6-6 善と悪

よむ子:じゃあ、善悪は?


 教会では、神が善で、サタン(悪魔)が悪だといってるわ。


A:そうだね。


 キリスト教では、エデンの園での人間始祖の堕落によって、善なる神に敵対する悪の勢力が生まれたとしている。


よむ子:旧約聖書の失楽園の話しね。


A:神から食べてはならないといわれた、エデンの園にある「善悪を知る木の実」を、アダムとエバは取って食べて堕落してしまった。


 その堕落によって悪が生まれ、「善なる神」に「悪なるサタン(悪魔)」が敵対するという構図が生まれたというんだよ。


よむ子:『神との対話』では?


A:『神との対話』では、失楽園の話しは、堕落ではなく「祝福」であるといっている。


よむ子:祝福!堕落とは大違いね。


A:人間が自由意思で、物事の「善悪」を判断して人生を歩み始めたという、最初の祝福を表わしているといってるんだ。


よむ子:善悪はないということ?


A:いや、善悪はあるが、敵対するというものではない。物事の有益性を、相対的に表したものが善悪だというんだ。


 つまり、物事の目的にかなった考えや行為は「善」であり、その反対は「悪」だというんだね。


よむ子:善悪は固定したものではない……。


A:そうだろう。善悪の基準は、社会、国家そして時代によって異なっている。


 戦争を例にすれば、よく分かるよね。


 平和な時代は人殺しは悪だけど、戦争になると、それが多い人は勲章をもらえる。


よむ子:フーン。


 神は善悪の基準を決めないの?


A:神は、人間が「何を善とし、何を悪とするか」を観察している。というより、いっしょに体験しているという方がいいかな。


 神がもし善悪の基準を決めたら、人間が自由意思で神性を体験するという、神の創造目的を自ら壊すことになるんだよ。


よむ子:善悪は人間が決める……。


A:そう。人間が自由意思によって人生を歩む中で、様々な出来事を経験し、経験で得られたものを材料にして、「善悪」の基準を決めていっている。


 善悪の基準を決めるということは、それによって「自分とは何者か」を定義しているともいえるんだよ。


よむ子:自分とは何者か……。


A:「戦争は良くないと考える自分」というようにね。


 それが「善悪を知る木の実を食べる」という意味だと、『神との対話』ではいうんだよ。


〈つづく〉


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