第3章:そのまなざしに名をつけて

3-1暗き集いの守護天使

「――さて同志の皆さま、この度はご足労いただきありがとうございます」


 暗闇に半身を浸してライサは告げる。もう田舎娘テレーゼの姿ではない。艶やかな黒髪を肩口で弄び、赤いルージュで微笑んでみせる。

 濃い化粧もあって三十そこそこには見えるだろう。あまり凝った変装をしても、この場ではさほど意味をなさないが。


 ランタンを中心に置いただけの地下室は寒々しく陰鬱だ。集まった人々は適当に佇むなりそこいらに転がった木箱に腰を預けるなりしていたが、きちんと視認できるのは下半身くらいだった。そこから上は闇に影絵が浮きあがる程度にしか見えない。


(でも、こういう空間だからいいんだよね)


 建前上とはいえ匿名性が生まれる。権威への反逆を謳う彼らにとって、それはむしろ安らぎだろう。

 平然とこんな気遣い――あるいは打算――ができるほどには、ライサも場数を踏んでいた。木箱に座って足を組み、申し訳程度の確認をする。


「一応お聞きしたいんですが、尾行とかは注意して来ましたか? ここ最近の動きで向こうも警戒してると思います。どこかしらで憲兵警察の密告網に引っかかってたらまずいですし」

「そのための作戦だったのだろう? 本国の御仁」

「ええ。でもそれだけじゃないですよ。軍国の変革には、市井の同志たちの同調と協力が不可欠ですから。とはいえ、巻きこんだ彼らには悪いことをしました。彼らの分も尽力しないといけませんね」


 沈痛の色を混ぜながら心にもないことを言う。一般のポモルスカ人をスケープゴートにして、彼らがどうなるかは織り込み済みだった。どうあれ当人らにとってはロクなことにならない。

 ただし現実の結果は、ライサのいくつかの予想からは外れていた。


「しかし、シャルロッテ・ケストナーの対応は予想外でしたね。ただの玉の輿担いだ女のひとだと思ってたら大違いでした。ああいうのを軍国語ではどう言うんでしたか……ええと、女傑ヘルデンヴァイプ?」

「やめてくれ、気分が悪い」


 影絵の誰かが吐き捨てる。宿敵の連れ合いを称えたことにか、あるいはポモルスカ語での会合でわざわざ軍国語を発したことにか。ライサの感触では両方だ。


「ふふ、失敬。でも真面目な話、ちょっと困りますね。ポモルスカ人の不当な逮捕に仲間が立ち上がり、決死の抗議をして無残に鎮圧される――国中のポモルスカ人どうしに訴えかける格好の美談にできたのに」


 今回の目的のひとつはここにあった。「ポモルスカ人が長年の理不尽に耐えかね、自発的に反抗を開始した」。軍国中にこうした印象を植えつけ、全国のポモルスカ人のあいだに決起の空気を作りだす。そして次回の作戦に大義名分を与える。


 だがシャルロッテの立ち回りのせいで、事件は思いのほか小さく収束してしまった。

 せいぜいが「ポモルスカ人労働者が無許可デモを敢行、あわや暴動へ」というくらいだ。メディアは比較的大きく取り上げていたが、この騒動は悲劇で終わるからこそ意味があった。期待した効果としては不十分だろう。


「だから言ったんだ。苦しんでいる民間の同志を利用してどうする、我々でなんとかすべきだ!」

「だが多くの同志は底の底まで打ちひしがれている。彼ら自身に軍国への怒りを思い出させなければ話にならないぞ」

「やはり草の根での活動は続けていくしかないだろう。それと並行して、我々も次の策を……」


 影絵の群がざわざわ騒ぎだす。ランタンに照らされる脚の多くも、落ち着きなく立ち位置を変えていた。

 皆不安なのだ。軍国へ明確な敵意を持って立ち上がったとはいえ、現実問題として軍政府や憲兵警察といった権力機構は強力だ。ポモルスカ人の公然とした迫害がはじまってもう10年ほどが経っている。反抗組織の基盤などほとんど破壊されており、ここに集ったのはその残り滓に近い。


 軍国の脅威を味わいつくしてきた歴戦の勇士、あるいは烏合の集。出自もバラバラだから連帯感も薄い。雑多な囀りもその産物だった。


「そもそも、わざわざ脅迫状を送る意味はあったのか? 先に強硬手段に出るくらいでなければ、軍国の連中をテーブルにつかせることなどできないぞ」


 おっと、この風向きはまずい。

 ぱん、と手を叩いて話の流れをさえぎる。視線を引きつけるように指を唇にあて、ことさらゆっくりと告げた。


「しー。安心してください、次の一手は考えてあります。もちろん本国の許可もありますよ」


 「本国」――ポモルスカ旧政府からの使者としての振る舞いが、今のライサに求められているものだ。柔和な空気をまとって惜しみなく助力を与える。その代わり、方針もこちらの手に握らせてもらう。ペテン師か悪魔にでもなった気分だった。

 むろん、よそ者に主導権を握られて面白いはずもない。影絵のひとりが挑発的に吐き捨てる。


「我々に相談もなくか。よほど本国は我らを田舎者扱いしていると見える」

「勝手に話を進めてしまったのは謝ります。でも、ちょっと急いでて。この間の作戦が失敗しちゃいましたからね。彼女がこっちにくるタイミングに合わせて回答を持ち帰る手はずになってました」


 言って後ろを振り仰ぐ。ライサのほど近く、女の影は身動きひとつせず佇んでいる。


 相変わらずだなあ本当。内心そう苦笑して、静かな背中にこつん、と頭を預ける。その矢先、誰かが訝しげに問うた。


「その女性が、本当にそうなのか?」

「ええ。我々の切り札です」

「だがどう見ても、その……」


 口ごもる影。言いたいことは分かる。そう高くもない背丈、華奢にさえ思えるシルエット。実際問題として成人もしていない。いくら視界が暗いとはいえ、彼女が「切り札」には到底思えないだろう。

 だが誰一人として嘲りもせず戸惑ってばかりなのは、彼らもどこかしら予感しているからだろう。彼女にはある。そう思わせるだけの存在感が、無言で突っ立っているだけの小娘には詰まっていた。


 演出半分、本音半分で微笑む。当惑とは期待の裏返し、信頼感チップにかかる倍率だ。大きければ大きいほど勝って得られるリターンも大きい。そしてこの子にとって、勝つ勝たないは賭けごとにもならないのだ。


「大丈夫です。彼女は誰にも負けません。貴方がたの守護天使になってくれますよ、ねえ?」


 最後は傍らの相棒への呼びかけだ。彼女はちらりとこちらを一瞥しただけで、真一文字の唇は吐息でさえ発しない。ライサの事前の言いつけ通りに。


 ――ほんと、相変わらず素直な子だ。


 あまりにも愚直な守護天使。その姿に、ライサは今度こそ素の苦笑をこぼしてしまった。

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