第四話 幼女と青年のとある一日 前編
グルメールの騒乱から一週間が過ぎていた。
リンドウの街の大通りから外れた通りにある、二階建ての一軒家。
その二階にある真っ暗な寝室で、ベッドから体を起こしたのはアカツキだ。
窓の外は、まだ暗く静寂に包まれている。
本来なら隣で寝ているはずのルスカが見当たらない。
足に違和感を感じ、掛け布団を捲ってみると自分の足にしがみついており、ピンク色のネグリジェも、はだけて熊ちゃん印のパンツが露になっていた。
アカツキは起こさない様に自分の足からルスカの腕を外し、掛け布団を掛け直してやると、大きく一つ伸びをして音を立てないように部屋を出ていく。
階段の軋む音もなるべく小さく、慎重に降りていった。
一階のランプに明かりを灯し、裏庭に水を汲みに行くついでに顔を洗い、台所に戻ったアカツキはアイテムボックスから強力粉、卵、牛乳、バター、砂糖、塩そしてドライイーストを取り出し用意する。
朝早くから起きたのは、パン作りの為であった。
初っぱな炭にして失敗したアカツキは街のパン屋にお願いして焼く火加減などを見せてもらった。
この世界のパンが固い原因も探りながら。
アカツキは強力粉にドライイーストと塩を合わせない様に離して入れ、砂糖も入れる。
少し温めた牛乳を入れてしっかり混ぜていく。
ある程度まとまったら、伸ばしては折り曲げ伸ばしては折り曲げを繰り返していき、途中で常温で溶けてきたバターを加えて練り込んでいった。
アカツキは、この世界のパンが固い理由を水分不足だと推察する。
何せパン屋で見せてもらった時、窯は店内にあり、その側で生地を捏ねていた。
店内は暑く、恐らく水分が蒸発したのではないかと。
その点、アカツキ達の家の窯は外にある。つまり、初っぱなの失敗は火加減さえ間違わなければ上手くいったのだと確信していた。
成形し一次発酵の間に、朝食の用意をする。外の竈でご飯を炊きながら、卵焼きとタコ型にしたウインナーを焼き始めた。
台所の窓からは、外の竈が見え様子を伺える。アカツキは「時短最高」と呟きながら、お皿を並べるのだった。
◇◇◇
「おはよう……なのじゃ」
眠い目を擦りながら、杖を持ったルスカが二階から降りてきた。
「おはようございます。さぁ、顔洗ってスッキリしてください。朝ご飯食べますよ」
「わかった……のじゃ」
ふらふらと体を揺らしながら、椅子に杖を立て掛け裏庭に行く。
炊き上がったご飯をお皿に移し、スプーンとフォークを用意して、残った牛乳をコップに入れると準備オッケーだ。
「アカツキ~、拭くもの忘れたのじゃ~」
裏庭から勝手口を開けて立っているルスカの顔は、びしょびしょに濡れている。
「寝間着で拭いてください。そのまま洗濯しますから。着替え置いておきますね」
ネグリジェの裾で顔を拭いたルスカは、そのままネグリジェを脱いで家に入り、椅子に置かれた服に着替え始める。
着替え終わりルスカは、椅子に座るなり両手にスプーンとフォークを持って今か今かとアカツキが来るのを待つ。
アカツキは、ネグリジェをルスカから受け取ると裏庭の洗濯物の山に置き、家に戻って席に着く。
「いただきますなのじゃ」
「はい、どうぞ召し上がれ」
ルスカがウインナーにフォークを突き刺し眺めている。
「アカツキ、これ何じゃ?」
「タコさんウインナーですよ。お肉ですし苦くも辛くも無いはずですよ」
ルスカはウインナーを口に入れ噛むとウインナーから肉汁の旨味が口一杯に拡がる。
「んー! 旨いのじゃ。アカツキ、たこさんウインナー好きになったのじゃ」
ルスカは、まずウインナーから平らげると、ジッと皿を見てしょんぼりとしてしまう。
ルスカの心中を察したアカツキはクスリと笑うと、自分の皿をルスカの前に差し出してやった。
表情が晴れ晴れとしたルスカは、アカツキの顔と皿を交互に見合う。
アカツキが無言で首を縦に振ると、ルスカはフォークをアカツキの分のタコさんウインナーに突き刺した。
◇◇◇
「お外行ってくるのじゃ」
「気をつけてくださいね」
