第89話


 翌日の朝


 部屋で出陣の準備をしているウールのもとにメアリスが訪れた。彼女は昨日ベルゴーニアとあの後どうなったかについて聞いた。


「十分話せた」


 たったそれだけ。だがウールの表情は晴れ晴れとしている。それを見て安心したメアリスは壁にもたれかかり「そう」と穏やかに微笑んだ。


「そんな事を聞きにわざわざ来たわけではないだろ?」


「ええ、実はちょっと話があるの。あの地下迷宮にいた女の子のことだけど」


「ああ、あいつか。あいつがどうした?」


「あの子は不死よ。それだけじゃなく彼女、死ぬ度に強くなっていくの」


 メアリスが地下迷宮で彼女と戦っていた時、何度殺されても復活するのをウールは目の当たりにしている。しかしウールが去った後も何度かメアリスは少女を殺していた。その度に復活し、さらに動きも力も強化されていたのだ。そしてメアリスがスタークと共に脱出する頃には目が赤く血走ったようになっていて逃げ切るのがやっとだったほどにだ。


「もし次に出会ったら厄介だな」


「そうね、でも一つだけ方法があるの」


 メアリスは一瞬ためらうが自らの胸に手を置くとまっすぐウールを見た。


「私の命を代償に彼女にかけられた魔法を解く。昔似たような魔法を見たことがあるし、それに今の私も記憶が戻っているとはいえ似たようなもの。だから解くことができるのは私だけ。そう、これが唯一の方法」


「……それを言うために来たのか」


「そんなところ。だってあの子が戦場にいて私と出会ったらそれが私の最期だから。別れは言えるうちに言っておかないと」


 メアリスは死をまるで恐れていないようだ。だが死を望んでいるわけでもない、避けられない運命だと理解しているのだ。そしてウールに向けられたぶれない目、それが運命を受け入れる覚悟が既にできていることを物語っている。


「一応聞くが他に方法は無いのか?」


「無い。何? 私と別れるのが寂しい?」


「いいや、そんなわけ――」


 言葉の途中でウールは天井を見上げながら黙ってしまう。そしてしばらくして大きなため息をつくとゆっくり頷いた。


「……よしてよ」


 メアリスはウールに聞こえないほどの声でつぶやきそっと抱きしめた。


 ベルゴーニアと違いメアリスには温かみがあった。二人はしばらく互いに生きている感触を感じようと黙っていた。息遣いだけが聞こえる静寂。外からは微かに出陣の準備をしている兵達の声や物音が聞こえている。


「泣かないのね」


 メアリスが耳元で囁く。


「今はな。泣いてほしいか?」


「まさか」


 メアリスは冗談っぽく笑うと抱くのをやめた。そしてウールの顔をまじまじと見ると頬をなでてから立ち上がる。


「ウールに会えてよかった」


「私もだ」


 そのやり取りを最後にメアリスは部屋を出た。





 二日後


 ウール達は城から二日ほど南に進んだ平原でヘンリー達と相まみえることになった。敵軍の数は目視できる範囲では以前と大差ない。


 そしてバルログの姿が今のところ見当たらない。しかし絶大な効果を発揮した魔獣だ、間違いなくヘンリーがこれ見よがしに召喚すると誰でも予想がつく。


 案の定、ウール達の姿を確認するとヘンリーは「前のことがあったというのにのこのこ来たか、魔王は実に馬鹿のようだな!!」などと大声で吠える。


 そんなほとんど聞こえない彼の煽りを無視してウールは兵達を見渡した。


「よいか。かならずあの鹿は魔獣を召喚する。だがうろたえないでほしい、事前に伝えた策とお前達の力があれば必ずこの困難を突破できる」


 ウールは兵達の半分と城に残っているスターク以外の三人をバルログ討伐に割り当てている。残り半分はベルムやリチャードといった統率を執るのに慣れている者達に任せ、彼らには迫りくる敵兵達の対応しバルログ討伐の時間を稼ぐよう指示を出していた。


