの自由意志で選択し経験し始めたという、祝福すべき船出を意味しているのです。


 従ってその行為は、神性を体験するという神の創造目的にかなったことであり、決して創造目的を毀損するという堕落を意味してはいないのです。


 人間始祖の堕落はありませんから、キリスト教教義で説かれる、「原罪」や「悪魔」、「地獄」は存在しないのです。

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