第60話

 三日後


 見渡す限り障害が何もない平原の上空には重くどんよりとした灰黒い雲がかかっていた。掲げられた旗をはためかす風は王都の方から吹き、ヘンリー率いる王国軍はその追い風を背中で受けている。


 彼らに対するように遠くかなたにはベルムが指揮を執る連合軍がいた。互いに動きを見せず、緊迫する空気が流れている。戦場は死とは無縁なほど静かだった。


 この膠着した状態は今日はじまったわけではない。両軍が到着して五日ほどずっと続いていた。


 そして今もなお陣形を取ったまま動かない。


「重装備をした騎馬が三千ほどが歩兵を守るように両脇を固めている……。歩兵も申し分ないほど多い、そして後方にはワイバーンに備えて弓兵が二千にバリスタが十門と……」


 馬に乗ったままベルムは目を細めたまま呑気に分析していた。既に何度分析したか忘れてしまうほど退屈だからだ。横にいたベンは「しかしすごい数だな」と漏らしている。


「数もあちらが勝っていますし陣形も基本通りといった感じですね。加えてワイバーン対策もばっちり。目を見張るものはありませんけど吾輩達を相手するなら十分でしょうね。……気が滅入りますね」


 ベルムは確信を持っている。それもそのはず、王国軍が二万ほどに対しベルム達は一万にすら届いていない。


 また見晴らしのいい平原であるせいか似た陣形を取っていて、練度の差がものをいうのはベルムも分かりきっていた。それを考慮すると傭兵や捕虜、魔族で構成された連合軍は士気こそ高いが何かの拍子で崩れるとたちまち軍が崩壊する危うさを持っている。


 そして頼みの綱の一つであるワイバーンを扱う竜騎兵の総数は五十。まともに対策されている現状では厳しいとグルトでさえ敵陣を見て何度も苦言を漏らしていたほどだ。


「本当に我ながら無茶な作戦を立ててしまいましたね」


「だけどそれしかねえんだろ? 勝利を得る方法は」


「はい、それもです。ギリギリで勝ったとしても先はないですから」


 遠くを眺めているベルムにベンが「だな」と頷くと、メアリスが小さなあくびをしながら二人のもとにやって来た。ベルムが持ち場に戻るよう言うが「退屈なの」と眠たそうに答え地面を足でガッガッと掘りはじめる。


「ウールはまだ? そろそろ来る頃でしょ?」


「そのはずなんですがエイリーンの姿が見えませんし……。何かあったのでしょうか?」


 ばつのわるそうにしているとメアリスはしゃがみ、今度は草をいじりだす。それをベンはまるで遊んでいる子供を眺めるように微笑ましそうに見ていた。


 するとベンは何か思い立ったのかメアリスの隣にしゃがみ彼女の頭をポンポンと撫でた。メアリスは特に嫌そうにせず「ん」と不愛想な返事だけを返し草をいじり続ける。


 その時だった。


 ベルムから突然「戦いに備えろ!!」と普段の穏やかな彼とはまるで違う勇ましい指示が飛んだ。


 ベンは飛び上がり空を見る。メアリスもそれに続く。


 王都の方角に一頭のワイバーンが飛んでいた。ワイバーンは円を描くように旋回を続けている。それを見てベンは自信満々そうに笑い、ベルムは肩を落として一安心する。


「成功したみたいだな!」


「そのようですね。ですが本番はここからです」


「ああそうだな! ここからが俺達の出番だ!!」


 ベンがすぐに馬に飛び乗るとメアリスはボソボソと何かをつぶやいていた。するとメアリスの足元が様々な色を放ちながら輝きだす。そしてスッと立ち上がり、目で捉えられないほどの速さで走りだし持ち場へと戻っていった。


「すげえ……。あいつかなりやる気じゃねえか」


「相当暇そうにしてましたからねえ。鬱憤を晴らしたいんでしょう」


 メアリスを見送っていたベンも自分の持ち場へと戻っていった。やがてベルムは辺りを見渡すと剣を抜く。それを高らかに掲げると、兵士達の前を駆けだした。


「皆聞け!! 魔王様がもう間もなくここに我らが同志となる者達を率いて戻ってこられる!! それまでに一人でも多くの兵を倒すのだ!! 魔王様が命を張って掴んだ勝機、決して無駄にするな!!!!」


 皆が武器を鳴らし雄叫びをあげる。ベルムはそれを一身に受けると剣を王国軍の方へと向けた。


 その時風が止み、雲間からは光が注がれ始める。


「では行け!!!! 勝利は我らにあり!!!!」


 戦いの始まりを告げるように兵士達の雄叫びが大地を駆ける。彼らは草を踏み抜き土煙をあげて王国軍へと突っ込んでいった。遅れて後方に待機していたワイバーン達の咆哮が鳴り響き羽音を立てながら空へとあがると兵士達にワイバーンの影がかかった。