食事を終え、お皿を洗い終えたルスカは、杖を持ち外に遊びに出掛けて行く。
アカツキは、パンの準備を続け、一次発酵の終えた生地を切り分け、再び捏ねて成形していく。
乾いた布と強く絞った布を被せ、しばらく置いておき、その後成形しなおして、二次発酵に入った。
手の空いたアカツキは、洗濯と掃除を済ましていく。
一つ大きな欠伸をし、背中を伸ばして眠気を飛ばすと、窯に火を着けた。
二次発酵を終えた生地を鉄皿に乗せて、窯へと入れる。
ここからが本番だ。アカツキは火加減を調整しながら、時折中を覗き確認する。
手が離せない。
初っぱなは、ここでしばらく掃除をしてしまい焦がしてしまったのだ。
窯の中から、焼きたてのパンのいい匂いが漏れ出す。
「上手くいきそうですね」
アカツキは油断せず火加減の調整を続けていった。
「出来ました!」
窯の蓋を開けて、中から鉄皿を取り出すと、辺りはパンの香りで包まれる。
指でパンを押さえるとゆっくり凹む。
出来上がったパンをテーブルの皿に移して、すぐに二回目の焼きに入った。
◇◇◇
日が昇りきったお昼時、家の前の通りをダッシュする女の子が急ブレーキをかけてアカツキ達の家の前で止まる。
「アカツキさん! これ、どういうことですか!?」
ノックもせず玄関をいきなり開けてアイシャが飛び込んできた。
アカツキ達の帰宅から遅れること一週間。アイシャはグルメールギルドの手伝いをし、ようやくこのリンドウに帰って来たのだが、ギルドに戻るや否や突然の高額な請求書に卒倒した。
小一時間、気を失いようやく目覚めた彼女は、請求書を持ってアカツキの家に飛び込んできたという訳だ。
「ちょっと」
ぐー
「アカツキさん!」
ぐー
「聞いているんですか?」
ぐー、ぐー
新しく焼き上がったパンの乗った鉄皿を持ちながら、アカツキは立ち尽くしていた。
先ほどから腹の虫が邪魔で、アイシャの言葉が耳に入ってこない。
「取り敢えず落ち着いてください。腹の虫も落ち着いてください」
「し、し、仕方ないじゃないですか!?」
ぐー
「まだ、今日は一食も」
ぐー、ぐー
「食べてないのですから!」
ぐー、ぐー、ぐー
全く落ち着かない腹の音に、アイシャは顔が真っ赤に変わる。
「そこのパン一つ食べていいですから落ち着いてください、腹の虫さん」
「誰が、腹の虫ですか!? ま、そう言うなら一つ頂きましょう」
アイシャは、テーブルの上のパンを一つ取ると目が大きく開く。
「ちょっとアカツキさん! なんですか、このパン!! 凄く柔らかいじゃないですか? 失敗ですか、失敗作をワタシに食べさせるつもりですね!」
アイシャは手に持った途端に今までのパンとの違いに驚く。
文句をアカツキに突きつけるが、匂いが鼻に入って来ると口の中に唾液が溜まり思わず唾を飲み込み喉を鳴らす。
とても傷んでいる様にも見えず、背に腹は代えられないとパンにかじりついた。
「散々文句言っといて、食べるのですね」
アカツキは呆れた顔をするが、アイシャは思わずその場で跳び跳ね出す。
「ちょっと、アカツキさん! 何ですか、これ? 凄く柔らかい上に噛めば噛むほど──」
アイシャは我慢出来ず喋っている途中で、再びパンをかじりついた。
「ふご、ふがくふごふごい」
「いや、食べ終えてから喋ってください。何言ってるのか分からないので」
アイシャは口の中のパンをじっくりと味わってから飲み込むと、再びパンをかじり出す。
アカツキは小さく溜め息を吐くと、持っていた鉄皿からパンをテーブルに並べ出す。
「美味しかった……」
何か憑き物でも落ちたかのような表情になり、尻尾はちぎれんばかりに振られている。
「あ、あのアカツキさん。パン、一つ頂いて帰っても?」
「え、ええ。構いませんよ」
アイシャはパンを大事そうに懐に抱え、満足感に包まれて帰って行く。
「結局、あの人は何しに来たのでしょうか」
嵐が過ぎ去ってホッとしたアカツキは、鉄皿を洗いに裏庭へ向かうのだった。
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