第26話

「何が何だか、といった様子だな。事の発端は貴様だというのに」


 侮蔑の眼差しを向けるウール。メアリスもまたジッと領主を見つめながら何度も剣を握りなおしていた。


 下手な動きをすれば殺される。言葉など無くても領主の内に押し寄せる感覚が無理やり危機と己の愚かさを彼自身に語り掛ける。


 固まっている領主をよそにウールは首をクイッと振り、リチャード達に降りてくるよう合図を送る。リチャード達は警戒を怠らずにクレア達連れ去られた人々を伴って降りて来る。


 すると兵士達の後ろからまるで奇跡を目の当たりにしたように弱弱しい声をあげながら人々が次々と走ってきた。連れ去られた人々もまた彼らの姿を見ると涙を流して走っていく。


 互いの温もり、感触を確かめるように抱きしめる人々。感動のご対面を台無しにしないようウールは無言のまま目をつむっていた。


「一体どういうことだ?! まさか魔王である貴様が助けたとでも言うのか?!」


「私だけではない。ここにいる全員で、だ。だからこいつらに礼を言うべきだぞ? 『尻拭いをしてくれてありがとう』とな」


 何も言えず顔面蒼白のまま崩れ落ちる領主。人々はおろか兵士達でさえ見るに堪える彼の姿に困惑を覚える。


 どういうことなのか、その思いから群衆のざわめきはとどまるところを知らず辺りに木霊する。それを黙らせるようにウールは『黒の手記』を取り出し淡々と領主の目論見、そしてそれが起こした悲劇を口にした。


 荒唐無稽で信じられない話に聞こえる。だが信じるほかない。なぜならリチャード達が亡霊達と共にいてもなお物怖じせず、どころか憎しみの籠った目をしていたからだ。


「リチャード。私はもう帰る。後は人間同士の問題だ、こいつを痛めつけるなり処刑するなり好きにしろ」


 説明を終えたウールはベルムとメアリスを呼ぶとウールは立ち去ろうとするがリチャードは慌てて呼び止めた。だが振り向いたウールは鋭い目つきをしたまま何も言わない。


 余計な事に巻き込むな。


 そう語っているようにその目は赤く煌めいている。リチャードは口をギュッと閉じたままウールと向き合っていた。


 ウールはリチャード達に背を向けると無言のまま領主の横を通り過ぎる。後に続くベルムとメアリス、そして亡霊達を水平線の彼方から登り始めた朝陽が照らす。やがて陽の光を背負ったウール達は、リチャード達の前から姿を消した。




「放っておいてよろしいのですか?」


 レッドゴブリン達の住処へと戻る道中、ベルムは少し心配そうにポルーネの方を何度か振り返っていた。後に列をなしてついてくる亡霊達がさながら異様さを際立たせ、生きるもの全てが近づこうともしてこない。


「別にこれ以上私がどうこうする義理もないだろ。それに――」


 言葉を途中で止めるとウールは大きな欠伸をしながら体を伸ばし「早く寝たい」と素直すぎる事を言う。心の底から言っているようで、目がしょぼくれ目つきなど同情するほどひどいものになっているのが何よりの証拠だ。心配する気力などウールのあくびと共にどこかへ飛んでいったベルムは安心からか肩の力が抜けていく。


「ところでずっと疑問だったのだが、なぜこんなたいそうな代物をあんな無能が手に入れられたんだ? メアリス、奴に何をされた?」


『黒の手記』の入った袋を揺らしながら訊ねると、メアリスは何もされてないと首を横に振る。どころか「私の失態」と意外な答えが返ってきてウールとベルムは理解し難い素振りをした。


「酔っぱらって海に落としたの」


「よっぱら、え? 何だって?」


「酔っぱらったの。気づいた時にはあの街にあるって気づいて急いで取りに行った、でも頭がとても痛くてとりあえず攫うだけにしたの」


「酒とは恐ろしいものだな……。一体どれだけ飲んだ?」


 メアリスは唇に人差し指を当てたまま空を眺めしばらく考え込むと「タル一つ分くらい?」と自慢する気もなく平然と答えた。ウールもベルムも呆気にとられたままメアリスの体を上から下まで隅々見てどういう仕組みなんだと考えを巡らせる。


「とんでもない奴が配下になったものだな……」




 数日後、ウール達のもとにエイリーンとリチャードが訪れその後の顛末を語った。


 事実を知った人々の怒りは底なしで領主は彼らの手で見せしめに処刑された。そのせいか今のポルーネはまるで熱病にかかったように湧き上がっているという。


「悪が滅びてよかったではないか。めでたしめでたしだな」


 ウールはわざとらしく拍手を送りベルムとグルトは「ほんと魔王様は……」と呆れたような目で見ていた。だがエイリーンが「ここまではな」と言葉を続けるとのんきな空気が一転、雲行きが怪しくなる。