 しかしこれはかなり無茶な作戦だ。ベルム達は自分達の倍かそれ以上の数の敵を相手にしなければならない。敵全てが並みの兵士程度なら1時間か、長くて2時間くらいはもつ。しかしそこにさらなる魔物か不死の少女、あるいはキャロルが現れるようものなら話は違ってくる。


 それでもウール達はこの賭けに出る方が最善であると判断した。強大なバルログ相手では城での防衛戦など全く無意味であり、いたずらに消耗するくらいなら打って出た方が得るものが大きいからだ。


「死ねとは言わん。だがあの魔獣に情けなどというものはない! 怯えたが最後、奴は問答無用で死をもたらすだろう!」


 その言葉と共にはるか遠くでヘンリーがバルログの召喚を始めた。魔法陣が浮かび上がり、その中からゆっくりとバルログが姿を見せる。スタークの召喚したドラゴンにつけられたはずの傷はすっかり回復しおぞましい殺気を放っている。しかし味方の兵達は固唾をのんでバルログではなくウールを見守っていた。彼らは恐れているわけではない、ウールの示す覚悟を見届けるためにそうしているのだ。


「だからこそ勇気を持って切り開くぞ!! 奴の向こうにある我らが共に生きる道を!!」


 兵達が一斉に雄叫びをあげた。それは勇敢な戦士たちの雄叫び。こだまする声に乗せ地上に休ませていたワイバーン達は咆哮をあげると一斉に空へと舞い上がった。


 対して魔法陣の中から体全てを出し終えたバルログは大地を震わせる咆哮をあげ地をえぐりながら走り出した。少し遅れてヘンリーが兵達に出撃命令を下す。兵達は中央を走るバルログとかなりの距離を取りながら大きく左右へ展開をはじめる。


 この動きはウール達の予測の範囲だった。第一形態のバルログは本能のまま動くだけであり、敵を見つけると迷わず突進し破壊の限りを尽くす。このことからバルログの正面に軍を展開すれば真っ直ぐ突進するのは安易に予測でき、バルログの動きに合わせた軍の展開もまた予測しやすい。


 ウールが突撃の指示を飛ばすと迎撃部隊は一斉に迫りくるバルログめがけて走り出した。迎撃に向かう人間達は弩や弓を携えた騎兵、レッドゴブリン達と人間の鍛冶師達が開発した投げ槍と命中と射程をあげる投槍器を装備した歩兵達で構成されている。


 そして魔族達は空を飛べる者はワイバーン部隊の掩護をする。そうでない者は人間の歩兵達と同じ装備をするか遠距離系統の魔法を使う。バルログへの肉薄が並みの者では不可能である以上、迎撃部隊は遠距離主体にせざるをえなかった。


「よし、そろそろだな」


 バルログとの距離はすぐに縮まっていく。そして先頭を行くウールはというとバルログとの距離を目で測りながら周囲を見渡していた。向かってくるバルログ以外障害は何もない。ベルム達に突撃をしている敵軍とは十分に距離が離れている。バルログとの距離も馬の足で後20秒ほどだ。


「今だ!! 散開!!」


 その言葉を合図にウールは馬の足を止め緋色に輝く剣を掲げた。後に続く兵達はそれを合図に二手に分かれる。それでもバルログは突進をやめない。しかし不意にワイバーン達に顔をひっかかれ勢いを落とした。


「グオオオオオオオオオ!!!!」


 怒りのまま暴れるバルログに対しワイバーンと援護の魔族達は距離を取りつつ牽制を繰り返す。その間にバルログは地上へと視線を落とす。するといつの間にか取り囲むように数千の騎馬隊がグルグルと走り続けているのが目に入った。


「放てええええええ!!!!」


 騎馬隊達から矢が一斉に放たれたちまちバルログの体へと突き刺さる。巨大な図体が仇となり、よほどのことがない限り矢が外れることは無い。数千もの矢を受けたバルログは痛みを覚えると苦しむどころかさらに怒りを増し、血走った目で兵達を見る。しかし狙いが定まらない。それもそのはず、足元から、頭上から。全ての範囲から一斉に攻撃を受けているからだ。