 一方勇ましく突撃する彼らを見た王国軍はどよめいていた。だがすぐにヘンリーの果敢な檄が飛ぶ。


「怖気づくな!! 所詮は烏合の衆!! 我らが負けるはずがない!!」


 ヘンリーから兵士達へ次々と迎撃の指示が飛ぶ。後方のバリスタが上空へと向けられ、弓兵達は弓を構えた。前線にいた歩兵達は背よりも高い槍を向け、騎馬兵達は向かってくる騎馬とゴブリン達の猪に向けて突撃を開始した。


 両軍から飛び交う雄叫びと地を駆ける音が次第に大きくなる。距離は縮まり顔がはっきりと見えるほどとなると、あちこちで衝突が始まった。


 互いの槍が次々と兵を貫き、倒れた兵士を容赦なく別の兵士が、あるいは騎馬が踏み抜く。泥まみれになりながら逃亡を図るものもいるが逃げ場など無く殺されていく。


 穏やかだった平原はすぐに地獄となった。


「恐れるな!! 耐えろ!!」


 ベンが周囲の味方を鼓舞すると彼は眼前にいた兵士に斬りこんだ。敵は練度の高い正規兵、だが彼の前にはそんなことなど一切関係なく彼は一人を切り裂く。すると別の兵士の攻撃が迫る。彼はついさっき殺した兵士をぶつけ、隙ができたところに一撃を加えた。


 しかし敵を倒せどまた次が出てくる。それでも彼は鼓舞するのをやめず戦線を押し上げようとさらに突っ込む。だが勢い余り前のめりになったせいか背後の敵に気づくのが遅れてしまった。


「クソッ!!」


 踏ん張り切れてない姿勢をしたまま剣で攻撃を受けたせいで反動が大きく、剣を落としてしまう。すぐに拾おうとしたが遠くに剣を飛ばされてしまう。そして目の前の兵士が無茶苦茶に叫びながら彼を殺そうとした時、兵士はありえない方向に体を曲げながら吹き飛んでいった。


「大丈夫ですか? 前に出すぎです、少し下がってください」


「たしかにそうだな。すまん、だが助かったぜベルム――」


 ふと二人が空を見上げると矢の雨が二人の頭上めがけて飛んでくるのが見えた。その更に上にはワイバーン達が威嚇するように待機している。ベンは慌てて近くに落ちていた死体を拾いそれを傘にし、ベルムは当たらないよう体を低くし矢をしのぐ。


 だが彼の乗っていた馬に十発以上矢が刺さりベルムは振り落とされてしまった。幸い体の一部が取れてしまうことは無かった。ベンが慌てて駆け寄るとベルムは「体が取れなくてよかった」とホッとして差し出された手を握って起き上がる。


「しかしこりゃひでえ。竜騎兵達が降りられねえほどとはな。ウールの救援があるのが分かってるからまだ正気でいられるが、もし無かったらと思うとゾッとする」


「ですがこの猛攻を耐えないといけないのに変わりないんですけどね。魔王様、早く来てください……」


 遠い目をしていたベルムに対し「ああまったくだ!!」とベンは吹っ切れたように叫ぶと彼は勇猛果敢に迫りくる兵士を倒していく。それをベルムは口をポカンと開けたまま眺めていた。





 戦いが始まってから間もなく一時間が経とうとしていた。戦況は王国軍に傾きつつあり、メアリスのいる中央付近以外は王国軍によって戦線が押し上げられていた。


 ベルム達もじわじわと後退を余儀なくされる。竜騎兵の一部は仲間を助けようと待機命令を無視して地上に突撃するもバリスタと矢の餌食となってしまう。そんな中メアリスと亡霊達は孤立しつつあった。


 後方に待機していたヘンリーは逐一受けてた報告でこれを知り勝利を確信していた。彼は一切の情けを持たず追撃の手を休めないよう指示を飛ばすと自らも前線へ出ようとした。


 その時、弓兵達のいる方向から伝令が転がり込むように走ってきた。


「何だ? 報告はついさっき受けたばかりだ。さっさと持ち場に――」


「て、敵の増援です!! かなりの数です!!」


 伝令は息を切らしながらひたすら同じことを繰り返していた。余裕そうにしていたヘンリーはすっかり消え、彼は苛立ちながら「さっさと詳細を言え!!」と声を荒げる。


「敵の、増援は……国の方角から現れました……奴らの数はハッキリ分かりませんがかなりの数です」


「だからそれはさっき聞いたと――」


 後方から騎馬が駆ける音が次々と聞こえてきて振り向くとヘンリーは目を疑った。弓兵達が逃げ場を探そうと右往左往している。しかもバリスタが次々と敵に壊されていく。


 それをしてのけていたのは王都の奴隷と志願した民衆達だった。彼らがなりふり構わず戦っている。そしてその中に、まるで彼を馬鹿にするように高笑いをあげながら馬に乗って駆け抜けるウールの姿があった。

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