 目を細めたまま無言になるウール。語らずとも嫌な予感を感じ、その先の言葉を待つ。


 そして、リチャードが語り始める。


「領主の処刑を契機にこれまで抑圧されていた人々が熱を帯びてきた。実際、領主の恩恵を受けていた街の権力者たちが次々と捕らえられて殺されているからな」


「ほう……。つまり反乱、いや革命か? 物騒なものだな、まあ部外者である私から見てもあんなひどい状態だったのだからそれくらい起きても仕方ないだろうな。むしろ現状を変えられるならお前達からすれば願ったり叶ったりでは?」


「そうなんだが、ちょっと面倒な事があってな。実は街の住民の中にはウールを旗印にこの国を変えたいと主張する奴がいてその数は多分考えているよりもずっと多い。俺とエイリーンがここに来たのはその事を伝えるためなんだ」


 ウールは怪訝そうな目でリチャードの横に座っているエイリーンをちらりと見た。エイリーンはどこか申し訳なさそうにしたまま目を伏している。


 リチャードは「どう思う」と念を押すようにウールに訊ねた。だがその声には意志のようなものは感じられず、どこか言わされているようであった。


「興味ない、というよりも迷惑だ。そこまでする理由も義理も無い」


 てこでも折れないような強い口調でキッパリと答える。リチャードもエイリーンも予想通りだと思い動揺を一切見せない。リチャードは「分かった」と落ち込む様子を見せずに言うと立ち上がり、エイリーンを残して部屋を後にした。


「エイリーンは戻らなくていいのか?」


「元々戻るつもりなどない。あいつと違ってあの街に守るものなど私にはもう無い。それに、ワイバーンの扱い方をグルトに教えてもらう約束をしているからな」


 そうだろうとエイリーンがグルトの方を見る。グルトは尖った耳をいじりながら「しゃーねえな」と言ってよいしょと立ち上がる。そして意外そうにしているウール達をよそにエイリーンとグルトは外に出ていった。




 それから一週間後の夜、王都のとある酒場にて


 喧騒に満ちた酒場の床には零れ落ちた酒のシミや食べかすが散らかっていた。それを気にも留めないほど酒に酔ってなのかあるいは雰囲気に酔っているのか、喧嘩が頻繁に起き、人々は煽り立てながらそれを肴に愉快に夜を楽しんでいる。


 その中に一人、酒場の隅で死んでいるかのように静かに酒を飲んでいる人がいた。黒色のフードを深くかぶり、宝玉のように煌めく緑色の目を覗かせながら酒場内を物色するように眺めている。


 誰もその人に話しかけるどころか目を向けようともしない。ただならぬ雰囲気、傍の壁に置かれた並みの人間の大きさを優に超えるハルバートが何人も寄せ付けようとしない。


「おい聞いたか、近い内にポルーネに軍を進めるらしいぜ。しかも志願した奴にはかなりの額が出るらしい」


「らしいな。なんでも魔王討伐も兼ねているからそうなっているんだと。だが今の魔王なんて怖くねえぜ、何せ噂じゃああのガキの勇者相手に手も足も出ないほど弱っちいって話だ」


「だがまだ生きているんだろ? まったく情けねえ勇者様だな! それに王も王だ。わざわざ勇者なんて訳の分からないものを出さなくても国の騎士様や俺達を雇えば――」


 つらつらと愚痴を垂れていた男だったが急に話を中断し、向かい合っていた男がどうしたと酒の入ったジョッキを突き出す。男が後ろを指さすと、ジョッキを持った男は「あ?」と理解できない様子で振り向いた。


「その話、詳しく聞かせてもらおうか」




 深夜、王都近郊の平原


 黒色のローブを纏ったその人は漆黒の毛並みをした馬に跨り、空に浮かぶ月を様々な感情が入り混じる目でぼんやりと眺めていた。


「どれほど待ち望んでいたことか」


 その声は女性のものだ。凛々しく感じられるがどこか上の空で言葉を紡ぐとゆったり歩く馬の背中を優しく撫で月を見上げた。


 月の光がフードの中に隠れている顔を照らす。


 端然としたはっと目を見張る麗しき女性。色白の肌をし、黒色の艶やかな髪の毛先が目にかかっている。


 垣間見るだけでも分かる美しさを兼ね備えた女性。


 だがその顔には、恋焦がれるあまり心さえ焼き尽くしたような歪んだ笑みを浮かべていた。


「ようやく……。ようやく会えますね。愛しい魔王様」


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