「いいぞ! そのまま攻撃を続けろ!」


 指示を出すウールは攻撃を行う騎馬隊から少し離れた場所にレオと一緒にいた。


「ウール、あいつが形態を変えるまでどれくらいかかる?」


「あのくらいの攻撃ならあと数十分ほどだろうな」


「そんなに?! 結構効いてるように見えるんだけど……。ああクソッ! なあウール、セドさん達が攻撃すればあいつを一瞬で第二形態になるまで弱らせれるんじゃないのか?」


「ならん。今はあらゆる方向から攻撃をしているから気を逸らすことができているだけだ。もしセドやホーナーが肉薄してみろ。攻撃できたとしても形態が変化せず注意が二人に向いて殺されるのがオチだ。作戦を決める時に散々言っただろ」


 ウールは近距離で絶大な威力の攻撃を放てるセドとホーナーに対しタイミングを見て攻撃をしかけるよう指示を出している。そのタイミングとは形態の変わる直前、バルログから蒸気が漏れ体を覆う筋肉が硬化を

始めた時だ。


 そしてセド達が攻撃を放ち見事第二形態へと変化したところをウールとレオが全力で攻撃をぶち込む。大胆な作戦だがバルログを知り尽くしている、というよりも作った本人であるウールはこの作戦に自信を持っている。対してレオは少し尻込みしていたが彼女を信じることにしていた。なぜならもう、迷う段階をとっくに過ぎていたからだ。


「す、すまん……。それにしてもよくウールはあんなの飼ってたな」


「まあ以前は私に力があったからどうにかできていたからな」


「すごいな。というかよく考えたら俺ってもしかしたらあんなおっかないのを一人で相手にしなくちゃならなかったのか」


「前みたいに冒険していたらそうだっただろうな。ま、そんなことする前に私に殺されていただろうけどな」


「だな。今思うとほんとあの時ウールが力を失ってくれて助かった。ありがとな」


「なにが『ありがとう』だ! そのせいでどれだけ苦労してると思ってるんだ!!」


 カンカンに怒るウールにレオは慌てて謝っているとふと何かに気づきウールの後ろを指さした。ふてくされたウールがその先を見るとベルム達と戦っているはずの敵の一部が二人の方へと向かってくる姿が見えた。


 そして彼らを率いて先頭を走るキラキラと目立つ白金の鎧を着た騎士。それは紛れもないヘンリーだった。


「魔王!! 貴様はどこまでも俺の邪魔をしてくれるな!!」


「それはこっちのセリフだ!! レオ、備えろ!!」


「言われなくても!!」


 レオが剣を抜くとウールは両手に出した炎で二本の槍を作りそれを宙に掲げた。


「奴は私とレオがやる! 残りの者は他の敵を相手にしろ!!」


 指示を出すとウールは思いきり腕を振り下ろした。槍は回転しながら一直線に飛ぶ。ヘンリーは臆することなく馬を走らせ、槍との距離が数メートルほどになる前にバッと馬から飛び降り受け身を取った。乗り捨てた彼の馬は炎の槍の餌食となる。


「ヘンリー!! 今日こそお前を倒す!! そしてお前がひどい目にあわせた村の人たちに死んで詫びやがれ!!」


「ハッ! まだそんなくだらないことを引きずっているのか勇者のガキが。だがお前がどうしようが俺はここでは死なない。そう、こいつがいる限りな!!」


 二人はバルログの事を言っているのだと考えた。だがそうではなかった。


 互いの兵が戦闘を繰り広げている中から身の毛もよだつ視線を二人は覚える。その正体が何なのか感覚だけですぐに分かった。


 それは不死の少女だった。血走った目、純白の肌には鎖の跡とむごい傷痕が残っている。少女はウールを見つけるとたちまち恨みをぶつけるように咆えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る